メキシコ独立戦争とは? わかりやすく解説

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メキシコ独立革命

(メキシコ独立戦争 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 13:39 UTC 版)

メキシコ独立革命(メキシコどくりつかくめい)、またはメキシコ独立戦争(メキシコどくりつせんそう、スペイン語: Independencia de México、英語: Mexican War of Independence)は、スペイン植民地であったメキシコヌエバ・エスパーニャ)の独立に向けた戦争1810年 - 1821年)。1810年9月16日に始まった当初は植民支配者に対する農民反乱として始まったが、最終的には政教分離自由主義を掲げ独立を望むリベラル派(liberales)と、カトリックおよび君主制の権威の尊重や身分制・集権制の保持を主張し独立を望まなかった保守派(conservadores)が手を組む意外な展開となり、メキシコ独立へと至った。


  1. ^ a b c d e 中川2000, p86
  2. ^ 今日でも9月16日の独立記念日の前夜9月15日の午後11時に、イダルゴの鳴らした鐘が鳴らされ、メキシコ大統領がドロレスの叫びを読み上げている。
  3. ^ a b 中川2000, p87
  4. ^ 白人とアメリカ大陸原住民の混血者
  5. ^ 今井美子・増田義郎「植民地からの独立」171~179ページ(増田義郎・山田睦男編『新版世界各国史25 ラテン・アメリカ史1Ⅰ メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』山川出版社)
  6. ^ 英版のen:José María Morelos#Early lifeにはインディオ、黒人、スペイン人の混血であったと書かれている



メキシコ独立戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:46 UTC 版)

アグスティン・デ・イトゥルビデ」の記事における「メキシコ独立戦争」の解説

1798年から1810年までスペイン軍在籍し中尉まで昇進した1810年にメキシコ独立戦争が勃発した際、独立軍鎮圧する側であるスペイン軍一員として闘った有能な司令官であったイトゥルビデは、1816年北部メキシコスペイン軍指揮すべく配置された。しかし、次第メキシコ独立軍に同情寄せるようになり、反乱軍指導者ビセンテ・ゲレロ秘密交渉をもつに至った1820年にイトゥルビデは、指揮下のスペイン軍率いて反乱軍合流した。この軍は「3つの保証軍(英語版)」(Ejército Trigarante)として知られる1821年2月、イトゥルビデとビセンテ・ゲレロメキシコ君主制国家として独立させる保守的な独立計画である「イグアラ綱領」を公布し統合され独立メキシコ樹立呼びかけた。 彼らはともに他の反乱軍糾合成功しメキシコからスペイン王党派追い出し、イトゥルビデは新政権首脳となった。この時、歴史的な過ちとして、メキシコ出てゆくスペイン人達が保有している土地ハードカレンシー信用力のある基軸通貨)とを交換してよいとの協定署名してしまった。スペイン人らは国中良質土地権利保有していたため、その代金支払いメキシコ持っていたすべての通貨をすぐに使い果たしてしまった。教会銀の鐘や金の祭壇も溶かされてしまい、メキシコ国際社会出現した時点で既に破産状態であった。 イトゥルビデは保守派(conservadores)と呼ばれるヨーロッパ王家の者を君主とする君主制国家理想とする層の支持を得、また影響受けていた。しかし(スペイン依然としてメキシコ奪還もくろんでいた)ヨーロッパのどの国王メキシコ要請受諾しなかったため、ナポレオン1世の例にならい、イトゥルビデ自らが皇帝名乗るように説得された。

※この「メキシコ独立戦争」の解説は、「アグスティン・デ・イトゥルビデ」の解説の一部です。
「メキシコ独立戦争」を含む「アグスティン・デ・イトゥルビデ」の記事については、「アグスティン・デ・イトゥルビデ」の概要を参照ください。


メキシコ独立戦争(1810年-1821年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 18:20 UTC 版)

メキシコの歴史」の記事における「メキシコ独立戦争(1810年-1821年)」の解説

詳細は「メキシコ独立戦争」を参照近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照 スペインによる支配300年続いたが、18世紀後半ボルボン改革の後にメキシコ啓蒙時代迎えると、アメリカ独立戦争フランス革命影響され土着のクリオーリョたちの間に独立の気運高まった1794年にはフアン・ゲレーロの陰謀が、1799年にはマチェーテ陰謀発覚しこうしたクリオージョによる独立運動厳しく弾圧された。 1808年フランス帝国スペイン侵攻しナポレオン・ボナパルトは兄のジョゼフホセ1世としてスペイン王位に就けると、それに反発する民衆蜂起契機として、スペイン独立戦争始まったイスパノアメリカ植民地は同王への忠誠拒否し1809年にはキトラパスで、1810年にはカラカスブエノスアイレスサンティアゴ・デ・チレサンタフェ・デ・ボゴタ自治求めクリオージョフェルナンド7世への忠誠唱えて植民地政府ら行政権奪取しようと反乱起こしたメヒコ市でも1808年8月クリオージョ達が副王イトゥリガライを恫喝し自治求めて議会開いたが、これはガチュピンのクーデターによって破綻したこのため1810年9月16日ミゲル・イダルゴ司祭によってスペイン打倒の「ドローレスの叫び」が発表されメキシコ独立革命始まり長い戦い火蓋切られた。当初イダルゴ反乱は反スペイン人反乱だったが、インディオメスティーソ巻き込んだ大衆反乱となるうちにクリオージョ含んだ富裕な白人それ以外階級闘争となり、クリオージョイダルゴから離反したこのため8万人をも動員しながらメヒコ市攻略失敗し1811年1月イダルゴ捕らえられ7月反乱指導したことを悔いて処刑された。 しかし、イダルゴ部下だったメスティーソ神父ホセ・マリア・モレーロス民衆率いて戦い継続した。モレーロスはアカプルコオアハカなどの主要都市攻略し基盤築き1813年11月チルパンシンゴ議会メキシコ共和国独立宣言し1814年10月にはアパチンガン憲法制定したが、クリオージョ富裕層協力を得ることが出来なかったためにこれは挫折したナポレオン戦争終結するスペインイスパノアメリカ反乱の鎮圧本腰を入れしたために、スペイン軍アグスティン・デ・イトゥルビデによってモレーロスは敗れ1815年11月処刑された。以後当初指導者たちはほとんど処刑され以後独立運動グアダルーペ・ビクトリアビセンテ・ゲレーロなどが率い山間部での散発的なゲリラ部隊のみとなった。 遥か南で解放者シモン・ボリーバルホセ・デ・サン・マルティン諸国解放する中、黒人インディオメスティーソらの下層民衆による反乱恐れペルーアルト・ペルーキューバプエルトリコ中央アメリカメキシコクリオージョスペイン絶対王政維持しようとしていたが、1820年スペイン本国自由主義的なリエゴ革命勃発すると、王党派保守派クリオージョ本国採択され自由主義憲法に反発してスペインへの抵抗を叫ぶようになった。この時流をうまくつかんだクリオーリョ軍人アグスティン・デ・イトゥルビデメスティーソインディオを含む独立派ゲリラ軍と、保守的クリオーリョらを、「スペインへの反発独立志向」という共通点でまとめることに成功し副王以下の植民地軍屈服した1821年にはヌエバ・エスパーニャ副王領廃止されメキシコ独立達成した

※この「メキシコ独立戦争(1810年-1821年)」の解説は、「メキシコの歴史」の解説の一部です。
「メキシコ独立戦争(1810年-1821年)」を含む「メキシコの歴史」の記事については、「メキシコの歴史」の概要を参照ください。

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