特急「しおかぜ」設定後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 22:54 UTC 版)
「いしづち (列車)」の記事における「特急「しおかぜ」設定後」の解説
1972年(昭和47年)3月15日:山陽新幹線開業に伴うダイヤ改正。「南風」とともに、四国初の特急列車として「しおかぜ」3往復運行開始。運行区間・本数は高松駅 - 宇和島駅間2往復、高松駅 - 松山駅間1往復。 当時、運転曲線が急行列車とほとんど同一だったので、途中停車駅を新居浜駅・今治駅・松山駅・伊予大洲駅または八幡浜駅(千鳥停車)に絞り、高松駅 - 宇和島駅間の所要時間は4時間35分で運行した。 「いよ」は運転時間・運行区間を見直し、高松駅 - 松山駅間5往復とした。 1975年(昭和50年)3月10日:このときのダイヤ改正により、運行体系を変更。すべての特急・急行列車が観音寺駅・伊予大洲駅・卯之町駅に停車するようになる。 急行列車の運行体系を、次のように変更。なお、「うわじま」・「いよ」の総運行本数に変更はなかった。「うわじま」下り1本の高松駅 → 松山駅間を廃止。また、2往復を八幡浜駅 - 宇和島駅間で普通列車に格下げ。 「いよ」上り1本の松山駅 → 伊予西条駅間を廃止。 1977年(昭和52年)3月15日:「うわじま」を格上げする形で「しおかぜ」を高松駅 - 宇和島駅間1往復増発。「しおかぜ」が4往復、「うわじま」が7往復(このうち1往復は夜行列車)とした。 1980年(昭和55年)10月1日:「うわじま」・「いよ」の運行区間・運転時間を見直し。「うわじま」は1往復運行区間を短縮し6往復となる。高松駅発着は下り5本・上り7本(このうち1往復は夜行列車)、また、上り1本及び夜行列車1往復は八幡浜駅 - 宇和島駅間普通列車。伊予西条・松山発各下り1本、合計6往復。 「いよ」は伊予西条発上り1本を含む下り6本、上り4本とした。 グリーン車の利用客数減少に伴い、四国内運行の急行列車からグリーン車の設定を廃止。しかし、旧グリーン車であるキロ28形は急行列車の利用促進を行うため、座席等の変更をせず車両形式上キハ28形5000・5200番台として普通車に格下げ、座席指定席として運用した。 1982年(昭和57年)11月15日:「うわじま」・「いよ」の運行区間・運転時間を見直し。「うわじま」は下り1本の運行区間を短縮し、「いよ」とする。「うわじま」が下り5本、上り6本とし、「いよ」は下り7本、上り4本とする。なお、このとき夜行列車として運行していた「うわじま4号」の普通列車区間を松山駅まで拡大。「いよ2号」に変更する。 1985年(昭和60年)3月14日:「いよ」の1往復廃止。下り6本、上り4本とする。なお、夜行列車「いよ2号」は廃止。 1986年(昭和61年)3月3日:内山線(予讃本線の向井原駅 - 内子駅経由 - 伊予大洲駅間短絡ルート)全通に伴い、従来伊予長浜駅を経由していた特急・急行列車は内子駅経由に変更。なお、運行本数に従前のそれとの変更はなかったが、所要時間は約10分短縮された。 11月1日:このときのダイヤ改正により、次のように変更。キハ185系気動車の登場により、急行「いよ」・「うわじま」を格上げする形で「しおかぜ」を9往復増発し、13往復運転とする。このうち、高松駅 - 宇和島駅間5往復運行。同時に「エル特急」に指定。ちなみに、気動車特急のエル特急指定は「やくも」の電車化による気動車列車廃止以来、4年4ヶ月ぶりとなった。 特急列車の一部が豊浜駅・三津浜駅・伊予吉田駅に停車するようになる。 「うわじま」2往復廃止。「うわじま」下り3本、上り4本の運行とした。「うわじま」上り列車は今治行き1本を除き松山行きとし、下りは「うわじま」1号は高松発宇和島行き(八幡浜駅から終点の宇和島駅までは普通列車)、新居浜発「うわじま」3号、松山発「うわじま」5号とした。 なお、夜行列車であった「うわじま」1号の末期は宇高連絡船最終便に接続する形で運行されていたため、高松駅0時台に出発して運行されていた。 「いよ」は下り5本、上り3本を廃止。これにより、「いよ」は1往復のみになる。 1987年(昭和62年)3月23日:高松駅 - 松山駅間高速化(最高速度110km/h)。
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