特急「にちりん」の登場とその周辺列車群
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「にちりん (列車)」の記事における「特急「にちりん」の登場とその周辺列車群」の解説
1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、以下のように変更する。「にちりん」をキハ80系気動車を使用した特急に昇格。 「日南」の列車名が京阪神対日豊本線夜行急行に用いられる。これにより列車名を「南風(なんぷう)」に変更する。 「しいば」が「南風」に統合。 「ゆのか」が博多駅 - 大分駅間を運行する急行列車の総称名となる。これにより、「きじま」名称廃止。また、前1967年に幸崎駅まで電化したことから、一部列車に475系電車を用いるようになる。 「べっぷ」が博多駅を境に運行系統を分割。博多駅以東を「ゆのか」に統合。 1972年(昭和47年)3月15日:このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「南風」の列車名称を土讃本線特急列車の名称に用いることから、列車名称を「しいば」に変更する。 従来門司港駅 - 西鹿児島駅間を運行していた夜行普通列車を急行列車に格上げし、「みやざき」の愛称を与える。 4月27日:「にちりん」の博多駅 - 大分駅間(鹿児島本線・日豊本線経由)において485系電車を使用し1往復増発し2往復(電車1往復・気動車1往復)となるが、増発分の大分発着「にちりん」の食堂車は営業休止のまま連結。 1973年(昭和48年)10月1日:「フェニックス」の宮崎発列車の行き先を西鹿児島駅から博多駅に変更。 1974年(昭和49年)4月25日:日豊本線幸崎駅 - 南宮崎駅間電化に伴い、「にちりん」の博多駅 - 大分駅系統の運行区間を宮崎駅まで延長。運行区間を博多駅 - 宮崎駅間に変更。延長前に営業休止の食堂車が営業を開始。気動車特急「おおよど」 新設により編成を共通運用化させる為に西鹿児島発着「にちりん」の食堂車が編成から外れる。 11月1日:新幹線「ひかり」食堂車従業員確保で宮崎駅発着の「にちりん」の食堂車営業を終了。 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線岡山駅 - 博多駅開通にともなうダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「にちりん」がエル特急に指定される。6往復増発し8往復(電車7往復・気動車1往復)となる。同時に山陽新幹線岡山駅 - 博多駅開業にともない、小倉駅にて新幹線に接続する列車となる。運行区間:博多駅・小倉駅 - 大分駅・宮崎駅間(485系)、博多駅 - 西鹿児島駅間(キハ80系) 「ゆのか」を博多駅 - 小倉駅 - 大分駅間の急行列車に統一。熊本駅乗り入れを廃止し、山陽線直通の「べっぷ」の日豊本線内の系統も吸収する。 門司港駅・小倉駅・別府駅 - 宮崎駅・西鹿児島間運行の急行として「日南」を設定。これにより、「フェニックス」「青島」「高千穂」「みやざき」として運行されていた日豊本線内急行の名称は廃止。 宮崎駅 - 西鹿児島駅間の急行列車は、「しいば」を除き、「錦江」に統一。山陽線直通の「青島」は「日南」と「錦江」に分割される。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正により、以下のように変更する。「にちりん」使用のクハ481形200番台の列車名幕に太陽を図案化したイラストマークが採用される。 「しいば」の列車名称を「日南」に変更。 1979年(昭和54年)10月1日:日豊本線全線電化。「錦江」1往復を格上げし西鹿児島駅発着系統を1往復電車列車で増発。ただし従前より運行の西鹿児島駅発着系統の「にちりん」の1往復は「おおよど」と車両を共通運用するためキハ80系気動車のままで運行。 1980年(昭和55年)10月1日:「にちりん」でのキハ80系気動車の使用を終了、全列車が電車化される(共通運用を組んでいた「おおよど」は廃止)。同時に「彗星」の間合い運用で583系電車による運行を開始。また、別府発西鹿児島行きの「にちりん」1号が設定された。このとき、昼行急行「日南」・「ゆのか」は大幅削減されたが、特急への統一を前提に一部が残された(このため「日南」の一部は博多駅に乗り入れた)。その際、それらを格上げして運転されると想定した「にちりん」と実際に運転される「にちりん」を通しで付番したため、「にちりん」の号数に欠番が生じた。
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