主な使用楽器
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デイヴィスは長い間多くのギターを演奏してきたが、その中で最も有名なのはギブソン・フライングVである。デイヴィスは1965年にそれを購入し、すぐにライヴやテレビのパフォーマンスで使用し始めた。デイヴィスは、当時フライングVを演奏した数少ないギタリストの1人であった。その期間、1958年のテストリリースで関心がなかったために問題が発生し、モデルに番号が付けられた。ロニー・マック、ジミ・ヘンドリックス、アルバート・キング、デイヴィスなどのギタリスト自身が楽器への関心をかき立てるのを助け、最終的にはヘヴィメタル時代の代表的なギターの1つとなった。 デイヴィスはフライングVについて以下のようにコメントしている。: 僕はかつてギルドの特注ギターを演奏していたが、航空会社が64年か65年の最初のアメリカツアーでそれを紛失した。...僕はすぐに代わりを手に入れなければならなかった。僕は店に行ったが、僕が好きなものを何も持っていなかった。僕はほこりっぽい古いギターケースを見て、「何が入っているの?」と聞いた。店員は「ああ、それはただのばかげた古いギターだ」と言った。彼はそれをケースから出し、僕はそれを約60ドルで購入した。 デイヴィスはそのキャリアを通して他の多くのギターを弾いてきた。彼は、P90ピックアップを搭載した「ゴールドトップ」モデルやブラックの'78モデルなど、ギブソン・レスポールのいくつかのモデルを長年にわたってプレイしてきた。ウェブサイトで彼は以下のギターをリストアップしている。: ギブソン・レスポール - スタンダード、カスタム、デラックス、アーティザン、ゴールドトップモデル フェンダー・エリート・テレキャスター フェンダー・アメリカン・スタンダード・テレキャスター '63 フェンダー・テレキャスター・サンバースト(レイが所有、1967年から1969年の間にデイヴのメインギターとして使用) '54 フェンダー・ストラトキャスター ギブソン・フライングV ギブソン L5-S ギブソン L6-S ギルド F-512 NT 12弦 アコースティック ハーモニー・メテオ
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主な使用楽器
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エイジャックス・ドラムセット(Ajax Drumset)ブラック・ダイアモンド・パール色(Black Diamond Pearl Color)(1台目) 1958年4月27日に購入した生涯初の本格ドラムセットでスキッフルバンドやロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ時代に使用。シングルヘッドタム仕様の安いモデルだった。(約2年間使用した。) プレミア・ドラムセット(Premier Drumset)マホガニー・デュロプラスチック色(Mahogany Duroplastic Color)(2台目) ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ時代からビートルズ初期にかけて使用していた茶色の2台目のドラムセットで約3年間使用した。 1960年7~9月頃に購入した物でカラーもヘッドの質も音も悪かったとの声もある。 最初バスドラムのフロント側に装着するヘッドにはPremierロゴの下に“Ringo Starr”と文字を入れていた。その後、1963年2月に無地のフロントヘッドにかぶと虫の角を模した「The Beatles」のロゴが描かれた物に変更した。 セット装着のヘッドは主にプレミア(premier)社のエバープレイ(everplay)ヘッドである。 なお同色のボンゴも所有していた。 このセットは1963年5月、ラディック製ドラムの購入のため(シンバル類とシンバルスタンド2本だけ残して)ドラム・シティ楽器店下取りに出した。バスドラム:20×14インチ(購入後しばらくしてタムホルダーをロジャースのスイボマチックタイプに交換する。) フロアタム:16×16インチ タムタム:12×8インチ スネアドラム:14×4インチ(ロイヤルエースモデル) シンバル:20・18・14?インチ。セット購入時の物でプレミアの“スーパー・ジン”シンバル(Premier Super Zyn)。海外サイトによると20インチは独特な大きなカップの形状からエイジャックス(AJAX)の可能性が大きい模様。 スタンド類:セット購入時についていた物(プレミア製) ラディック・ドラムセット・ダウンビート型(Ludwig Drumset Downbeat Type)オイスター・ブラック・パール色(Oyster Black Pearl Color)(3台目、4台目) ビートルズ初期に使用した3台目~4台目のドラムセットで主に表舞台では使用期間が短く3台目が約1年間使用、4台目は5台目の大きいサイズを購入したため4か月しか使用しなかった。 3台目は1963年4~5月にイギリスのドラム・シティ楽器店にて購入。その際店長よりパイステシンバルをリンゴに提供した模様。5月12日(日)バーミンガムにあるアルファ・テレビ・スタジオで受け取り初使用する。1964年1月にバスドラムのフロントヘッドのLudwigロゴがほとんど剥がれて無くなっていたためヘッド自体は交換せずludwigのロゴのみ書き直す。4台目は購入1か月後にタムホルダーを変更したがこの3台目は純正レールマウントのまま今日に至っている模様。そしてこの3台目セットはリンゴ・スター本人が2015年12月3~5日にアメリカ・ビバリーヒルズで開催されたジュリアンズ・オークションズに出品し211万米ドル約2億6千万円で売却された。なおジャズフェスティバルスネアも同じく7万5千米ドルで売却する。 4台目は1964年2月にアメリカ・マンハッタンのマニーズ楽器店で同じサイズの物を購入。その際シンバルも(Aジルジャンの20インチを含む)何枚か購入する。3月初めにロジャースのスイボマチックタムホルダーに交換する 特に製品としてセットされた組み合わせではなく、店の在庫を組み合わせたか、ラディック・スーパー・クラシック(Ludwig Super Classic)とラディック・ダウンビート(Ludwig Downbeat)を組み合わせたオリジナルセットの模様。 「THE BEATLES」と書かれたドロップTロゴは、ドラム・シティ楽器店のオーナーのアイヴォー・アービターが考えたアイディアを元に、同店のドラムヘッドに文字入れを行っている看板職人エディ・ストークスの手で書かれたもので、同店はライセンスは取っていなかった。 ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の20インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。 バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。バスドラム:20×14インチ(ドロップTロゴ入りヘッドを装着)(4台目に関して当初は純正レールマウントで使用していたが1964年3月初めにロジャースのスイボマチックタムホルダーに変更して使用した。その後の購入セットはすべてこのタムホルダー仕様にして使用した。) フロアタム:14×14インチ タムタム:12×8インチ スネアドラム:14×5.5インチ ウッド・タイプ シンバル:20・18・15インチ。海外サイトによると20は最初プレミアセット時代のカップの大きいAJAXあたりのシンバルを使用していて1963年11月初めにカップがなだらかなZynシンバル(シズル4個付)に変更した模様。18は最初はZynで途中でジルジャンに変更。 スタンド類:セットと一緒に購入した物(ラディック製)当時のセットの写真を見るとプレミア製とラディック製のシンバルスタンドを交互に使っている。 ラディック・ドラムセット・スーパークラシック型(Ludwig Drumset Super Classic Type)オイスター・ブラック・パール色(Oyster Black Pearl Color)(5台目、6台目) ビートルズ初期から後期にかけて使用した5台目~6台目のドラムセットで5台目は歴代使用のドラムセットの中では一番長い約4年間使用、6台目は約3年間使用した。 5台目は1964年5月にイギリスのドラム・シティ楽器店で購入した物で5月31日ロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで引き渡された。 6台目は1965年8月に同じサイズの物を購入。 ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の22インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。 バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。 「ヘイ・ジュード」ではタム、フロアタムに毛布をすっぽり被せ、響きを極限まで抑える独特のサウンドを生み出した。バスドラム:22×14(ドロップTロゴ入りヘッドを装着) フロアタム:16×16インチ タムタム:13×9インチ スネアドラム:14×5.5インチ ジャズ・フェスティバル(Jazz Festival) シンバル:20・18・15インチ。海外サイトによると20は最初Zynシンバル(シズル4個付)使用ののち1964年7月あたりにジルジャンに変え末期にはパイステに変更した模様(当時の写真から各社のカップの形状の違いで判断)。18は最初ジルジャンでその後は不明。 スタンド類:ラディック製 ラディック・ドラムセット・ハリウッド型(Ludwig Drumset Hollywood Type)ナチュラル・メイプル色(Natural Maple Color)(7台目) ビートルズ末期に使用したナチュラルカラーの7台目ドラムセットで約1年使用しビートルズ解散後も時々使用した。 7台目は1968年後半に購入したセットでタムが2個にシンバルが3枚と各々数的にグレードアップしている。 「ゲット・バック・セッション」ではバスドラムのフロントヘッドは付けずに毛布を入れている。フロアタムにも布が被せられているほか、ハイハットタンバリンを装着している。バスドラム:22×14インチ フロアタム:16×16インチ タムタム:13×9&12×8インチ タムホルダーを使用せず、ダブルタム・スタンドを用いていた。 スネアドラム:14×5.5インチ ジャズ・フェスティバル(Jazz Festival) シンバル:20・18・16・15インチ。ジルジャン製かパイステ製 スタンド類:ラディック製 ドラムスティック ビートルズ時代はドラム・シティ楽器店より供給されていた。材質は不明だが、現在でもドラムスティックの材質として一般的なヒッコリーかオーク材が使われていたと思われる。 サインや「Ringo ☆」と刻印されたシグネイチャーモデルのスティックも発売されている。 タンバリン 「ラヴ・ミー・ドゥ」レコーディングの際には、セッションドラマー(アンディ・ホワイト)に出番を奪われてしまったため、タンバリンを叩いているバージョンがアルバムでは採用された。 映画『ヘルプ!4人はアイドル』で「悲しみはぶっとばせ」でもタンバリンを叩いている。 ボンゴ、マラカス、クラベス アルバム『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』で使用。 ティンパニ 「エヴリー・リトル・シング」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」で使用。
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主な使用楽器
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500/1( Höfner 500/1)(1965年製) ザ・ビートルズのポール・マッカートニーの使用で有名なベースギター。そのボディーシェイプから通称「バイオリン・ベース」とも呼ばれる。アマチュア時代、ザ・ファニーズとして大阪・道頓堀筋のジャズ喫茶「ナンバ一番」で活動していた1966年3月26日、大阪にて¥61000で購入(「ザ・タイガース日本の青春」森本太郎の日記より)。以後、ザ・タイガース時代を通して岸部のメインベースとして使用される。ザ・タイガース解散後、PYG、井上堯之バンド時代は表舞台に出ることはなかった。1981年の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」でのザ・タイガース再結成で久しぶりに使用しようとしたが、あまりの保管の悪さに加えメンテナンスの無さに既に使用に耐えうるものにはなっておらず、この時新しい・500/1を購入している。 1982年のザ・タイガース同窓会コンサートの模様を収録したビデオ「ALIVE」のインタビューシーンでは、タイガース時代の激しいステージアクションで腰骨が当たった裏面の塗装が剥げ落ち、ピックアップのエスカッションをガムテープでかろうじて固定してある状態の1本目を抱え、「もう音は出ないんですけど……」と語っていた。 以後、ザ・タイガースの再結成イベント等ではこの2本目のヘフナー・500/1を使用している。最初の500/1は加橋かつみを通じて修理したと言われる。 また、経緯は不明であるが、2003年に木村拓哉、Charと共演した富士通のCM「FMV バンド編」で使用したカール・ヘフナー・500-1は岸部本人のものではなく、ザ・タイガースのギタリストで親友の森本太郎が率いるバンド「森本太郎とスーパースター」のベーシスト・海老沢雄一のものである。 フェンダー・ジャズベース(1本目) ザ・タイガース時代の1967年に銀座山野楽器にて購入。色はサンバースト。ローズウッド指板で、リアピックアップ部分に大型のブリッジカバーが取り付けられている。ライヴやTV出演時に時折使用されたほか、ザ・タイガース主演映画「ザ・タイガース 華やかなる招待」でも使用している。 またタイガース解散後もサブとしてスタンバイされており、昭和47年のNHK紅白歌合戦において、沢田研二の「許されない愛」のバックを演奏した際には、この1本目が使用された。 フェンダー・ジャズベース(2本目) ザ・タイガース時代の1968年に旅行先のアメリカにて購入。色はサンバースト。メイプル指板で、ブロック(四角い)ポジションマークのモデルである。ザ・タイガース最後期のライヴやTV出演時に時折使用され、ザ・タイガース解散後はPYG、井上堯之バンド時代を通してメインベースとして使用された。また、1982年のザ・タイガース同窓会コンサートツアーでも使用された。
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主な使用楽器
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「エルヴィス・プレスリー」の記事における「主な使用楽器」の解説
マーティンD-18 デビューから徴兵までコンサートで使い続けていたギター。RCAファースト・アルバムのジャケット写真(1955年フロリダ公演)など弦が切れた状態で演奏されていた。また、カントリー・ミュージシャンが使っていた革のギター・カバーを被せて使用した。ブリッジ・ピンを何度も紛失している。 1969年のステージ復帰後、長らくギブソン製を使っていたが、1977年のツアーで新品のD-18で演奏している。あまり弾きやすいギターではなかったようで、側近のレッド・ウェストとの電話で「新しいマーティンのギターが弾きにくい」と愚痴をこぼしている。 マーティン D-28 主にテレビ・ショウで使用された。ドーシー・ショウやミルトン・バール・ショウで使用。 ギブソン・J-200 映画「さまよう青春」、「闇に響く声」などで使用された。ボディが大容量なため、大音量が出せる。1968年のTV番組「エルヴィス」ではシット・ダウン・ショウで使用。 ギブソン・J-200(特注品) 1960年にプレスリーが特注で作ったギターで、プレスリーがデザインした幾何学的なピックガードを装着していた。また、指板にはELVIS PRESLEYとインレイが施されている。1969年の公演再開から1971年までステージで使い続けた。「エルビス・オン・ステージ」でも確認できる。ストロークが激しいため、ギター上部(ピックガードの反対側)はピックで塗装面がかなり削れてしまっている。 ギブソン・ダヴ(特注品) 1971年からJ-200に代わって使用したギター。J-200と違い、スクエア・ショルダーとなっていて、角ばったデザインが特徴。DOVEという名称の由来のピックガードの鳩のプリントは無い、オール・ブラックのモデル。ピックガードは白とのプライ加工されており、縁取りが見えるようになっている。また、指板には筆記体でElvis Presleyとインレイが施されている。さらにアメリカ・ケンポー・カラテ協会のステッカーを貼っていた。 ギブソン・ハミングバード 75年から76年にかけて使用していたギター。ピックガードにハチドリのプリントが施されている。ダヴと同じくスクエア・ショルダー・タイプ。 ギブソン・EBS-1250 6弦ベースと6弦ギターのダブルネックのモデル。通常のEBS-1250はドットインレイだが本モデルはレスポールやSGのような台形のインレイを採用した。アコギの様にヘッドにストラップを付けて映画「カリフォルニア万才」で使用。 ハグストロム・ヴァイキングII テレビ・ショウの「エルヴィス」で使用したギターでワイン・レッドのモデル。スウェーデン製。非常に硬質で特徴的な音色。オープニング、スタンド・アップ・ショウなどで使用されたが、プレスリーの所有物ではなく、テレビ出演に当たって借り受けたもの。 グレッチ 6122 カントリー・ジェントルマン 69年から70年まで公演で使用したギター。チェット・アトキンスのシグネイチャー・モデルである。ホロウボディだがFホールはペイント。ドキュメンタリー映画「エルビス・オン・ステージ」のMGMリハーサル撮影の合い間にも使用している。同映画に収録されたインターナショナル・ホテルでの公演でも使用。公演ではイスに座り、このギターを弾きながら歌った。 フェンダー・プレシジョンベース(オリジナル・プレシジョン・ベース) 1957年5月3日、映画「監獄ロック」の劇中曲「ベイビー・アイ・ドント・ケア」を収録中に使用。ベーシストのビル・ブラックはウッドベース奏者であり、与えられたエレクトリック・ベースを上手く扱うことができず、怒ってスタジオを出て行ってしまった。そこでプレスリーが投げ出されたこのプレシジョン・ベースを弾いた。1957年にリニューアルされる前の仕様。
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