放送の進行とは? わかりやすく解説

放送の進行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:14 UTC 版)

NHK紅白歌合戦」の記事における「放送の進行」の解説

番組オープニングおよびエンディングでは、歌手全員ステージ登場するかつてはオープニングでステージ向かって出場歌手入場行進1980年代の回ではそれと共に出場歌手一組ずつ紹介をすることが基本であり、放送開始から第32回1981年)、第36回1985年) - 第38回1987年)、第40回1989年)、第43回1992年)、第47回1996年)、第48回1997年)は「乾杯の歌」を入場行進曲に使用していた。 タレントの両組司会は、オープニングは両組の色の晴れ着姿で登場する総合司会は、男性アナウンサー場合スーツ女性アナウンサー場合ドレス着用する以降スーツ場合除き数度衣装替えがある)。各司会紹介経てそのまま最初歌手曲紹介へと入る。 原則として紅・白両組の歌手1組ずつ対決する形式である。歌唱時間1回につき1組3分程度定番だが、その回の目玉歌手楽曲においては優遇され最長では10分近いこともある。一方で、さほどトピックスのない歌手場合は2分弱まで短縮される。両組間の順番途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる2000年代以降はこの対戦形式原則入らない事例多くなり、対戦途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手演出上の対戦相手異なる例、正規対戦歌手カウントされいながら対戦組み込まれる例などがある。さらに演出上、別々に出場したソロ歌手グループ組んで1パッケージ登場することもあり、これらが原因両軍出場者数が異なる年もある。 4組程度歌唱終わったところで、原則総合司会アナウンサーゲスト審査員紹介、また審査方法総合テレビ生中継以外のメディア展開(ラジオブースや裏トークチャンネル、パブリックビューイングなど)を説明する司会定位置舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介やほかの出演者とのトークを行う。舞台紅組が下手、白組上手に割り当てられており(第4回1953年〉のみ逆)、番組前期曲紹介両方花道別々に行われていたが、NHKホール楽屋が下手側にあるため、のちに白組最初最後2組程度以外は下手側で行うようになった以降原則両組司会番組進行担当し総合司会アナウンサー要所要所両者進行補助する原則出演歌手中継含めて生放送内で歌唱するが、録画出演もまれに行われる舞台転換ステージ演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用長時間費やすこともある。3Dマッピングなど、最新映像技術駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子美川憲一筆頭に、晴れ紅白のために多額自己負担をする場合がある(福山雅治オーダーメイド衣装のため、持ち出し多く赤字だと明かしている)。 歌の間にはその年のトレンドテーマ沿ったコーナーがあり、歌手有志参加するNHK人気番組取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなん演出が行われることもある。また、正規ステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に1990年代以降では、視聴率都合上人気の高いポップス歌手随所登場させる(演歌歌手演出としてのバックダンサーなど)演出なされる。その年に亡くなった著名人追悼企画が行われることも多い。 会場観覧者にはペンライトLEDライトリアルタイムARシステムサイリューム造花お面などの小道具配られ番組側の指示などに従って演出参加する出場歌手にもペンライト配ってステージ上で使用させることもある。 その年内をもって引退休業発表した歌手解散・活動休止決定したバンド・グループ選出され場合、「ラストステージ」として注目される歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白最後の舞台として選択されやすい。 両組最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」、司会者によっては曲紹介時に歌い納めと言う。)として、特別に注目を集める通常ベテラン大御所呼ばれる歌手選出される。まれに若手歌手選出されると、「大抜擢」と表現される最後の数組の歌唱の際には、出場歌手両方花道に並ぶ。 トリ番組初期演歌流行していたこともあり、長らく演歌歌手独占していた。初めて両組ともにポップス歌手から起用されたのは、演歌記録的に不作であった第29回1978年)の山口百恵沢田研二である(山口百恵当時19歳であり史上最年少)。その後演歌人気低下してもこの傾向変わらず、また演歌歌手出演歌手中「大御所」の位置にあったため、トリを飾るには違和感がなかったこともある。ポップス歌手トリ増えたのは、演歌歌手出場減った2000年代後半からである。ポップス歌手においても、DREAMS COME TRUE髙橋真梨子松田聖子など、ベテラン歌手起用が多い。 トリ歌手は「ソロ歌手なくてはいけない」という慣例存在したとされる第43回1992年)にトリをとった由紀さおりは、例年安田祥子とのデュエットでの出場定番だったが、この年のみソロ出場している(安田コーラスに回る)。グループでのトリは、第54回2003年)のSMAP最初である。白組ソロ歌手以外で務めたのはSMAP、嵐 、ゆずの3組のみで、紅組ソロ歌手以外でトリ務めたのはDREAMS COME TRUEいきものがかりのみで、いずれも男女混合グループである。女性のみで構成されるグループ乃木坂46はじめとする坂道シリーズなど)のトリ未だ実現していない。 中継出演解禁されてからも中継出演者トリをとった前例はなく、「トリ会場歌唱者が務める」との不文律もあるとされる第35回1984年)で引退最後のステージとして都はるみ大トリ務めた際、歌唱後に会場からアンコールが行われ、特別にリストにはない2曲目披露された。 演歌・歌謡曲大トリ楽曲となる時にはアウトロ華やかなファンファーレになるよう編曲されている。 第56回2005年)まではこのファンファーレ演奏後、短いファンファーレと共に両方花道にいた出場歌手大トリ歌手拍手送りながら中央集合していた。 第64回2013年)ではトリ変則的で、正規トリとして髙橋真梨子SMAP歌唱後に、同回で勇退北島三郎ステージ(「究極大トリ」と位置づけられた)となった第69回2018年)では正規トリとして石川さゆり・嵐の歌唱後に、特別出演するサザンオールスターズステージ前述北島同様、「究極大トリ」との位置づけとなった勝敗ゲスト審査員会場観客および地上デジタルテレビ放送双方向システム携帯電話利用した視聴者投票決定する審査その結果発表方式は回によって異なる。長らくは、全歌手歌唱後のゲスト審査員観客投票決まっていたが、21世紀に入ると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時合わせて2度)。一般視聴者の票は集計時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会アナウンサー投票呼びかけ2組歌唱中に投票集計ニュース直前結果表示する最終投票時、第59回2008年以降は、投票中にハイライト」として、全歌手歌唱シーンダイジェスト1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る。投票中に審査員ゲスト含め会場にいる出演者全員労働基準法の関係上、実際にステージ上にいるのは18歳上の出演者に限る)がステージ上に上がる優勝勝利チーム決定すると、テレビ画面には「○組優勝!!」の字幕スーパー出て天井から大量紙吹雪ステージ一杯に降る(第19回1968年)から。第19回風船一緒に降っていた。ちなみに初期のころはステージ紙テープ投げたり天井から紙テープのみが降ったり(第14回1963年) - 第18回1967年))、くす玉割れて紙吹雪紙テープ風船が降る演出第6回1955年)・第11回1960年) - 第12回1961年))があった。テレビ番組での先駆けである)。ただ、2000年代ごろからは紙吹雪優勝決定時には降らずエンディングの「蛍の光」の場面で降る。そして、優勝組の司会者キャプテン)に優勝旗授与される優勝旗授与を行う人物は回によって異なる。大抵はゲスト審査員のうちの1人)。また、この優勝旗には歴代の優勝チームの色のリボン飾られている。1950年代ごろは、優勝チーム決定した直後軍歌凱旋」が合唱されるのが恒例だった。 フィナーレ第4回以降1960年代前半一部の回を除き蛍の光」を出演者出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト合唱団など)ならびに会場観客で大合唱されることが恒例である。この場面のみに指揮者として参加する音楽家がいる。 藤山一郎は、逝去する前年第43回1992年)まで合唱指揮者務めた第22回1971年)は岩城宏之務めたが、総合指揮者として藤山出演)。 藤山逝去後第44回1993年)から第56回2005年)まで宮川泰務めた宮川逝去後第57回2006年)から第67回2016年)まで平尾昌晃務めた平尾逝去後第68回2017年)は都倉俊一指揮務める。 「蛍の光」の演奏は、1980年代までは回によって2番まで歌ったり(特に第33回1982年)までの回と第50回1999年))、1番を2回繰り返したりした年(第35回1984年)、第37回1986年)、第38回1987年)、第41回1990年))もあれば、一度エンディング生演奏締めた後、放送入らない部分含めてアップテンポ曲調もう一度演奏行った回(第33回1982年)・第36回1985年)・第37回1986年)・第40回1989年)・第43回1992年)・第44回1993年)・第50回1999年終了後の「カウントダウンスペシャル」など)もある。第41回1990年)・第42回1991年)は演奏一度締めた後に「第九」をアレンジした曲を流している。 1990年まではステージにいるオーケストラ実際に指揮をしていたが、オーケストラを必要としない歌手増えた1991年以降ステージ出場歌手観客向けてパフォーマンスになった。 「蛍の光」大合唱が終わると番組オリジナルアレンジの大エンディング生演奏放送開始 - 第31回1980年)は、かなり暗めのアレンジで、ステージングステージにいる出演者会場観覧者一人一本ずつ配布されペンライト照明のみというもの、第34回1983年) - 第37回1986年)、第38回1987年) - 第42回1991年)はほぼ同じエンディングアレンジを前者4年連続後者5年連続での流用続き第45回1994年) - 第51回2000年)、第53回2002年)、第64回2013年) - 第67回2016年)、第69回2018年)、第71回2020年)、第72回2021年)の通算15回と、第52回2001年)、第56回2005年)、第58回2007年)の通算3回に関しては、前者後者共に全く同じエンディングアレンジが流用され、その年その年で全く違った新規のエンディングアレンジが個別設けられたのは、第32回1981年)、第33回1982年)、第43回1992年)、第44回1993年)、第57回2006年)、第59回2008年) - 第63回2012年)(それぞれの年で別々のアレンジ施された期間が5年連続続いた)、第68回2017年)、第70回2019年)のみとなっている。また、第64回2013年以降第68回2017年)と第70回2019年)を除いて第九」を織り交ぜたアレンジになっていることが多くなっている)が約20 - 30秒流れ締め単音流れ単音が3音連続続いた第61回2010年) - 第63回2012年)、第68回2017年)を除く)、曲終わりでの余韻残したあとにステージ演出ミサイルクラッカーステージ上手、下手か客席上に打ち上げられ、そこで番組終了する

※この「放送の進行」の解説は、「NHK紅白歌合戦」の解説の一部です。
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