1816年とは? わかりやすく解説

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文化13年 (ひのえね 丙子)

文化13年
年(年号)
1797年 (寛政9年) 湯島聖堂昌平坂学問所改称
1803年 (享和3年) 江戸開府200年
1806年 (文化3年) 大火
1808年 (文化5年) フェートン号事件
文化13年
1825年 (文政8年) 異国船打払令
1828年 (文政11年) シーボルト事件
1829年 (文政12年) 江戸大火
1830年 (天保元年) 伊勢御蔭参り大流行


文化13年
杉田 玄白 1733年1817年(享保18年文化14年) 83
伊能 忠敬 1745年1818年(延享2年文政元年) 71
塙 保己一 1746年1821年(延享3年文政4年) 70
司馬 江漢 1747年1818年(延享4年文政元年) 69
大田 南畝 1749年1823年(寛延2年文政6年) 67
笠森 お仙 1751年1827年(宝暦元年文政10年) 65
鶴屋 南北 1755年1829年(宝暦5年文政12年) 61
大槻 玄沢 1757年1827年(宝暦7年文政10年) 59
松平 定信 1758年1829年(宝暦8年文政12年) 58
葛飾 北斎 1760年1849年(宝暦10年嘉永2年) 56
山東 京伝 1761年〜1816年(宝暦11年〜文化13年) 55
酒井 抱一 1761年1828年(宝暦11年文政11年) 55
十返舎 一九 1765年1839年(明和2年天保10年) 51
滝沢 馬琴 1767年1848年(明和4年嘉永元年) 49
雷電 為衛門 1767年1825年(明和4年文政8年) 49
佐藤 信淵 1769年1850年(明和6年嘉永3年) 47
近藤 重蔵 1771年1829年(明和8年文政12年) 45
徳川 家斉 1773年1841年(安永2年天保12年) 43
間宮 林蔵 1775年1844年(安永4年弘化元年) 41
式亭 三馬 1776年1822年(安永5年文政5年) 40
柳亭 種彦 1783年1842年(天明3年天保13年) 33才
為永 春水 1790年1843年(寛政2年天保14年) 26
徳川 家慶 1793年1853年(寛政5年嘉永6年) 23
遠山 金四郎 1793年1855年(寛政5年安政2年) 23
渡辺 崋山 1793年1841年(寛政5年天保12年) 23
水野 忠邦 1794年1851年(寛政6年嘉永4年) 22才
千葉 周作 1794年1855年(寛政6年安政2年) 22才
Siebold Philipp Von 1796年1866年(寛政8年慶応2年) 20才
歌川 広重 1797年1858年(寛政9年安政5年) 19才
高島 秋帆 1798年1866年(寛政10年慶応2年) 18
男谷 精一郎 1798年1864年(寛政10年元治元年) 18
Harris Townsend 1804年1878年(文化元年明治11年) 12
緒方 洪庵 1810年1863年(文化7年文久3年) 6才
井伊 直弼 1815年1860年(文化12年万延元年) 1才
Hepburn J. 1815年1911年(文化12年明治44年) 1才
河竹 黙阿弥 1816年〜1893年(文化13年〜明治26年) 0才
鼠小僧次郎吉 ????年〜1832年(??年〜天保3年) ?才

1816年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/27 06:39 UTC 版)

1816年(1816 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年


  1. ^ チャロナー 2011, p. 267「スターリングが、蒸気にかわる運転音の静かなエンジンを作る。」
  2. ^ 中塚武 監修「一八一六年の宮古島における台風・旱魃被害」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p29 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480


「1816年」の続きの解説一覧

1816年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:28 UTC 版)

冷夏」の記事における「1816年」の解説

夏のない年呼ばれている。インドネシアタンボラ山大規模な噴火起こしたことにより、地球規模冷夏になり、特にヨーロッパ北アメリカ中国北部では飢餓により多く餓死者が出た

※この「1816年」の解説は、「冷夏」の解説の一部です。
「1816年」を含む「冷夏」の記事については、「冷夏」の概要を参照ください。


1816年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:45 UTC 版)

フランツ・シューベルト」の記事における「1816年」の解説

シューベルト運命最初変化見えたコンヴィクト時代からの友人シュパウンの家でシューベルトの歌曲を聴いていた法律学生フランツ・ショーバー(1796年 - 1882年)がシューベルト訪問し教師辞め平穏に芸術追求しないかと提案したシューベルトライバッハ現在のリュブリャナ)の音楽監督志願した不採用になったばかりで、教室縛りつけられているという思い強まっていた。父親了解はすぐに得られ、春が去るころにはシューベルトはショーバーの客人になったしばらくの間、彼は音楽教えることで家具類を買い増そうとしたが、じきにやめて作曲専念した。「私は一日中作曲していて、1つ作品完成させるとまた次を始めるのです」と、訪問者質問答えていたという。 1816年の作品1つサリエリ6月16日記念祭のための『3つの儀式用カンタータ』(D407)、もう1つの『プロメテウス・カンタータ』(D451)はハインリヒ・ヨーゼフ・ワターロート教授生徒たちのためで、教授シューベルト報酬支払った。彼は雑誌記者に「作曲報酬得たのは初めてだ」と語っている。もう1曲は、《教員未亡人基金》の創立者学長ヨーゼフ・シュペンドゥのための『カンタータ』(D472)である。もっとも重要な作品は『交響曲第4番ハ短調』(D417) で《悲劇的交響曲》と呼ばれ感動的なアンダンテがある。次いでモーツァルトの交響曲のように明るく新鮮な第5番変ロ長調』(D485)、その他多少教会音楽であった。これらはゲーテシラーからシューベルト自身選んだ詩だった。 この時期友人の輪が次第広がっていった。マイアーホーファーが彼に有名なバリトン歌手フォーグル1768年 - 1840年)を紹介しフォーグルウィーンサロンシューベルトの歌曲を歌ったアンゼルムヨーゼフのヒュッテンブレンナー兄弟シューベルト奉仕し崇めていた。ガヒーは卓越したピアニストシューベルトソナタ幻想曲演奏した。ゾンライトナー家は裕福な商人で、長男コンヴィクト所属していた縁もあって自宅自由に使わせていたが、それは間もなくシューベルティアーデ」と呼ばれシューベルト称えた音楽会へと組織されていったシューベルト貧しかったそれというのも教師辞めたうえ、公演で稼ぐこともできなかったからである。しかも、音楽作品をただでももらうという出版社はなかった。しかし、友人たち真のボヘミアン寛大さで、ある者は宿を、ある者は食料を、他の者は必要な手伝いにやってきた。彼らは自分たちの食事分け合って食べ裕福な者は楽譜代金支払ったシューベルトは常にこのパーティー指導者であり、新しい人が紹介されたときの、「彼ができることは何か?」という質問がこの会の特徴をよく表している。

※この「1816年」の解説は、「フランツ・シューベルト」の解説の一部です。
「1816年」を含む「フランツ・シューベルト」の記事については、「フランツ・シューベルト」の概要を参照ください。

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