特急「はつかり」、寝台特急「はくつる」・「ゆうづる」の設定・発展
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「東北本線優等列車沿革」の記事における「特急「はつかり」、寝台特急「はくつる」・「ゆうづる」の設定・発展」の解説
1958年(昭和33年)10月1日 ダイヤ改正により上野 - 青森間常磐線経由で国鉄東京以北で初の特急列車となる「はつかり」(1・2列車)を新設。これにより「みちのく」の盛岡以北を不定期列車に格下げ。「はつかり」編成 1 2 3 4 5 6 7 8 スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 マシ35 ナロ10 ナロ10 スハフ43 備考 下り・上りとも1号車が先頭(機関車次位) 牽引機関車:上野 - 仙台C62・仙台 - 青森C61・盛岡 - 青森前補機C60 車両配置は尾久客車区(現・尾久車両センター) 食堂車は寝台特急「あさかぜ」で運用されていたマシ35 1 - 3を充当。1959年5月に収容力の大きなオシ17形へ置換え。 3等車は東海道・山陽本線特急「かもめ」で運用されていたものの博多地区での方向転換に時間が掛かりすぎることから、1957年6月5日に新造のナハ10系客車に代替されたスハ44・スハフ43・スハニ35形を整備・座席交換の上で転用。 停車駅と時刻 列車番号上野水戸平※注1仙台一ノ関盛岡尻内※注2青森下り1レ12:20 14:02 15:26 17:4317:48 19:18 20:4720:51 22:43 00:20 上り2レ17:00 15:22 13:59 11:3011:35 10:05 08:3408:38 06:42 05:00 備考 注1…現・いわき 注2…現・八戸 国鉄キハ80系気動車#特急「はつかり」と「日光型」準急用気動車の記事も参照 スハ44系客車が方向固定シートのため上野方・青森方で下記の方向転換ダイヤを設定上野17:20(推回5002)17:32尾久客車区10:52(回5003)11:06隅田川11:26(回5001)1139上野 青森00:40(回5004)00:44滝内信号場00:49(回5005)00:55青森操車場(現・青森信号場)03:50(回5002)03:57青森 1959年(昭和34年)9月 「北斗」を寝台車中心にした寝台列車化の編成変更を行い、「十和田」は座席車主体の組成に変更。 1960年(昭和35年)12月10日 「はつかり」使用車両を新開発のキハ81系気動車に置換え。日本初の気動車特急列車となった。当初は習熟運転と称し客車時代のダイヤで運転されたが、十分な試験走行を行わずに運転を開始したため初期故障が続発。新聞には「はつかりがっかり事故ばっかり」などと書き立てられた。 キハ81系「はつかり」編成 ← 上野 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 キハ81 キロ80 キロ80 キサシ80 キハ80 キハ80 キハ80 キハ80 キハ81 1961年(昭和36年)3月1日 「はつかり」は所要時間を10時間45分に短縮、「みちのく」の盛岡以北不定期区間を定期化。 同年10月1日 白紙ダイヤ改正により以下の変更。「はつかり」所要時間を10時間25分に短縮。 上野 - 青森間東北本線経由夜行急行「八甲田」1往復が運転開始。 「十和田」1往復増発の2往復に増強。 「北斗」に続いて「北上」も寝台列車化。 1963年(昭和38年)4月20日 「はつかり」を10両編成に増強。 1964年(昭和39年)10月1日 白紙ダイヤ改正を実施。「北上」を格上げする形で東北本線初の寝台特急「はくつる」(3・4列車)が品川客車区(後の品川運転所→1999年廃止)所属の20系客車で運転開始。「北上」の常磐線経由を東北本線経由に変更。「はくつる」編成 ← 上野 青森 → 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 カニ21 ナロネ21 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20 備考 牽引機関車:上野 - 黒磯EF58・黒磯 - 仙台ED71もしくはED75・仙台 - 青森C61・盛岡 - 青森前補機C60 停車駅と時刻 列車番号上野宇都宮黒磯郡山福島仙台一ノ関盛岡尻内青森下り3レ18:30 20:03 20:4820:53 21:50 22:32 23:4723:52 01:13 02:35 04:30 06:10 上り4レ10:20 08:46 07:5508:00 07:02 06:19 04:5805:13 03:37 02:19 00:23 22:40 1965年(昭和40年)10月1日 ダイヤ改正に伴い以下変更を実施。青函連絡船就役船の津軽丸型置換えに伴い運航時間を4時間30分から3時間50分に短縮。 「はくつる」は尾久客車区移管と12両編成に増強し、一ノ関が通過になる。共通運用として「北斗」を格上げする形で常磐線経由寝台特急「ゆうづる」(5・6列車)を運転開始。 20系「はくつる」「ゆうづる」編成 ← 上野 青森 → 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 カニ21 ナロネ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハフ20 備考 電源車はマニ20の場合がある。 牽引機関車「はくつる」:上野 - 黒磯EF58・黒磯 - 盛岡ED75・盛岡 - 青森DD51重連 「ゆうづる」:上野 - 平EF80・平 - 仙台C62・仙台 - 盛岡ED75・盛岡 - 青森DD51重連 停車駅と時刻 列車番号上野水戸平仙台盛岡尻内青森下り5レ21:30 23:22 00:3600:43 03:06 05:3605:45 07:34 09:05 上り6レ09:25 07:34 06:0406:11 03:50 01:0001:07 23:05 21:15 急行列車では以下の変更を実施。「みちのく」は上野発着東北各地への多層建て気動車急行として1往復増発され、従来より運行する客車列車は下り2号・上り1号となった。 常磐線経由不定期急行「おいらせ」を新設。 1968年(昭和43年)6月20日 「ゆうづる」の編成からA寝台1両を減車、座席車2両をB寝台車に振替とし全車寝台となる。 同年10月1日 「白紙ダイヤ改正」により以下の変更を実施。東北本線全線電化が完了。これに伴い、青森運転所(現・青森車両センター)に583系電車を新製配置し、キハ81系「はつかり」と20系客車「はくつる」「ゆうづる」を置換える形で充当。 「はつかり」は東北本線経由に変更し所要時間を8時間30分に短縮。増発して2往復とする。 583系「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」編成 ← 上野 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 クハネ581 サロ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サシ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ581 備考 クハネ581は1970年以降順次クハネ583に置換え。 「十和田」を格上げする形で20系客車「ゆうづる」も存続。583系と併せて2往復となるが、車両受持を尾久客車区から青森運転所に移管するとともに編成変更。座席車の連結が復活する。20系「ゆうづる」編成 ← 上野 青森 → 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 カニ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハ20 ナハフ20 備考 電源車はマニ20の場合がある。 牽引機関車:上野 - 水戸EF80・水戸 - 青森ED75(1000番台限定) 急行列車群列車愛称の以下に示す統合を実施。東北本線経由の「三陸」を「八甲田」に統合し、昼・夜行1往復ずつの2往復運行。 「みちのく」下り2号・上り1号を「十和田(下り・上り)1号」に統合・改称し「十和田」は昼行1往復・夜行4往復の5往復とする。 不定期急行「おいらせ」廃止。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 583系「はつかり」 485系「はつかり」(左)583系「はくつる」(右)1994年 青森 583系「はくつる」 EF80 29「ゆうづる」 583系「ゆうづる」 EF81 84「ゆうづる」(左)EF81 90「ゆうづる」(右) 583系「みちのく」 1969年(昭和44年)10月1日 「ゆうづる」20系客車で1往復増発。計3往復に。食堂車が4号車から6号車に。8号車のA寝台が10号車に連結位置変更。 1970年(昭和45年)8月 「ゆうづる」20系客車1往復を運休扱いとする。旧盆時期の急増する帰省客へ対応するための臨時列車として、「はつかり51号」が常磐線経由で運行。仙台 - 青森間の臨時特急「とうほく」を上野まで延長する形で運行されたが、多数の奥羽本線直通臨時列車が設定された東北本線経由ではなく、ダイヤに余裕があった常磐線経由で運行された。さらに定期列車の「はつかり」は東北本線経由で運行されていたことから、乗車後に福島・郡山等の東北本線各駅に停車しないことが判明する誤乗が相次いだため、同年末から1971年(昭和46年)1月の年末年始輸送時には「常磐はつかり」に列車名が変更され、1971年夏期からは東北本線経由となった。 同年10月 ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「八甲田」昼行列車1往復を支線区直通編成廃止の上「はつかり」に格上げ。「はつかり」は1往復増発されて3往復になる。 「十和田」1往復格上げの形で「ゆうづる」も電車で1往復増発。「十和田」は4往復(内昼行1往復)、「ゆうづる」は再び3往復に。 以後の上野 - 青森間夜行列車は、常磐線経由の「ゆうづる」が逐次増発されるが、これは東北本線上野 - 宇都宮間にいわゆる中距離電車(現:宇都宮線)が多数運行され、また上野 - 福島間にも奥羽本線経由の夜行列車を多数設定されていることから、ダイヤに余裕がなかったためとされる。 同年12月: 「ゆうづる」20系客車1往復の普通車指定席連結を中止。B寝台車に置換え。これにより20系客車のオリジナル普通車が形式消滅。 1971年(昭和46年)12月 - 1972年(昭和47年)1月 年末年始輸送対応として臨時寝台特急「はくつる51号」と「ゆうづる52号」が14系客車で運転される。 1972年2月:札幌オリンピック開催に伴い上野 - 青森間臨時特急「オリンピア1号」が583系電車で運行される。下りは上野 - 青森間を寝台特急電車として、上りは座席特急電車として運行。青函連絡船を介して函館 - 札幌間の「オリンピア2号」と接続。 同年3月15日 白紙ダイヤ改正により以下の変更を実施。「はつかり」1往復東京乗入れ。 「ゆうづる」583系電車で1往復増発の4往復運行。20系客車は10号車A寝台と2号車B寝台の連結位置を入換。 昼行「十和田1号」を格上げする形で常磐線経由特急「みちのく」1往復を583系電車で新設。 同年10月 「ゆうづる」秋田運転区(現・秋田総合車両センター南秋田センター)所属の20系客車で1往復増発し計5往復運行。 同年11月7日 北陸トンネル火災事故により「十和田」の食堂車(オシ17形)連結中止。 1973年3月 「はつかり」臨時1往復増発で4往復運行。増発分には前年に青森運転所へ新製配置された485系電車を初めて充当。これにより青森運転所所属の485系の東北本線経由の営業運転による定期列車での青森運転所への出入庫が可能となった。485系「はつかり」編成 ← 上野 青森 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 クハ481 サロ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 サシ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クハ481 同年4月 東北・上越新幹線建設工事に伴う東京 - 上野間の回送線使用停止措置により、「はつかり」の東京乗入れを中止。 同年10月 「はつかり」1往復増発ならびに臨時1往復定期化で5往復運行。 同年12月 「はくつる」「ゆうづる」の食堂車は翌年春までに順次営業を停止。客車列車では食堂車をB寝台車に置換え。 1975年(昭和50年)3月10日 ダイヤ白紙改正を実施。「ゆうづる」20系客車で2往復増発され、電車3往復・客車4往復で計7往復運行。なお、このダイヤ改正で、上りゆうづる4号(常磐線経由)が上り急行八甲田(東北本線経由)より所要時間が10分長い事が発覚、更に同じ特急でも「はつかり」と「ゆうづる」で、所要時間が2時間以上開きがある事が分かり、乗客などから国鉄に苦情が寄せられた。寝台セット解体用員である車掌補の不足から、583系電車1往復が全車座席車として運転された。 1976年(昭和51年)10月 20系客車「ゆうづる」4往復すべてを24系24形客車に置換え。前年3月以来座席車で運転されてきた583系電車「ゆうづる」1往復は全車寝台に復帰。また「十和田」下り1号・上り3号(上下共に季節列車)を14系客車に置換え。。 1977年(昭和52年)10月 「十和田」2号(下り・上り)を20系客車に置換え。ナロネ21形を普通車に格下げ改造したナハ21形を連結。。 1978年(昭和53年)10月2日 「白紙ダイヤ改正」により以下の変更を実施。首都圏での規格ダイヤ修正と停車駅増加により一部列車で所要時間が延伸された。 583系・485系共にグリーン車連結位置を2号車から6号車に変更。 「はつかり」1往復増発の6往復運行。 「はつかり」「みちのく」に普通車自由席を設置し、「はつかり」をエル特急に指定。 「ゆうづる」秋田運転区担当分を尾久客車区所属の14系客車に置換え。 本改正時の直通列車停車駅 列車によって停車駅は異なる・【】は急行停車駅、他は特急停車駅。「はつかり」・「はくつる」・「八甲田」 上野 - 大宮 - 【小山】 - 宇都宮 - 【西那須野】 - 【黒磯】 - 【白河】 - 【須賀川(上りのみ)】 - 郡山 - 福島 - 【白石】 - 仙台 - 【塩釜】 - 小牛田 - 一ノ関 - 水沢 - 北上 - 花巻 - 盛岡 - 一戸 - 北福岡(現・二戸) - 三戸 - 八戸 - 三沢 - 野辺地 - 浅虫 - 青森 「みちのく」・「ゆうづる」・「十和田」 上野 - 【土浦】 - 水戸 - 日立 - 湯本 - 平(現・いわき) - 【小高(下り十和田5号)】 - 原ノ町 - 【相馬】 - 仙台 - 【塩釜】 - 小牛田 - 【瀬峰】 - 【石越】 - 一ノ関 - 【前沢】 - 水沢 - 北上 - 花巻 - 盛岡 - 【好摩】 - 【沼宮内(現・いわて沼宮内)】 - 一戸 - 北福岡 - 三戸 - 八戸 - 三沢 - 野辺地 - 【小湊】 - 【浅虫】 - 青森 1979年(昭和54年)4月 「八甲田」を12系客車に置換え。 同年10月 「十和田」下り5号・上り2号を12系客車に置換え。これにより上野 - 青森間東北・常磐線客車急行から在来型客車が運用から撤退し、グリーン車が消滅。 1980年(昭和55年)10月1日 ダイヤ改正で、「ゆうづる」583系電車1往復、14系客車1往復の計2往復を季節列車に格下げ。定期残存の客車3往復中2往復は東北地区初の2段B寝台24系25形客車に置換え。24系24形客車(3段B寝台)残存の1往復は、A寝台車の連結中止。
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