放送の進行
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番組のオープニングおよびエンディングでは、歌手全員がステージに登場する。かつてはオープニングではステージに向かって出場歌手が入場行進・1980年代の回ではそれと共に出場歌手を一組ずつ紹介をすることが基本であり、放送開始から第32回(1981年)、第36回(1985年) - 第38回(1987年)、第40回(1989年)、第43回(1992年)、第47回(1996年)、第48回(1997年)は「乾杯の歌」を入場行進曲に使用していた。 タレントの両組司会は、オープニングは両組の色の晴れ着姿で登場する。総合司会は、男性アナウンサーの場合はスーツ、女性アナウンサーの場合はドレスを着用する(以降、スーツの場合を除き数度の衣装替えがある)。各司会の紹介を経て、そのまま最初の歌手の曲紹介へと入る。 原則として、紅・白両組の歌手が1組ずつ対決する形式である。歌唱時間は1回につき1組3分程度が定番だが、その回の目玉の歌手、楽曲においては優遇され、最長では10分近いこともある。一方で、さほどトピックスのない歌手の場合は2分弱まで短縮される。両組間の順番が途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる。 2000年代以降はこの対戦形式の原則に入らない事例も多くなり、対戦の途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手と演出上の対戦相手が異なる例、正規の対戦歌手とカウントされないながらも対戦枠に組み込まれる例などがある。さらに演出上、別々に出場したソロ歌手やグループが組んで1パッケージで登場することもあり、これらが原因で両軍で出場者数が異なる年もある。 4組程度の歌唱が終わったところで、原則総合司会のアナウンサーがゲスト審査員を紹介、また審査方法や総合テレビの生中継以外のメディア展開(ラジオブースや裏トークチャンネル、パブリックビューイングなど)を説明する。司会の定位置は舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介やほかの出演者とのトークを行う。舞台は紅組が下手、白組が上手に割り当てられており(第4回〈1953年〉のみ逆)、番組前期は曲紹介も両方の花道で別々に行われていたが、NHKホールは楽屋が下手側にあるため、のちに白組も最初と最後の2組程度以外は下手側で行うようになった。以降原則両組司会が番組進行を担当し、総合司会のアナウンサーは要所要所で両者の進行を補助する。 原則出演歌手は中継も含めて生放送内で歌唱するが、録画出演もまれに行われる。 舞台転換やステージの演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用や長時間を費やすこともある。3Dマッピングなど、最新の映像技術も駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子と美川憲一を筆頭に、晴れの紅白のために多額の自己負担をする場合がある(福山雅治はオーダーメイドの衣装のため、持ち出しが多く、赤字だと明かしている)。 歌の間にはその年のトレンドやテーマに沿ったコーナーがあり、歌手有志が参加する。NHKの人気番組が取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなんだ演出が行われることもある。また、正規のステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に1990年代以降では、視聴率の都合上、人気の高いポップス歌手を随所に登場させる(演歌歌手の演出としてのバックダンサーなど)演出がなされる。その年に亡くなった著名人の追悼企画が行われることも多い。 会場の観覧者にはペンライト、LEDライト、リアルタイムARシステム、サイリューム、造花、お面などの小道具が配られ、番組側の指示などに従って演出に参加する。出場歌手にもペンライトを配って、ステージ上で使用させることもある。 その年内をもっての引退・休業を発表した歌手や解散・活動休止を決定したバンド・グループが選出された場合、「ラストステージ」として注目される。歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白が最後の舞台として選択されやすい。 両組最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」、司会者によっては曲紹介時に「歌い納め」と言う。)として、特別に注目を集める。通常、ベテラン、大御所と呼ばれる歌手が選出される。まれに若手歌手が選出されると、「大抜擢」と表現される。最後の数組の歌唱の際には、出場歌手も両方の花道に並ぶ。 トリは番組初期は演歌が流行していたこともあり、長らく演歌歌手が独占していた。初めて両組ともにポップス歌手から起用されたのは、演歌が記録的に不作であった第29回(1978年)の山口百恵と沢田研二である(山口百恵は当時19歳であり史上最年少)。その後、演歌の人気が低下してもこの傾向は変わらず、また演歌歌手も出演歌手中「大御所」の位置にあったため、トリを飾るには違和感がなかったこともある。ポップス歌手のトリが増えたのは、演歌歌手の出場が減った2000年代後半からである。ポップス歌手においても、DREAMS COME TRUE、髙橋真梨子、松田聖子など、ベテラン歌手の起用が多い。 トリ歌手は「ソロ歌手でなくてはいけない」という慣例が存在したとされる。第43回(1992年)にトリをとった由紀さおりは、例年安田祥子とのデュエットでの出場が定番だったが、この年のみソロで出場している(安田はコーラスに回る)。グループでのトリは、第54回(2003年)のSMAPが最初である。白組でソロ歌手以外で務めたのはSMAP、嵐 、ゆずの3組のみで、紅組でソロ歌手以外でトリを務めたのはDREAMS COME TRUEといきものがかりのみで、いずれも男女混合グループである。女性のみで構成されるグループ(乃木坂46をはじめとする坂道シリーズなど)のトリは未だ実現していない。 中継出演が解禁されてからも中継出演者がトリをとった前例はなく、「トリは会場歌唱者が務める」との不文律もあるとされる 。 第35回(1984年)で引退前最後のステージとして都はるみが大トリを務めた際、歌唱後に会場からアンコールが行われ、特別にリストにはない2曲目が披露された。 演歌・歌謡曲が大トリの楽曲となる時には、アウトロが華やかなファンファーレになるよう編曲されている。 第56回(2005年)まではこのファンファーレの演奏後、短いファンファーレと共に両方の花道にいた出場歌手が大トリの歌手に拍手を送りながら中央へ集合していた。 第64回(2013年)ではトリが変則的で、正規のトリとして髙橋真梨子・SMAPの歌唱後に、同回で勇退の北島三郎のステージ(「究極の大トリ」と位置づけられた)となった。 第69回(2018年)では正規のトリとして石川さゆり・嵐の歌唱後に、特別出演するサザンオールスターズのステージ(前述の北島同様、「究極の大トリ」との位置づけ)となった。 勝敗はゲスト審査員と会場の観客および地上デジタルテレビ放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。長らくは、全歌手の歌唱後のゲスト審査員と観客の投票で決まっていたが、21世紀に入ると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時と合わせて2度)。一般視聴者の票は集計に時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会のアナウンサーが投票を呼びかけ、2組の歌唱中に投票と集計、ニュース直前に結果を表示する。最終投票時、第59回(2008年)以降は、投票中に「ハイライト」として、全歌手の歌唱シーンのダイジェスト(1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る。投票中に、審査員やゲストを含め会場にいる出演者全員(労働基準法の関係上、実際にステージ上にいるのは18歳以上の出演者に限る)がステージ上に上がる。 優勝(勝利)チームが決定すると、テレビ画面には「○組優勝!!」の字幕スーパーが出て、天井から大量の紙吹雪がステージ一杯に降る(第19回(1968年)から。第19回は風船も一緒に降っていた。ちなみに初期のころはステージに紙テープを投げたり、天井から紙テープのみが降ったり(第14回(1963年) - 第18回(1967年))、くす玉が割れて、紙吹雪・紙テープ・風船が降る演出(第6回(1955年)・第11回(1960年) - 第12回(1961年))があった。テレビ番組での先駆けである)。ただ、2000年代ごろからは紙吹雪が優勝決定時には降らず、エンディングの「蛍の光」の場面で降る。そして、優勝組の司会者(キャプテン)に優勝旗が授与される(優勝旗授与を行う人物は回によって異なる。大抵はゲスト審査員のうちの1人)。また、この優勝旗には歴代の優勝チームの色のリボンが飾られている。1950年代ごろは、優勝チームが決定した直後に軍歌「凱旋」が合唱されるのが恒例だった。 フィナーレは第4回以降、1960年代前半の一部の回を除き「蛍の光」を出演者(出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト・合唱団など)ならびに会場の観客で大合唱されることが恒例である。この場面のみに指揮者として参加する音楽家がいる。 藤山一郎は、逝去する前年の第43回(1992年)まで合唱の指揮者を務めた(第22回(1971年)は岩城宏之が務めたが、総合指揮者として藤山も出演)。 藤山の逝去後、第44回(1993年)から第56回(2005年)まで宮川泰が務めた。 宮川の逝去後、第57回(2006年)から第67回(2016年)まで平尾昌晃が務めた。 平尾の逝去後、第68回(2017年)は都倉俊一が指揮を務める。 「蛍の光」の演奏は、1980年代までは回によって2番まで歌ったり(特に第33回(1982年)までの回と第50回(1999年))、1番を2回繰り返したりした年(第35回(1984年)、第37回(1986年)、第38回(1987年)、第41回(1990年))もあれば、一度大エンディング生演奏で締めた後、放送に入らない部分も含めてアップテンポの曲調でもう一度演奏を行った回(第33回(1982年)・第36回(1985年)・第37回(1986年)・第40回(1989年)・第43回(1992年)・第44回(1993年)・第50回(1999年)終了後の「カウントダウンスペシャル」など)もある。第41回(1990年)・第42回(1991年)は演奏を一度締めた後に「第九」をアレンジした曲を流している。 1990年まではステージにいるオーケストラに実際に指揮をしていたが、オーケストラを必要としない歌手が増えた1991年以降はステージの出場歌手と観客に向けてのパフォーマンスになった。 「蛍の光」大合唱が終わると番組オリジナルアレンジの大エンディング生演奏(放送開始 - 第31回(1980年)は、かなり暗めのアレンジで、ステージングもステージにいる出演者と会場の観覧者に一人一本ずつ配布されたペンライト照明のみというもの、第34回(1983年) - 第37回(1986年)、第38回(1987年) - 第42回(1991年)はほぼ同じエンディングアレンジを前者は4年連続、後者は5年連続での流用が続き、第45回(1994年) - 第51回(2000年)、第53回(2002年)、第64回(2013年) - 第67回(2016年)、第69回(2018年)、第71回(2020年)、第72回(2021年)の通算15回と、第52回(2001年)、第56回(2005年)、第58回(2007年)の通算3回に関しては、前者後者共に全く同じエンディングアレンジが流用され、その年その年で全く違った新規のエンディングアレンジが個別で設けられたのは、第32回(1981年)、第33回(1982年)、第43回(1992年)、第44回(1993年)、第57回(2006年)、第59回(2008年) - 第63回(2012年)(それぞれの年で別々のアレンジが施された期間が5年連続で続いた)、第68回(2017年)、第70回(2019年)のみとなっている。また、第64回(2013年)以降、第68回(2017年)と第70回(2019年)を除いて「第九」を織り交ぜたアレンジになっていることが多くなっている)が約20 - 30秒程流れ、締めに単音が流れ(単音が3音連続で続いた第61回(2010年) - 第63回(2012年)、第68回(2017年)を除く)、曲終わりでの余韻を残したあとにステージ演出用ミサイル型クラッカーがステージ上手、下手から客席上に打ち上げられ、そこで番組が終了する。
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