ニコラウス・コペルニクスとは? わかりやすく解説

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コペルニクス【(ラテン)Nicolaus Copernicus】


ニコラウス・コペルニクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 14:07 UTC 版)

ニコラウス・コペルニクスラテン語名: Nicolaus Copernicus、ポーランド語名: ミコワイ・コペルニク  Mikołaj Kopernik[ヘルプ/ファイル]1473年2月19日 - 1543年5月24日[1])は、ポーランド出身の天文学者


  1. ^ 矢島は「天体の回転」としている[13]が、コペルニクスの著書のタイトル De Revolutionibus Orbium Caelestiumorbs は惑星そのものではなく、そこに惑星が埋め込まれている同心球の殻を意味するので、コペルニクスの意図は「天球の回転」であろう[15][14]
  2. ^ にもかかわらず、この話は現代の科学界に広まっていて、物理学者や天文学者はときどき、自分の科学上の説明が込み入っていることをわびて「けれども私の理論には周転円が多すぎる」という表現を用いることがある[17]
  3. ^ コペルニクスにこの変換ができたのは、もともとプトレマイオスとコペルニクスの体系は互いに座標変換可能な幾何学的等価性があるからである。このことは科学史家の渡邊正雄[29]や高橋憲一[30]が詳しく解説している。
  4. ^ これについてはイタリアにいた間にイスラム天文学者のモデルについて知ったのか、独自にこれを発明したのかは分からない[44]
  5. ^ ギンガリッチは初版が400~500部、第2版が500~550部印刷されたと見積もり、現存している本を約60%と推定している[49]
  6. ^ ラインホルトとメストリンは、本の後半の技術的・専門的な部分に特に多くの書き込みをしている。また、メストリンは序文に対する論評を書き込んで「この序文は誰とは特定できないが、何者かによって付け加えられた」と、コペルニクスが書いた序文ではないことを見破っている[50]
  7. ^ たとえばダンネマンは「コペルニクスはまだ自分の世界説の正しさに決定的な証明を与えることができず、単に非常に簡単になるという点を押し出しただけだった。」としたし、鈴木政岐は『地学概論』で「コペルニクスの太陽中心説は今日の学説と同じであるが、それは地球を中心とするよりも太陽を中心として他の天体の運動を論ずる方が簡単であるというものに過ぎないのであって...」と書き、高木純一は「何よりも有力に彼の考えを動かしたものは、トレミーの地球中心の考えに基づく運行よりも、太陽を中心とした星の運行の方がはるかに簡単な姿となるからであった」と書いた。科学史家の板倉聖宣はこれらの例を挙げて「かかる見解の論者は極めて多いが、プトレマイオスによると諸君の見方はまさに「滑稽」そのものなのである!」と批判している[58]。またパラダイム論を提唱した科学史家のトーマス・クーンも「時が経つにつれて、天文学者たちの通常科学(プトレマイオスの体系)的研究の努力の結果として、天文学はおそろしく複雑になり、一方を直せば他のほうに食い違いがまた現れるという有様になったことに気がついた(略)。16世紀初期までには、ヨーロッパ最良の天文学者の多くは、天文学のパラダイムが昔からある問題にさえもうまく当てはまらなくなってきた、ということを認識するに至った。その認識が、コペルニクスをしてプトレマイオスのパラダイムを捨てさせ、新しいものを求める前提となったのである。[59]」と「天動説の複雑さ」をコペルニクスの地動説の動機としている。
  8. ^ このような考えは19世紀にオーストリアの科学者エルンスト・マッハ(1838-1916)が主張したので、マッハ主義とか経験主義と呼ばれている。マッハは当時の原子論の発展に対して「実在するのは直接に経験される感覚の要素だ」「科学の目的はもっとも単純な仕方で感覚を整理し記述することである」と主張して、原子論は空想的で科学的ではないとした。[63]
  9. ^ 板倉は「現代の科学史家でさえもこの矛盾を矛盾として気がついていないが、コペルニクスが偉大であるのは何よりもこの時代の天文学の中に見出された矛盾を、根本的矛盾としてつかみ取ったことにある」と評価した[70]
  10. ^ ホワイトの『科学と宗教の闘争』によれば、コペルニクスには次のような話が伝わっているという。 -「コペルニクスの敵は彼にこう言った。〈もしもお前の説が正しいならば金星は月と同じように満ち欠けするであろう〉と。コペルニクスは答えた。〈君のいうとおりだ。私にはいうべき言葉がない。しかし神は善である。やがてこの反対に対する答を神は見いだし給うだろう。〉とそれは後にガリレオ・ガリレイの望遠鏡による「金星の大きさの変化と満ち欠け」の発見で神の答えは与えられた[78]。ホワイトの原著の注釈[79]によれば、この逸話の出典はCAsar CantuのHistoire Universelle,vol.15,p.473 となっている。板倉聖宣はこの逸話から「コペルニクスがいかに自説に自信を持っていたかということを示す」と論じた[80][76]。しかしギンガリッチは、この話は「コペルニクスも彼の敵対者も、そのような実証のことなどまったく念頭になかった。」として「この話はイングランドの天文学者ジョン・キールが1718年に出版したラテン語の教本の中に書いた話が元で、それが語られるたびに粉飾され、ホワイトの本の見事な逸話に仕上がった」と架空の逸話であると述べている[81]
  11. ^ クーンは「ある個人が、いかにして集積された全てのデータに秩序を与える新しい方法を発明するか--は、ここでは測り知れないものであり、永遠に不可知にとどまるであろう」と述べている[84]
  12. ^ たとえば宮本正太郎は「当時の目から見るとそのいずれも難点がつきまとっていた。プトレマイオスは地球を回転せしめる時の難点の方を重しとみて、天動説を採ったが、コペルニクスはこれと反対の結論に達したのである」と書いた[87]
  1. ^ コペルニクス』 - コトバンク
  2. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 13.
  3. ^ Konrad Rudnicki (1995), The Cosmological Principle, Jagiellonian University, p. 43注2, ISBN 8323308985, https://southerncrossreview.org/50/rudnicki1.htm 
  4. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 22.
  5. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 60.
  6. ^ a b c d O.ギンガリッチ他 2008, p. 84.
  7. ^ 「Newton別冊 現代の宇宙像はこうして創られた 天文学躍進の400年」p107 ニュートンプレス 2009年5月15日発行
  8. ^ a b c O.ギンガリッチ他 2008, p. 130.
  9. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 121.
  10. ^ Life of Nicolaus Copernicus”. Nicolaus Copernicus Museum in Frombork. 2006年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月23日閲覧。
  11. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 144.
  12. ^ 「コペルニクスの遺骸、DNA鑑定で確認される 2世紀にわたる墓探しに終止符」 - AFPBB 2008年11月23日 2016年1月28日閲覧
  13. ^ a b 矢島祐利 1953.
  14. ^ a b 高橋憲一 1993.
  15. ^ トーマス・クーン 1989, p. 94.
  16. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 67.
  17. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 68.
  18. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 47.
  19. ^ Hasse, Dag Nikolaus. “AVERROES’ CRITIQUE OF PTOLEMY AND ITS RECEPTION BY JOHN OF JANDUN AND AGOSTINO NIFO.” Averroes’ Natural Philosophy and Its Reception in the Latin West, edited by Paul J.J.M. Bakker, vol. 50, Leuven University Press, Leuven (Belgium), 2015, pp. 69–88. J
  20. ^ Swerdlow, Noel (1972-02-01). “Aristotelian Planetary Theory in the Renaissance: Giovanni Battista Amico's Homocentric Spheres” (英語). Journal for the History of Astronomy 3 (1): 36–48. doi:10.1177/002182867200300105. ISSN 0021-8286. https://doi.org/10.1177/002182867200300105. 
  21. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 49.
  22. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 50.
  23. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 52.
  24. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 65.
  25. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 53.
  26. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 62.
  27. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 78.
  28. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 79.
  29. ^ 渡邊正雄 1978, pp. 56–57.
  30. ^ 高橋憲一 1993, pp. 132–133.
  31. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 80.
  32. ^ 高橋憲一 1993, p. 184.
  33. ^ 太陽(地球)はケプラーの法則によって等速円運動からずれている。
  34. ^ 太陽(地球)の等速円運動からのずれを説明する部分は、惑星の太陽周りの運動に組み込まれることになった。
  35. ^ a b c O.ギンガリッチ他 2008, p. 83.
  36. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 90.
  37. ^ 高橋憲一 1993, p. 186.
  38. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 92.
  39. ^ ただし、これはスワードローによる再現であって、コペルニクス自身の説明ではない。なお、後にティコ・ブラーエは透明な天球の存在を否定して、地球以外の惑星が太陽の周りをまわるモデルを採用する。
  40. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 88.
  41. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 95.
  42. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 99.
  43. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 100.
  44. ^ a b O.ギンガリッチ他 2008, p. 101.
  45. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 103.
  46. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 104.
  47. ^ O.ギンガリッチ他 2008, p. 105.
  48. ^ アーサー・ケストラー 1977, p. 159.
  49. ^ O.ギンガリッチ 2005, p. 172.
  50. ^ O.ギンガリッチ 2005, p. 207.
  51. ^ O.ギンガリッチ 2005.
  52. ^ O.ギンガリッチ 2005, pp. 191–192.
  53. ^ ディック・テレシ『失われた発見 : バビロンからマヤ文明にいたる近代科学の源泉』大月書店、2005年6月。ISBN 4-272-44033-0 
  54. ^ ケストラー 1977, p. 162.
  55. ^ Toomer訳 pp.44-45.
  56. ^ a b 板倉聖宣 1973, p. 17.
  57. ^ 板倉聖宣 1973, p. 18.
  58. ^ 板倉聖宣 1969, pp. 100–102.
  59. ^ トーマス・クーン 1971, pp. 76–77.
  60. ^ Langermann, Y. Tzvi. “Arabic Cosmology.” Early Science and Medicine, vol. 2, no. 2, 1997, pp. 185–213. ,p.188, 注10
  61. ^ a b 矢島祐利 1953, p. 36.
  62. ^ a b 板倉聖宣 1973, p. 20.
  63. ^ a b c 唐木田健一 1995, p. 37.
  64. ^ 板倉聖宣 1973, pp. 20–21.
  65. ^ 上述の通り、実際には後世のアリストテレス『天体論』への注釈。『アルマゲスト』にはこのような主張は見られない。プトレマイオス自身の反論は、『アルマゲスト』H24-H26。
  66. ^ a b c d 板倉聖宣 1973, p. 21.
  67. ^ 板倉聖宣 1973, pp. 24.
  68. ^ 板倉聖宣 1973, pp. 24–25.
  69. ^ a b c d 板倉聖宣 1973, p. 25.
  70. ^ a b 板倉聖宣 1969, p. 108.
  71. ^ 板倉聖宣 1973, p. 26.
  72. ^ a b c 板倉聖宣 1973, p. 27.
  73. ^ 矢島祐利 1953, p. 41.
  74. ^ 矢島祐利 1953, p. 45.
  75. ^ ポール・クーデール 1952, p. 89.
  76. ^ a b 板倉聖宣 1973, p. 28.
  77. ^ O.ギンガリッチ他 2008, pp. 99–100.
  78. ^ ホワイト 1939, p. 49.
  79. ^ A.D.White 1877, p. 33.
  80. ^ 板倉聖宣 1969, p. 127.
  81. ^ O.ギンガリッチ 2005, p. 182.
  82. ^ 唐木田健一 1995, p. 36.
  83. ^ 唐木田健一 1995, p. 10.
  84. ^ トーマス・クーン 1971, p. 102.
  85. ^ a b 唐木田健一 1995, p. 24.
  86. ^ 唐木田健一 1995, p. 38.
  87. ^ 板倉聖宣 1969, p. 121.
  88. ^ 唐木田健一 1995, pp. 37–38.
  89. ^ 板倉聖宣 1969, p. 125.
  90. ^ News: Element 112 is Named Copernicium”. IUPAC (2010年2月20日). 2010年11月23日閲覧。
  91. ^ コペルニクス博物館 - ポーランド政府観光局 2016年9月13日閲覧
  92. ^ フロムボルク・ミコワイ・コペルニク博物館、2016年9月13日閲覧



ニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus)

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ニコラウス=コペルニクス

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大航海時代III Costa del Sol」の記事における「ニコラウス=コペルニクス」の解説

ポーランド天文学者本作では、ワルシャワにある学者邸を尋ねると未発表地動説について意見求めてくる。彼の地動説を支持する望遠鏡貰える。

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