王立学会とは? わかりやすく解説

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王立協会

(王立学会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 05:10 UTC 版)

王立協会(おうりつきょうかい、英語: Royal Society)は、1660年にロンドンで作られた民間の科学に関する団体[1]である「自然についての知識を改善するためのロンドン王立学会」(The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge)のことである。他の日本語訳として王立学会(おうりつがっかい)、王認学会(おうにんがっかい)[注 1]がある。結成以来現在まで続いており、最古の学会である[6]


  1. ^ Royal Societyは通常「王立学会」や「王立協会」[2]と邦訳される。はじまりはアマチュア科学者の団体として自主的に設立され、そのメンバーたちが「特権を持った法人組織としての認可を国王に請願しよう」ということになり、その結果1672年7月に国王チャールス2世から勅認状を得て命名した団体である[3]。このため、科学史家の中村邦光は「この団体は国王が設立したものでもなく、国家が設立したものでもないので「王認」と訳すべきである」と述べ[3]、同様の主張は科学史家・科学教育研究者の板倉聖宣も唱えている[4][5]。科学史家・科学教育研究者の永田英治も同様に「国から資金をもらわないのでこの本では「王認学会」とします。」[6]としているし、論文でも王認学会の訳語を用いている[7]。このほか、科学史家・科学教育研究者の松野修は論文で「王認学会」の訳語を[8]、科学史・科学教育研究者の宮地祐司は「ロイヤル・ソサエティー(王認学会)」の訳語を使用している[9]
  2. ^ エディンバラ王立協会は1783年に勅認状を得て設立され、「学びおよび有用な知識の発展」を目的とした[12]
  3. ^ インビジブル・カレッジは当時複数あり、『世界図絵』を作ったヨハン・コメニウス(1592-1670)も1654年にロンドンに亡命し「インビジブル・カレッジ」を作っている。これらのカレッジは手紙のやりとりで実現したもので、現代のインターネットによるコミュニティのようなものである[13]
  4. ^ 王立協会の実験重視の姿勢は当時の王政復古時の政治的な理由もあった。実験で分かることが重要であるとして、思弁的な理論や仮説を避けるという姿勢は、不毛な論争を避けるためとも言える。これは当時の会員に王党派と共和派の両方を含んでいたため、政治的対立を避けたかったというのも理由の一つと考えられている[15]
  5. ^ 同様に名称に Royal を付ける許可をもらい、会への干渉を防ごうとした団体には、王立園芸協会(Royal Horticultural Society)などもある(なお、王立園芸協会の設立に当たっては、当時の王立協会会長ジョゼフ・バンクスも関係している)。
  6. ^ 現代の価値では10シリングは1万円、1シリングは1000円にあたる。協会の雇った筆記者の年俸が40シリングであったので毎回の会費の1年分は年俸を上回る[16]
  7. ^ リサ・ジャーディンは『ロバート・フックの奇妙な生涯』(2003)[24]の中で、博物学者のジョン・レイ(1627-1705)の肖像だと思われてきた肖像画が、実はロバート・フックの肖像に違いないといくつもの証拠を挙げている。この肖像はロンドンの国立自然史博物館に保存されている。[25]
  8. ^ この時代に郵便制度ができ始めたこともオルデンバーグのネットワークが機能した要因になっている。15世紀までは手紙を送るにはその地方へ行く人を探さねばならなかったが、イギリスではロイヤル・ポストが作られ、エリザベス1世のころにはロイヤル・ポストが一般人の郵便物も運ぶようになった。しかし、まだ郵便事情の悪い部分もあり、オルデンバーグへの手紙がブレーメンから24日かかったとか、オックスフォードのボイルの手紙が通常2日のところを4日かかったという速さであった。[22]
  9. ^ 歴代会長の一覧」を参照のこと(英語版ウィキペディア)。
  1. ^ a b 榛葉豊 2010, p. 1.
  2. ^ 十倉 好紀 センター長が英国王立協会(The Royal Society)の外国人会員に選出”. 理化学研究所 (2023年5月12日). 2023年9月20日閲覧。英国王立協会のオープンアクセス誌“Royal Society Open Science”、論文刊行を開始”. カレントアウェアネス・ポータル. 国立国会図書館 (2014年10月14日). 2023年9月20日閲覧。竹内薫 (2022年12月27日). “王立協会科学図書賞作家が語る SF的未来と「第四次産業革命」の行方とは?”. ダイヤモンドオンライン. 2023年9月20日閲覧。、ほか多数。
  3. ^ a b 中村邦光 2008, p. 125.
  4. ^ 板倉・永田 1984, pp. 1–2.
  5. ^ 板倉聖宣 2003, p. 54.
  6. ^ a b c 永田英治 2004, p. 21.
  7. ^ 永田英治 1983, p. 151.
  8. ^ 松野修 2017, p. 15.
  9. ^ a b 宮地祐司 1999.
  10. ^ a b c d 大野 2005, pp. 106–117.
  11. ^ History of RIA.
  12. ^ RSE History.
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 榛葉豊 2010, p. 2.
  14. ^ 永田英治 2004, p. 20.
  15. ^ 榛葉豊 2010, p. 5.
  16. ^ a b c 榛葉豊 2010, p. 3.
  17. ^ a b 中島秀人 1997, p. 22.
  18. ^ 永田英治 2004, p. 22.
  19. ^ 榛葉豊 2010, p. 4.
  20. ^ 中島秀人 1997, pp. 23–24.
  21. ^ a b c d 永田英治 2004, p. 44.
  22. ^ a b c d e f 榛葉豊 2010, p. 6.
  23. ^ a b c d e 永田英治 2004, p. 48.
  24. ^ Lisa Jardine 2003.
  25. ^ 永田英治 2004, pp. 48–49.
  26. ^ a b 永田英治 2004, p. 49.
  27. ^ 中島秀人 1997, p. 259.
  28. ^ 中島秀人 1997, p. 261.
  29. ^ 中島秀人 1997, p. 262.
  30. ^ 中島秀人 1997, pp. 28–29.
  31. ^ 中島秀人 1997, p. 35.
  32. ^ 中島秀人 1997, pp. 37–38.
  33. ^ 中島秀人 1997, p. 40.
  34. ^ 中島秀人 1997, p. 39.
  35. ^ a b 中島秀人 1997, p. 257.
  36. ^ a b c d 榛葉豊 2010, p. 7.
  37. ^ a b 永田英治 2004, p. 54.
  38. ^ a b c 松野修 2017, p. 8.
  39. ^ 永田英治 2004, p. 50.
  40. ^ a b 永田英治 2004, p. 55.
  41. ^ 永田英治 2004, p. 56.
  42. ^ a b 永田英治 2004, p. 57.
  43. ^ 松野修 2017, p. 9.
  44. ^ 永田英治 2004, p. 60.
  45. ^ a b c 永田英治 2004, p. 61.
  46. ^ 永田英治 2004, p. 62.
  47. ^ 永田英治 2004, pp. 63–64.
  48. ^ a b 永田英治 2004, p. 75.
  49. ^ 永田英治 2004, pp. 75–76.
  50. ^ a b 永田英治 2004, p. 77.
  51. ^ 永田英治 2004, pp. 78–81.
  52. ^ a b c 永田英治 2004, p. 86.


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