天文時計
天文時計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:42 UTC 版)
「ストラスブール大聖堂」の記事における「天文時計」の解説
大聖堂の南の翼廊に高さ18メートルの天文時計があり、世界最大の天文時計の1つとされている。かつては、現在の時計とは反対側の壁に1352年から1354年に作られた Dreikönigsuhr(3人の王の時計)と呼ばれる時計があった。1547年、Christian Herlin らが新たな時計の製作を始めたが、この大聖堂がローマカトリック教会になった際に時計製作が中断された。1571年、Conrad Dasypodius とハプレヒト兄弟 (en) が製作を再開し、天文学的により進歩した時計となった。スイス人画家 Tobias Stimmer が装飾の絵を制作した。この時計は18世紀後半まで使われていたが、現在はストラスブール装飾美術館に部品が展示されている。 現在の時計は1838年から1843年に作られたもので(時計本体は1842年に完成したが、天球儀は1843年6月24日に完成)、以前の時計の外装をそのまま使い、中身をジャン=バプティスト・シュウィルジュらが製作した。機能は以前のものとほぼ同じだが、機構は完全に一新されている。シュウィルジュは天文時計について1816年ごろから研究を始め、1821年には試作も行っていた。この試作機は今は所在不明だが、複雑なグレゴリオ暦にしたがって復活祭の日を計算できる機構(コンプトゥス)を備えており、ストラスブール大聖堂の時計にもそれが組み込まれた。復活祭は325年の第1ニカイア公会議で「3月21日当日あるいはそれ以降の最初の暦上の満月を過ぎたあとの最初の日曜日」と定義されている。天文学的部分は非常に正確で、閏年や分点など様々な天文データを計算でき、単なる時計ではなく一種の複雑な計算機になっている。 観光客はこの時計の精巧な外観しか見ることができないが、内部は精密な機構によって動作しており、最も美しい見ものの1つとなっている。 生き生きした人形たちが毎日違った時刻にムーブメントの中に出てくる。ある天使は鐘を鳴らし、別の天使は砂時計をひっくり返す。別の一連の人形は子供から老人までの一生を表現しており、死神の前を行進する。また十二使徒がキリストの前を通り過ぎる。 この時計は公式の時刻だけでなく、太陽時も示す。他にも曜日(それぞれ伝説の神で表現する)、月、年、黄道十二星座、月の満ち欠け、いくつかの惑星の位置まで示す。全てのオートマタは午後12:30に一斉に動き出す。 伝説によれば、この時計を作った人物は完成後に自分の目を抉り出し、再び同じものを作れないようにしたという。同様の伝説はプラハの天文時計についても残っている。 同じ部屋に欄干にひじをもたれかけた男の像がある。伝説によれば、これは天使の柱を作った建築家のライバルだった男で、このような大きなヴォールトをたった1本の柱で支えられるはずがないと主張し、崩壊するのを今も待っているのだという。 ストラスブールの天文時計をモデルとした時計はいくつかあるが、その多くは機能を単純化している。例えばシドニーのパワーハウス・ミュージアム (en) にある。 1858年から1989年まで、この時計はUngerer社が保守していた。この会社は1858年にシュウィルジュの助手だった2人の兄弟が創業した。1989年以降は Alfred Faullimmel とその息子 Ludovic が保守している。Faullimmel は1955年から1989年までUngerer社で働いていた。
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