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オスマン帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/09 01:23 UTC 版)

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オスマン帝国
دولتْ علیّه عثمانیّه
Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye
セルジューク朝
東ローマ帝国
モンゴル帝国
1299年 - 1922年
オスマン帝国の国旗 オスマン帝国の国章
(国旗) 国章
国の標語: دولت ابد مدت‎, Devlet-i Ebed-müddet
オスマン語: 永遠の国家)
国歌: オスマン帝国の国歌英語版
オスマン帝国の位置
オスマン帝国の最大領土(1683年)
公用語 オスマン語
首都 ソウト英語版
イェニシェヒル英語版(ブルサ近郊)
エディルネ
イスタンブル
皇帝
1281年 - 1326年 オスマン1世(初代)
1918年 - 1922年 メフメト6世(最後)
大宰相
1320年 - 1331年 アラエッディン・パシャ(初代)
1920年 - 1922年 アフメト・テヴフィク・パシャ(最後)
面積
1680年 5,500,000km²
人口
1856年 35,350,000人
1906年 20,884,000人
1914年 18,520,000人
1919年 14,629,000人
変遷
建国 1299年
コンスタンティノープルの陥落 1453年5月29日
第二次ウィーン包囲 1683年9月12日
青年トルコ人革命 1908年7月3日
滅亡 1922年11月17日
通貨 アクチェ
クルシュ
リラ
先代 次代
セルジューク朝 セルジューク朝
東ローマ帝国 東ローマ帝国
モンゴル帝国 モンゴル帝国
トルコ トルコ
ギリシャ共和国 ギリシャ共和国
フランス委任統治領シリア フランス委任統治領シリア
フランス委任統治領レバノン フランス委任統治領レバノン
イギリス委任統治領メソポタミア イギリス委任統治領メソポタミア
イギリス委任統治領パレスチナ イギリス委任統治領パレスチナ
ヒジャーズ王国 ヒジャーズ王国
ムハンマド・アリー朝 ムハンマド・アリー朝

オスマン帝国(オスマンていこく、オスマン語دولتْ علیّه عثمانیّه‎, Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyyeラテン文字転写)は、テュルク系(後のトルコ人)の帝室オスマン家皇帝とする多民族帝国で、現在のトルコの都市イスタンブル首都とし、最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナハンガリーチェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。

アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア北アフリカイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。17世紀末頃から衰退してその領土は蚕食されて急速に縮小。挽回を図り対ロシア攻略を主目的に第一次世界大戦に参戦したが、敗戦により帝国は事実上解体。20世紀初頭についに最後まで残っていた領土アナトリアから新しく生まれ出たトルコ民族国民国家トルコ共和国に取って代わられた。

その出現は西欧キリスト教世界にとって「オスマンの衝撃」であり、15世紀から16世紀にかけてその影響は大きかった。宗教改革にも間接的ながら影響を及ぼし、ハプスブルク帝国カール5世が持っていた西欧の統一とカトリック的世界帝国構築の夢を挫折させるその主要原因となった。そして、「トルコの脅威」に脅かされたハプスブルク帝国は「トルコ税」を新設、中世封建体制から絶対王政へ移行することになり、その促進剤としての役割を努めた[1]

目次


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注釈

  1. ^ 15世紀後半の古伝承によれば、トルコ系オグズ族のカユ部族が起源とされており、この説は1930年代に異論が出るまで主流であった[5]
  2. ^ キリスト教世界への聖戦に燃えたトルコ人騎士らがガーズィーを形成して東ローマ帝国内へ侵入を繰り返したとする説はキョプリュリュ=ヴィテック説と呼ばれる[8]
  3. ^ このオスマン率いる軍勢の中にはキリスト教系騎士も参加しており、アナトリア北西のハルマンカヤのギリシャ人領主であったキョセ・ミハルは生涯、オスマンと同盟を結んだ[9]。また、逆にトルコ系チョンバオール家はオスマンとの同盟を破って東ローマ帝国と同盟を結ぶなど、宗教、民族の枠を超えて活動していた[10]
  4. ^ この同盟はヨハネス6世カンタクゼノスが失脚することにより解消される[15]
  5. ^ 先代が死去するとスルタン位継承した王子が他の王子を殺害するという慣習。のちにこれは廃れて幽閉制へと移り代わり、年長者もしくは前スルタンの弟がスルタンを継承するようになった[25]
  6. ^ セルビア北部はセルビア侯の領有地とされ、セルビア侯ラザールの息子ラザーレヴィッチ英語版がデスポテース(公)に任命された[26]
  7. ^ エペイロスは当初従属国とされ、イタリア人専制公カルロ2世トッコ英語版が統治した。なお、エペイロスがオスマン帝国領となるのは1449年のこと[34]
  8. ^ この中でも地方に居住して徴税権を委ねられるシステムティマール制によって軍事奉仕義務を負った騎兵をスィパーヒーと呼ぶ。
  9. ^ この任命には様々な説があり、ひとつにはララという重職(セルジューク朝でいうアタ=ベク)に任命されるほどの人物であったということから任命されたという説とムラト1世が本来は息子のバヤズィト(後のバヤズィト1世)を任命するつもりであったが、幼少であったため、その繋ぎとしてシャーヒンを任命したとする説がある[87]
  10. ^ 一部の重要な都市を含むサンジャクのベイにはチェレビイ・スルターンと呼ばれる王子達が任命された[90]
  11. ^ 歴史家アーノルド・トインビーによる[108]
  12. ^ 一方の当事者がムスリム、非正教徒の非ムスリムの場合や、両方が正教徒であったとしても片方が望んだ場合はイスラーム法廷で裁かれた[117]

参照

  1. ^ 鈴木(2000)‎、p.130.
  2. ^ トルコと呼ぶべきでない理由について。新井2009、pp.24-27
  3. ^ 鈴木(2000)‎、pp.117-121.
  4. ^ 三橋(1966)‎、pp.22-23.
  5. ^ 鈴木(2000)、p.48.
  6. ^ a b 永田(2002)、p.174
  7. ^ a b c 桜井(2005)、p.223.
  8. ^ 林(1997)、p.6.
  9. ^ a b 林(1997)‎、p.9.
  10. ^ 林(1997)、p.10.
  11. ^ 鈴木1992、pp.30-33
  12. ^ 鈴木1992、p.36
  13. ^ 鈴木(2000)、p.48.
  14. ^ 鈴木1992、p.36
  15. ^ a b 林(1997)、p.12.
  16. ^ a b 林(1997)‎、p.11.
  17. ^ a b 桜井(2005)、p.206.
  18. ^ a b 桜井(2005)、p.233.
  19. ^ a b 桜井(2005)、p.224.
  20. ^ 鈴木1992、p.44
  21. ^ 林(1997)‎、p.13.
  22. ^ 鈴木1992、p.45
  23. ^ 桜井(2005)、p.227.
  24. ^ 鈴木1992、p.50・60-61
  25. ^ a b 林(1997)、p.16.
  26. ^ a b c d 矢田 (1977)‎、p.103.
  27. ^ 桜井(2005)、pp.206-207.
  28. ^ a b c 林(1997)‎、p.14.
  29. ^ 鈴木1992、pp.51-52
  30. ^ 永田(2002)‎、p.173
  31. ^ a b c 桜井(2005)、p.228.
  32. ^ a b 矢田 (1977)‎、pp.103-104.
  33. ^ 鈴木1992、pp.55-56
  34. ^ a b 桜井(2005)、p.207.
  35. ^ a b 矢田 (1977)‎、p.104.
  36. ^ 桜井(2005)、pp.207-208.
  37. ^ 鈴木1992、pp.65-74
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  39. ^ 桜井(2005)、p.208.
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  46. ^ a b c 永田(2002)‎、pp.236-240
  47. ^ 鈴木1992、p.124
  48. ^ 鈴木1992、pp.128-136
  49. ^ 鈴木1992、pp.137-138
  50. ^ 佐藤(2002)‎、p.329.
  51. ^ 鈴木(2000)‎、pp.127-128.
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  59. ^ 佐藤(2002)‎、pp.329-330.
  60. ^ 佐藤(2002)‎、p.330.
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  69. ^ 軍の西欧化と翻訳局について。新井2009、pp.42-43,87-88
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  72. ^ 新井2009、pp.86-87
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  74. ^ 新井2009、pp.172-175
  75. ^ 新井2009、pp.175,177
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  98. ^ 鈴木(2000)‎、pp.136-137.
  99. ^ 鈴木(2000)‎、p.137.
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  108. ^ 鈴木(2000)‎、p.131.
  109. ^ a b 桜井(2005)、p.239.
  110. ^ 鈴木(2000)‎、p.132.
  111. ^ 三橋(1966)‎、pp.140-141.
  112. ^ 三橋(1966)‎、p.141.
  113. ^ 三橋(1966)‎、pp.141-142.
  114. ^ 三橋(1966)‎、pp.142-143.
  115. ^ 桜井(2005)、p.240.
  116. ^ a b 桜井(2005)、p.241.
  117. ^ a b 桜井(2005)、p.242.
  118. ^ 松岡正剛による紹介


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