社会学
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社会学(しゃかいがく、仏: sociologie、英: sociology)は、社会現象の実態や、構造の変容、そして個人と社会の相互関係を科学的に探究する学問である。社会学は人々の相互関係や集合的な社会生活の様式や構造を中心的に扱う対象とする[注 1]。
社会学は「社会とは何か」という根源的な問いを出発点とし、人々の生活が織りなす空間や、個人の行為とその意味連関によって形成される秩序を分析対象とする[注 2]。その手法は実証と理論の両面にわたる。質問紙調査・統計分析・参与観察・インタビューなどによって経験的データを収集・分析する一方で[3]、社会的行為、社会関係、社会集団といった概念を用いて事象の因果関係やメカニズムを理論的に説明する[注 3]。くわえて、人々の行為の意味や解釈を重視する解釈的アプローチ(理解社会学)や、権力・支配・不平等の構造を問い直す批判的アプローチ[注 4]も社会学における重要な方法論的伝統を形成している。
社会学の目的をめぐっては、事実解明を重視して研究者の価値判断を排すべきとする立場(価値自由)がある一方で、社会問題の実態把握とその改善に向けた実践的・政策的な側面を重視する立場[注 5]も存在する。さらに、社会学の研究成果自体が社会に還元されることで人々の認識や行動に影響を与え、社会そのものを変容させていく点もこの学問の特徴とされることがある[注 6]。
歴史
誕生と初期の実証主義
社会学(フランス語「sociologie」はラテン語「socius」〔仲間・同僚を意味する〕とギリシャ語「λόγος」〔言葉・学を意味する〕に由来する造語)なる用語は、エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスがコントに先行して用いたが[4]、フランス革命後の社会変動期に活動したオーギュスト・コントが公の出版物で用いたことで広く知られるようになった。コントは、当時の産業主義と合理主義を背景として、社会学とは「秩序と進歩」に寄与する「社会物理学」であって、歴史学、心理学、経済学を統合する実証主義的な科学的研究でなければならないとした。そこで彼は社会を秩序の側面から捉える「社会静学」と、進歩・発展の側面から捉える「社会動学」に区分し、神学的・形而上学的・実証的という人類の知の発展を示す三段階の法則を提唱した[5][6]。
このコントの思想は、その師であるサン=シモンに遡る。サン=シモンは、自然科学の方法を用いて社会的世界を全体的かつ統一的に説明する「社会生理学」の樹立を企てた。このなかで、サン=シモンは、フランス革命後の新社会の秩序を捉えるべく、その社会変動の流れを「産業主義」として提示した[7]。ここからコントはさらに、近代社会の構成原理として実証主義を提示し、産業ではなく科学をその中心に据えることになった。そしてその中心に社会学を位置づけたのである[8]。
コントらの発想は、ジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサーなどに受け継がれ、実証主義の体系化が図られていった。例えば、スペンサーは、社会進化論の立場から有機体システムとのアナロジーによって社会を超有機的「システム」と捉え[9]、後の社会システム理論の先駆となる研究を行なった[10]。また、ウィリアム・グラハム・サムナーは人々を内集団と外集団に区分し、自集団中心主義を示すエスノセントリズムを論じ[11]、ソースティン・ヴェブレンは有閑階級による誇示的消費を指摘し[12]、近代の幕開けにおける社会分析を深めた。
また同時期にカール・マルクスは、実証主義の系譜とは異なる立場から社会分析を行った。彼は自らを社会学者と位置づけていたわけではないが、生産関係を土台とする下部構造が政治や文化などの上部構造を規定するという唯物史観を展開し[13]、資本家階級と労働者階級の間の階級闘争や[14]、労働者が自身の生産物から引き離される疎外の概念[15]、そして社会を覆うイデオロギーの分析を通じて[16]、後の社会学に多大な影響を与えた。
古典的理論の形成
実証主義の潮流のなかで始まった社会学であるが、19世紀末から20世紀にかけて、マックス・ヴェーバー、エミール・デュルケーム、ゲオルク・ジンメル、フェルディナント・テンニース、ヴィルフレド・パレートらが、さまざまな立場から相次いで研究著作を発表した。例えば、テンニースは人々の結合形態を本質意志に基づくゲマインシャフトと選択意志に基づくゲゼルシャフトに分類し[17]、後の社会類型論の基礎を築いた。その方法論、キー概念などは、形を変えながらその後の社会学に引き継がれており、この時期は、社会学の古典的理論の形成期にあたる。
デュルケームは、コントらの社会発展論(近代化論)を「社会分業論」として受け継ぎ、同質性に基づく機械的連帯から、異質性に基づく有機的連帯への移行を論じ[18]、分業による連帯を個人の外部にある社会的事実の機能的なメカニズムによるものとして説明し[19]、後の機能主義社会学の源流となる視座を築いた。さらにデュルケームは個人の心理に還元できない社会実在論の立場から、社会規範が弛緩したアノミー状態の分析や[20]、社会化の過程[21]、自殺の4類型化(自己本位・集団本位・アノミー・宿命)の提示を行い[22]、自然科学の方法を社会科学へと拡大することを「社会学的方法の規準」の根底に据えた。さらにこの時代、フランスの社会学派によって、マルセル・モースの贈与論[23]や身体技法[24]、モーリス・アルブヴァクスの集合的記憶といった概念も生み出された[25]。
他方で、自然科学の方法をそのまま社会の研究に適用しようとする実証主義の立場は、人間の意味づけや主観的理解を重視するヴェーバー、ジンメルらによって方法論的な批判を受けることとなった。ヴェーバーは前世代の近代化論をプロテスタンティズムの禁欲的なエートスと資本主義の発達の関連として受け継ぎ[26]、ジンメルは「社会分化」の理論として受け継いだ。両者は、ドイツ哲学の伝統に則り(自然科学一元論ではなく)新カント派的科学方法論の影響を受けた。ウェーバーは、国家や組織といったマクロな集合的現象を、意味を持った個人の行為の集積として捉え直して分析する方法論的個人主義を明確にした。また彼は、研究者の主観を排する価値自由を提唱し[27]、理念型を用いて社会的行為を4類型(目的合理的・価値合理的・感情的・伝統的)に分類して分析する理解社会学による行為理論を打ち立てた[28]。また彼は、近代化を合理化(脱呪術化)と世俗化の過程として捉え[29]、近代国家における暴力の独占や[30]、支配の3類型(合法的・伝統的・カリスマ的支配)[31]、合法的支配の典型としての官僚制を論じた[32]。一方、ジンメルの場合は、社会を個人を超越した実体として捉える立場や包括的な総合社会学を退け、個人間のミクロな心的相互作用に着目した。彼は、人々の関心や目的といった社会の「内容」から、相互作用が結びつく「形式」のみを抽出して分析する形式社会学を創始し[33]、その微視的・関係論的な視点や後期の生の哲学は、後のシカゴ学派やシンボリック相互作用論に影響を与えた。また、カール・マンハイムの知識社会学や[34]、学問領域の境界を探る連字符社会学の萌芽も見られた[35]。
こうした、実証主義の伝統を引き継いだデュルケームの社会実在論(社会的事実を対象とする)と、主にヴェーバーによる方法論的個人主義(社会唯名論)との対立は、社会学内部での実証主義と解釈的アプローチをめぐる論争として繰り返し浮上し、後に、「社会システムの社会学」(マクロ社会学)と「社会的行為の社会学」(ミクロ社会学)として引き継がれることになった[36]。また、社会学の認識については、価値自由のルールにのっとったものであるべきか、それとも「精神科学」の伝統に準拠した人文学的性格のものであるべきかという、実証主義と反実証主義の対立が生まれた。更にはこれも後に、たとえば、批判理論と構造主義的マルクス主義のアプローチとして繰り返されることになった。
シカゴ学派の誕生
20世紀初頭まではヨーロッパにおいて社会学の主潮が形成されていたが、第一次世界大戦後にはアメリカ合衆国において顕著な展開を見せるようになり、やがてプラグマティックな社会学研究の中心として発展を遂げていくことになった。
アメリカ社会学が社会学研究の中心的地位を築き上げていく背景には、19世紀末から20世紀初頭にかけての急激な経済・社会の変化があった。南北戦争から第一次世界大戦へ至る半世紀の間にアメリカ産業は急ピッチな発展を遂げ、それに伴って都市化が進行し、民衆の生活様式も大きく変わっていった。このような大きく変貌を遂げるアメリカ社会の実態を捉えることが、社会学の課題として要請されるようになっていったのである。
当初、アメリカの社会学は、1890年に設立認可されたシカゴ大学を中心に、同大学に1892年に設置された社会学部を拠点として、人種・移民をめぐる問題、犯罪、非行、労働問題、地域的コミュニティの変貌などの現象的な側面を実証的に解明する社会心理学や都市社会学が興隆していった。アルビオン・スモール、ウィリアム・トマスらがシカゴ大学に拠って研究を進めた。またミシガン大学のチャールズ・クーリーが提唱した鏡に映った自我や[37]、家族など親密な結びつきを指す第一次集団の概念は、シカゴ学派の社会心理学に大きな影響を与えた。ジョージ・ハーバート・ミードはクーリーらの影響を受けつつ、他者の態度を取り込む役割取得や、社会全体の規範である一般化された他者、そしてアイとミーの概念を用いて自己形成の過程を論じ[38]、社会心理学の基盤を確立した。また、同時期のW・E・B・デュボイスは黒人コミュニティの実証的研究や二重意識の概念を通じてアメリカ社会の人種的不平等を分析し、ジェーン・アダムズはセツルメント運動と結びついた実践的社会調査を行うなど、アフリカ系アメリカ人や女性の研究者もアメリカ社会学の形成に重要な役割を果たした。また、ロバート・E・パークやアーネスト・バージェスは同心円モデルを用いて都市の生態学的分析を行い[39]、異なる文化の境界に生きるマージナルマンの概念を生み出し[40]、ルイス・ワースは都市に特有の生活様式をアーバニズムとして定式化した[41]。これらの研究者たちの活躍によって、1920~30年代にシカゴ大学は、アメリカの学会において強い影響力を及ぼすようになり、シカゴ学派と呼ばれる有力な研究者グループを形成するまでになった。同時期のアメリカ社会では、ロバート・モリソン・マッキーヴァーが社会集団をコミュニティとアソシエーションに分類し[42]、エルトン・メイヨーらの工場実験により職場におけるインフォーマル・グループとフォーマル・グループの重要性が発見されるなど[43]、社会関係の分析が進んだ。
ヨーロッパの社会学が理論的・方法論的な省察を重視する傾向を持っていたとされるのに対し、アメリカ社会学は現実の社会問題への対応を志向する実践的側面が相対的に顕著であったが、ヨーロッパにおいてもフェビアン協会による社会調査運動など実践的・改良的な潮流が存在した。この点は、実際的な有用性を重視するプラグマティズムの精神的な伝統によるところが大きく、また、前述のような社会的要請もあって、地域社会や家族などの具体的な対象を研究する個別科学としての傾向を持つようになった。
機能主義社会学の台頭
さらに、第二次世界大戦後のアメリカでは、タルコット・パーソンズやロバート・キング・マートンらによる機能主義が提唱され、社会学全体に大きな影響を及ぼした。とくにパーソンズの構造機能主義社会学は、社会を存続させるための四つの機能要件であるAGIL図式を提唱し[44]、マクロ社会学の視点から社会学における統一理論を築き上げる意図を持って提起され、20世紀半ばにおける「主流を成す見解」と目されるに至った。これは分野の統一、体系化が実現するかに見えた社会学の稀有な時期であるとされる。
パーソンズの理論は、その科学論的・政治思想的な構想が遠大かつ複雑であったため、さまざまな議論を呼んだ。チャールズ・ライト・ミルズは、『パワー・エリート』(1956年)においてアメリカにおける権力の集中と支配構造を分析して社会の調和的秩序を前提とする機能主義の社会観に根本的な疑義を呈し[45]、続く『社会学的想像力』(1959年)においてはパーソンズの構造機能主義を「壮大理論」と呼んで批判し、その高度な抽象性と保守的な秩序観を問題とした。また、ラルフ・ダーレンドルフは社会の対立側面に注目するコンフリクト理論を提唱し[46]、機能主義の調和的な社会観に対峙した。こうした中でマートンは、巨大理論を避けて実証検証可能な中範囲の理論を志向し、事象が社会の維持に貢献する順機能と阻害する逆機能、意図された顕在的機能と意図されない潜在的機能の区別や、自己の行動の基準となる準拠集団、思い込みが現実となる予言の自己成就などの概念を整理した[47]。パーソンズの社会システム論は社会学における一大パラダイムとなったものの、完全な統一理論として定着するには至らず、その後は以下に見るような、マクロ・レベルの理論的洗練や、主にミクロ社会学の視点に立った理論が多様な立場から提唱されることとなった。この時期のアメリカでは、デヴィッド・リースマンが伝統指向型・内部指向型から他人指向型へと変化する現代人の性格類型を描き出し[48]、ポール・ラザースフェルドはマス・メディアの影響が直接ではなくオピニオンリーダーを媒介して人々に伝わるというコミュニケーションの2段階の流れモデルを実証し[49]、マイケル・ヤングが能力主義を意味するメリトクラシーを論じ[50]、ダニエル・J・ブーアスティンが疑似イベントの概念を提起するなど[51]、大衆社会状況を捉える多様な概念が生み出された。
ヨーロッパにおける現代社会学の展開
第一次世界大戦、第二次世界大戦の惨禍を眼前にしたヨーロッパ社会学では、理性信仰の崩壊とともに、西洋近代社会の構成原理そのものへの反省が生まれていた。そこで、旧来の社会学における機能主義の流れとは別に、ドイツではテオドール・アドルノやマックス・ホルクハイマーらが創始した批判理論[52]の系譜を引き継ぎ、エーリヒ・フロムによる権威主義的性格の研究(『自由からの逃走』)や[21]、テオドール・アドルノらによる権威主義的パーソナリティの実証的分析、ユルゲン・ハーバーマスによる公共圏やコミュニケーション的理性の提唱、および生活世界の植民地化への警鐘といったフランクフルト学派の思想が展開された[53]。またヴァルター・ベンヤミンがアウラの喪失やパサージュ論を説き[54]、ホセ・オルテガ・イ・ガセットが大衆の反逆を指摘した[55]ことも近代批判の重要な視座であった。
フランスなどでは、イタリアの思想家アントニオ・グラムシの文化ヘゲモニー論や大量生産システム(フォーディズム)の分析[56]を通じて支配構造を問い直した影響も受けつつ、ルイ・アルチュセールによる国家のイデオロギー装置の分析[57]といった構造主義的マルクス主義や、クロード・レヴィ=ストロースによるインセスト・タブーを基礎とした構造主義[58]、ミシェル・フーコーのパノプティコンや生権力に注目した権力論[59]が展開された。
これらの動きとともに、後期近代化への動きを背景として、1960年代末には構造機能主義の一極集中からの離反が進んだ。ダニエル・ベルらが提唱した脱産業化論によって産業構造の変化が議論される一方、社会の調和よりも対立や権力闘争を重視する紛争理論が台頭し、機能主義が前提としていた秩序観は揺さぶられた。こうして、社会学は多様な理論的アプローチが共存する時代を迎えた。
ミクロ社会学と構築主義
マクロな理論体系への批判から、1960年代以降は人々の日常的な相互作用や意味づけの過程に注目するミクロ社会学が隆盛した。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論などの影響も受けつつ、アルフレッド・シュッツの現象学的社会学[60]や、それを発展させたハロルド・ガーフィンケルのエスノメソドロジー[61]、ハーバート・ジョージ・ブルーマーらのシンボリック相互作用論は[62]、客観的とみなされてきた社会秩序が、人々の日常的な実践を通じていかに達成されているかを明らかにした。
これと関連して、アーヴィング・ゴッフマンが日常の相互作用を演劇に見立てるドラマツルギーの視点を用いて自己呈示(印象操作)や役割距離、社会的スティグマを分析したことや[63]、ジョン・キツセ、ハワード・ベッカーらのラベリング理論は、逸脱が社会的に構成される過程を描き出し[64]、ピーター・L・バーガーらによる社会の構築主義的理解の基盤を形成した。同時に、個人のミクロな合理的行為がマクロな社会現象をどう導くかを問うジェームズ・コールマンの合理的選択理論(ミクロ・マクロ・ループ)や、家庭環境等を通じて受け継がれる教養や趣味などの文化資本と身体化された性向(ハビトゥス)に着目して階層の再生産を問うピエール・ブルデューの分析など[65]、ミクロとマクロを架橋する試みも進展した。
後期近代・グローバル化の社会学
1970年代以降の高度情報化やグローバル化といった社会変動に対し、新たな巨視的・時代的分析も展開された。ジャン=フランソワ・リオタールによるポストモダン分析や[66]、ジャン・ボードリヤールの記号的消費(シミュラークル)の議論[67]は、近代の大きな物語の終焉を浮き彫りにした。情報の偏重はメディア・文化研究を促し、マーシャル・マクルーハンは、メディアの形式そのものが人間の知覚や社会を規定するという「メディアはメッセージ」の概念や、メディアを身体器官の延長ととらえる人間の拡張を提唱した[68]。またカルチュラル・スタディーズの領域では、スチュアート・ホールが、送り手が意味を付与するエンコーディングと、受け手が自身の文脈でそれを読み解くデコーディングの過程に注目した[69]。これを受けたディック・ヘブディジは、上位文化や大衆文化から差異化された文化をサブカルチャーとして分析した[70]。
グローバル化の波に対しては、イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論[71]、ベネディクト・アンダーソンの想像の共同体[72]に加え、マニュエル・カステルが都市における公共サービスやインフラの国家供給に着目した集合的消費の議論などを展開した[73]。さらにアントニオ・ネグリとマイケル・ハートは、国民国家を超越した現代の非中心的なグローバル資本主義の支配網を〈帝国〉と呼び、それに抗するマルチチュード(多様な民衆)の可能性を問うた[74]。20世紀末からの社会の流動性・不確実性に対しては、アンソニー・ギデンズが個人の行為と社会構造が相互に前提とし合う構造化理論を提示しつつ[75]、社会関係が地域的文脈から切り離される脱埋め込みや[76]、社会に関する知識が社会そのものを変容させていく再帰性に注目し[77]、再帰的近代の到来を論じた[78]。ウルリッヒ・ベックがリスク社会を[79]、ジグムント・バウマンがリキッド・モダニティを論じている[80]。これらと並行して、ニクラス・ルーマンはダブル・コンティンジェンシーを出発点に、システムが環境の圧倒的な複雑性の縮減を行うメカニズムとしてオートポイエーシス概念を取り入れた理論を構築し[81]、マクロ理論のさらなる精緻化を図った。
社会学の細分化と現在
同時に、社会学は既存の枠組みからこぼれ落ちていた領域へと対象を拡大し、著しい細分化を遂げた。フィリップ・アリエスが、現代的な「子供」という概念は近代社会の産物にすぎないとする〈子供〉の誕生を指摘し[82]、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』において「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と社会的性別の構築を告発したことに連なるフェミニズムを背景として[83]、ジュディス・バトラーのジェンダー論[84]やイヴ・セジウィックのホモソーシャル概念[85]といったジェンダーの社会学が発展した。ネイサン・グレイザーらによるエスニシティ研究や[86]、西洋が東洋を他者化して表象するオリエンタリズムを批判したエドワード・サイード[87]、従属的立場で自ら発言する手段を持たないサバルタンの存在を問うたガヤトリ・C・スピヴァクらのポストコロニアル研究も進展した[88]。経済・労働分野では、マーク・グラノヴェッターが、強固な身内関係よりも知人程度の弱い紐帯の方が新規で有益な情報をもたらすと実証したネットワーク論[89]、マンサー・オルソンのフリーライダー問題に加え[90]、アーリー・ラッセル・ホックシールドによる感情の管理を伴う感情労働や[91]、働く女性が帰宅後に担う無償労働であるセカンド・シフトの指摘[92]、イヴァン・イリイチのシャドウ・ワークなど[93]、親密圏や感情にまで分析が及んでいる。
都市・空間的アプローチでは、リチャード・セネットが公共空間の変容と公共性の喪失を論じ[94]、ジョージ・リッツァが効率性・計算可能性・予測可能性・管理を特徴とするマクドナルド化の進展を分析し[95]、デイヴィッド・ライアンが監視社会を分析し[96]、ジョン・アーリが観光のまなざしを論じ[97]、ジョック・ヤングが包摂型社会から排除型社会への移行を指摘した[98]。ロバート・パットナムによる社会関係資本(結束型・橋渡し型)の研究や[99]、地球規模の課題を扱う環境社会学、病や医療を社会的な関係性から捉える医療社会学など、社会学は現代社会のあらゆる事象に向けてさまざまに分化・拡大し続けている。
ただし、この多様化によって、同時に社会学というディシプリン内部での対話の共通基盤が失われるという側面も生じた。複数の理論的パラダイムが並立する状況は、各パラダイム内部での実証研究の深化をもたらした一方で、分野全体の統一的なアイデンティティや独自性を問い直すことにもつながった。こうした状況に対しては、実証主義的な科学論を堅持すべきとする立場と、解釈的・批判的アプローチの多様性こそが社会学の強みであるとみる立場など、社会学の性格をめぐる議論は現在も継続している。
日本における受容と展開
日本における社会学は、明治期に西洋社会思想・社会進化論・国家学・統計的社会認識などの受容と結びついて導入された。加藤弘之、外山正一、有賀長雄、建部遯吾らは、社会有機体論、国家・社会論、国際社会論などを通じて、初期日本社会学の形成に関わった。<当初は役人の中に社会学反対論もあったが、山県有朋が「建部がやっているのか、それならいいじゃないか」といって潰れずに済んだという逸話がある[100]。-
大正期から昭和戦前期にかけては、高田保馬が関係概念に基づく社会学体系を構築し、戸田貞三が家族社会学の基礎を築くなど、理論・実証両面での研究が進展した。1924年には日本社会学会が設立され、以後、社会学は大学教育・学会活動・専門誌を通じて制度化された。戦後には、農村、都市、家族、階層、労働、教育、地域社会、社会運動、公害・環境問題などを対象とする実証研究が展開された。1955年以降の「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)、1953年以降の「日本人の国民性調査」、2000年以降の日本版総合社会調査(JGSS調査)など、継続的な社会調査も行われ、日本社会の構造変化や意識変化を分析する基盤となっている。
日本の社会学は、理論研究だけでなく、質問紙調査、統計分析、インタビュー、参与観察、歴史資料分析など多様な方法を用いて、家族、階層、地域、ジェンダー、福祉、移民、災害、メディア、宗教、環境などの領域で研究を蓄積してきた。
諸問題と批判
日本
京都大学大学院文学研究科教授の社会学者である太郎丸博は、以前から著書などで学会報告や学会誌などアカデミズムを軽視している日本の社会学の研究者・教授・学界そのものを批判している。太郎丸は「日本社会学学者らは学会誌への論文・投稿学会で自身の研究を発表せず、(社会)学者づらして本を出版したり、さまざまなメディアで発言することができる」のが実状だと指摘、「先生」扱いされる日本の社会学者らは他者からの意見の異なる人から批判的な批評されるのを恐れて、同じ政治思想をもつ身内以外の第三者から査読を受けない上に、批判や指摘がされる学会誌には必ず投稿しないと批判している[101][102]。
また日本の社会学における研究者の評価のあり方や学術的コミュニケーションについては、内部からの批判を含む議論が提起されている。研究業績の評価において、学会誌における査読付き論文の執筆よりも、一般向け書籍の出版やメディアにおける言論活動が評価されやすい現状が指摘されており、太郎丸博の調査によれば社会学系論文誌における査読論文の執筆者の半数以上を学生や非常勤講師が占める一方、教授等の割合は2割未満にとどまっていることが示されており、専門家同士の厳密な相互批判や査読プロセスの機能不全が懸念されている[103]。
また、一部の質的調査や構築主義的アプローチに対して、測定や分析の客観性が担保されていないという方法論的な批判も提起されている[104]。さらに、日本学術振興会の報告によれば、国際的な学術誌における日本人社会学者の論文掲載率や被引用率の低さが課題として挙げられており、日本の社会学研究の国際化が求められているという指摘も存在する[105]。
欧米
欧米の社会学を含む人文社会科学分野においては、方法論や学問のあり方を巡っていくつかの論争が提起されてきた。
社会科学の分野においては、心理学や経済学と同様に、自然科学と比較して研究の再現性が低い(再現性の危機)という問題が指摘されることがある。これに対応するため、アメリカ合衆国国立衛生研究所(NIH)などは、行動科学や社会科学分野の研究に対する厳密性の向上を求める戦略を発表している[106]。
また、一部の思想的潮流や分野に対する批判的アプローチとして、意図的に無意味な疑似論文を学術誌に投稿して査読を通過するかを試すという事例も発生している。1995年には、物理学者のアラン・ソーカルが、ポストモダン思想や一部の社会学的なアプローチにおける科学用語の濫用を批判する目的で疑似論文を投稿し、掲載された後に暴露する「ソーカル事件」を引き起こした[107]。
さらに2017年から2018年にかけては、ジェンダー研究や文化研究などの一部の分野(彼らが「グリーバンス・スタディーズ(不満研究)」と呼称した分野)の査読基準や学問的厳密性を批判する目的で、数人の研究者グループがおとり論文を投稿し、複数の学術誌で査読を通過したことを暴露する出来事(不満研究事件)が発生した。これらの事件は、単なる査読システムの不備にとどまらず、一部の学術分野が特定のイデオロギーや難解な用語に傾倒するあまり、真正な学問と内容の伴わない文章を区別できていないという、学問的信頼性に関わる構造的な問題への警鐘として受け止める立場もある一方、手法の倫理性を問う批判もある[108]。
社会調査
現実の社会からデータを取る手法として、主として社会調査が用いられる[109]。社会調査は、大きく量的調査(定量的調査)と質的調査(定性的調査)に大別される。量的調査は、質問紙を用いた統計的分析を主とし、社会の客観的構造や傾向をマクロに把握するために用いられる。一方、質的調査は、インタビューや参与観察などを通じて、人々の意識や行為の意味をミクロに解き明かすために用いられる。また、量的手法と質的手法を組み合わせる混合研究法も用いられており、それぞれの手法の限界を相互に補完しながら多角的な分析を可能にする。社会学者はこれらの調査から得られた経験的データに基づき、仮説の検証や理論の構築を行う。
世界各国において大規模な社会調査が実施されており、代表的なものとして米国で継続的に行われている総合的社会調査(GSS)や、国際的な人々の価値観の変動を比較分析する世界価値観調査(WVS)などが知られている。日本においても、「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)をはじめ、統計数理研究所による日本人の国民性調査、日本版総合社会調査(JGSS調査)などの大規模な量的調査が継続的に実施されており、日本社会の構造的・通時的な分析の基盤となっている。
関連書籍
古典・教科書・啓蒙書
- マックス・ウェーバー『社会学の根本概念』(岩波文庫, 1972年)
- エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』(岩波文庫, 1978年)
- アンソニー・ギデンズ『社会学の新しい方法的規準 第二版』(而立書房, 2000年)
- アンソニー・ギデンズ『社会学 第五版』(而立書房, 2009年)
講座・シリーズ
翻訳シリーズ
辞書
- 新明正道編『社会学辞典』(河出書房, 1944年)〔復刻・増補版〕(時潮社, 2009年)
- 森岡清美、塩原勉、本間康平編『新社会学辞典』(有斐閣, 1993年)
- 見田宗介他編『社会学事典』(弘文堂, 1994年)
- 浜島朗他編『社会学小辞典』(有斐閣, 1997年)
- 見田宗介他編『社会学文献事典』(弘文堂, 1998年)
- 宮島喬編『岩波小辞典社会学』(岩波書店, 2003年)
- ブードン他『ラルース社会学事典』(弘文堂, 1997年)
- レイモンド・ウィリアムズ『キーワード辞典』(平凡社, 2004年)
総合雑誌
脚注
注釈
- ↑ アメリカ社会学会(ASA)は社会学を「社会生活・社会変動、および人間行動の社会的原因と結果の研究」と定義したうえで、「社会学者は集団・組織・社会の構造と、人々がその文脈でどのように相互作用するかを研究する」と説明している[1]。
- ↑ ヴェーバーは、行為者が他者の行動を意識しながら主観的意味を付与して行動することを「社会的行為」と定義し、そうした行為の連鎖と相互志向が社会秩序を形成するという視点を提示した[2]。
- ↑ 機能主義(デュルケームを源流とし、パーソンズが体系化)・葛藤理論(マルクスを源流とし、ダーレンドルフらが展開)・象徴的相互作用主義(ミードを源流とし、ブルーマーが体系化)など
- ↑ 批判的アプローチの代表はフランクフルト学派の批判理論(ホルクハイマー、アドルノらの第一世代、および第二世代のハーバーマス)など
- ↑ シカゴ学派は都市問題・貧困・移民問題などの実証研究を通じて政策的応用を志向した。より根本的な社会変革を志向する立場は批判理論や公共社会学に見られる。
- ↑ ギデンズは、社会学の概念が実践者に取り込まれて社会を変容させるという「二重の解釈学」の観点からこの双方向的なプロセスを論じた。
出典
- ↑ “What Is Sociology?”. American Sociological Association. 2026年5月7日閲覧。
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- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 150–151.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 148–149.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 160–161.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 162–163.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 102–103.
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- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 196–199.
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- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 220–221.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 218–219.
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- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 274–275.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 270–271.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 272–273.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 276–277.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 278–279.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 266–267.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 250–255.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 168–169.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 170–171.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 193, 238–239.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 236–237.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 256–257.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 212–213.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 226–227.
- ↑ 田中 & 香月 2019, p. 217.
- ↑ 田中 & 香月 2019, p. 233.
- ↑ 田中 & 香月 2019, p. 232.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 230–231.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 228–229.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 258–259.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 224–225.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 268–269.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 222–223.
- ↑ 田中 & 香月 2019, pp. 264–265.
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- ↑ Nast, Condé (2017年2月20日). “「社会科学」は崩壊した。米国の新たな指針は救いとなるか?”. WIRED.jp. 2023年9月3日閲覧。
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- ↑ “What the ‘Grievance Studies’ Hoax Means - The Chronicle of Higher Education”. http://web.archive.org (2018年10月10日). 2023年9月2日閲覧。
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参考文献
- 清水幾太郎 (1978) 『オーギュスト・コント――社会学とは何か』(岩波書店[岩波新書], 1978年)
- 富永健一 (2008) 『思想としての社会学』(新曜社, 2008年)
- 田中、香月 著、田中正人 編『社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像』プレジデント社、2019年2月28日。 ISBN 978-4-8334-2311-3。
関連項目
外部リンク
- 学会組織
- データベース
- 社会学文献情報データベース
- SSJデータアーカイブ(データファイルの入手)
- その他
- 社会学講話(1907年) - 国立国会図書館
- 社会学理論の発展はいかにして可能か (PDF)
社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:54 UTC 版)
ポストモダン社会学はマスメディアと大量生産の偏在、地球規模の経済の興隆、工業からサービス経済(英語版)への移行を含む殆どの工業国における20世紀後半に益々流行することになった生活の状態に焦点を当てるものだと言える。ジェイムソンとハーヴェイは、工業、分配、普及が例外的に安価になっているが、社会的関係とコミュニティが稀なものになっている消費主義と述べた。別の思想家は、ポストモダニティが大量生産と大衆政治に慣らされた社会における大衆放送に対する自然な反応であると断言している。アラスデア・マッキンタイアの著作は、アリストテレス主義のマッキンタイア的修正が現在資本蓄積を促進するこの種の消費主義者の思想に対する挑戦を行うマーフィーとビールスキスのような作家により練られたポストモダニズムの解釈を伝えている。 ポストモダニティの社会学的視点は、以前より幅広い資本の範囲を評価し様々な形態に供給される評価を認める制度を導きながら大量生産の標準化を禁止する高速輸送や幅広いコミュニケーション、能力のせいにしている。ハーヴェイはポストモダニティが1930年代から1970年代のOECD加盟国におけるケインズ時代の経済政策で流行した生産調整や蓄積の方法を説明するアントニオ・グラムシにより作り出された言葉「フォーディズム」からの逃避であると主張している。ハーヴェイにとってのフォーディズムは、資本・労働関係が経済政策と生産調整を考慮するとはいえ第一のものが生産手法と資本・労働関係を考慮するケインズ主義と関係がある。ポストフォーディズム(英語版)は従ってハーヴェイが見るところではポストモダニティの基本的な側面の一つである。 ポストモダニティの遺物には情報やマステレコミュニケーションへの広範な接続しやすさであるテレビや大衆文化の優越がある。ポストモダニティは環境主義と反戦運動の高まる重要性において認められる過程の名において行われる犠牲に対する大きな抵抗も示している。工業化された核におけるポストモダニティは、フェミニズムや多文化主義とこの運動に対する反動のような運動と同様に公民権や機会均等に焦点を増すことで特徴付けられている。ポストモダンの政治的本分は、モダニストの政治領域が階級闘争に限定されているとはいえ(性や人種により定義される共同体における)抑圧や阻害に対する様々な形態の闘争を考慮する多くの活躍の場と市民と政治活動の可能性により特徴付けられている。 ミシェル・マフェソリ(英語版)のような理論家は、ポストモダニティが生存する為に供給する環境に食い込んできていてやがて個人主義の衰退と新たな新部族主義(英語版)時代の誕生に結び付くことになると考えている。 今の時代の経済とテクノロジーの状態は、思想が現実的であったり本来的であったり安定していたり客観的であったりする通信元や意義の伴わない互いの相互に参照できる表現や写しである幻影に過ぎない分散したメディアが支配する社会に昇華させてきた。通信、製造業、交通における革新により齎されたグローバリゼーションは、政治権力や通信、知的生産の個々の支配的な中心を減少させる文化的に多元論的で相互作用的な地球規模の社会を創造する分散した近代的生活を営んでいる一つの力として引用されることがよくある[要出典]このポストモダニストの視点は、相互に主観的な(客観的でない)知識がこのような状態で支配的な形態であることになり普及の偏在が基本的に読者と観察者と被観察者、消費者と生産者の間で読まれるものの間の関係を変えるものである。 Spaces of Hopeでハーヴェイはポストモダンの政治運動が間接的に(マルクス主義的観念の)階級問題とハーヴェイの意見ではフォーディストの時代より現在重要なこの活動の場の批判的な自覚を弱めた責任があると主張している。ハーヴェイにとってこの階級闘争は(ハーヴェイの主張によるとポストモダンの理論家が無視するものを)解決するには程遠い。グローバリゼーションは労働者の権利のない貧しい状態で低賃金労働に取り組む労働組織にとって更に難しい問題にしていて、協同して得られる大量の余剰価値は、西側の消費者により支払われる高価格と東南アジアの労働者が受け取る低賃金の間の格差の故に遠く隔たったものになっている。
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社会学
出典:『Wiktionary』 (2021/08/07 00:49 UTC 版)
名詞
発音(?)
- しゃ↗か↘いがく
翻訳
- アイスランド語: félagsfræði (is) 女性
- アイルランド語: socheolaíocht (ga) 女性
- アゼルバイジャン語: sosiologiya (az)
- アフリカーンス語: sosiologie (af)
- アラビア語: عِلْم اَلْمُجْتَمَع (ar) 男性
- アルバニア語: sociologja (sq)
- アルメニア語: սոցիոլոգիա (hy), հասարակագիտություն (hy)
- イタリア語: sociologia (it) 女性
- イディッシュ語: סאָציאָלאָגיע (yi) 女性
- イド語: sociologio (io)
- インドネシア語: sosiologi (id)
- ウェールズ語: cymdeithaseg (cy) 男性
- ウクライナ語: соціологія (uk) 女性
- ウズベク語: sotsiologiya (uz)
- 英語: sociology (en)
- エストニア語: sotsioloogia (et)
- エスペラント: sociologio (eo)
- オランダ語: sociologie (nl) 女性
- カザフ語: әлеуметтану (kk)
- カタルーニャ語: sociologia (ca) 女性
- ガリシア語: socioloxía (gl) 女性
- ギリシア語: κοινωνιολογία (el) 女性
- キルギス語: социология (ky)
- クメール語: សង្គមវិទ្យា (km) (sɑngkum vityie), សិក្សាសង្គម (km) (səksaa sɑngkum)
- グルジア語: სოციოლოგია (ka)
- スウェーデン語: sociologi (sv)
- スコットランド・ゲール語: eòlas-comainn (gd) 男性
- スペイン語: sociología (es) 女性
- スロヴァキア語: sociológia (sk) 女性
- スロヴェニア語: sociologija (sl) 女性
- スワヒリ語: sosholojia (sw)
- セルビア・クロアチア語:
- タイ語: สังคมวิทยา (th) (sang-kom-wit-ta-ya)
- タガログ語: dalub-ulnungan (tl)
- タジク語: ҷамъиятшиносӣ (tg)
- タミル語: சமூகவியல் (ta)
- チェコ語: sociologie (cs) 女性
- 中国語: 社會學 (cmn), 社会学 (cmn) (shèhuìxué)
- 朝鮮語: 사회학 (ko) (社會學 (ko))
- テルグ語: సామాజిక శాస్త్రం (te)
- デンマーク語: sociologi (da) 通性
- ドイツ語: Soziologie (de) 女性, Gesellschaftskunde (de) 女性
- トルクメン語: sosiologiýa (tk)
- トルコ語: sosyoloji (tr)
- 西フリジア語: sosjology (fy)
- ネパール語: समाजशास्त्र (ne)
- ノルウェー語:
- バスク語: soziologia (eu)
- ハンガリー語: szociológia (hu)
- パンジャブ語: ਸਮਾਜ ਸ਼ਾਸਤਰ (pa)
- ビルマ語: လူမှုဗေဒ (my)
- ヒンディー語: समाजशास्त्र (hi)
- フィンランド語: sosiologia (fi)
- フランス語: sociologie (fr) 女性
- ブルガリア語: социология (bg) 女性
- ベトナム語: xã hội học (vi) (社會學 (vi))
- ヘブライ語: סוציולוגיה (he) (sotsyológya) 女性
- ベラルーシ語: сацыялогія (be) 女性
- ペルシア語: جامعهشناسی (fa) (jâme'e-šenâsi)
- ベンガル語: সমাজবিজ্ঞান (bn)
- ポーランド語: socjologia (pl) 女性
- ポルトガル語: sociologia (pt) 女性
- マオリ語: mātauranga hapori (mi)
- マケドニア語: социологија (mk) 女性
- マラーティー語: समाजशास्त्र (mr)
- マラヤーラム語: സമൂഹശാസ്ത്രം (ml)
- マルタ語: soċjoloġija (mt)
- マレー語: sosiologi (ms)
- ラテン語: sociologia (la)
- ラトヴィア語: socioloģija (lv) 女性
- リトアニア語: sociologija (lt) 女性
- ルーマニア語: sociologie (ro) 女性
- ロシア語: социология (ru) 女性, обществоведение (ru) 中性
「社会学」の例文・使い方・用例・文例
- 社会学部卒業生
- 社会学入門
- 社会学者
- 社会学
- 数学あるいは社会学の学位と、下級市場アナリストとして最低2 年間の経験が必要です。
- 心理社会学の見地から、彼は反対した。
- 組織行動学は心理学と社会学に基づいて個人がどのように組織でふるまうかについて探究する。
- 私の専攻は経営学で社会学が副専攻です。
- 私は社会学者や、臨床心理士になりたいと思っています。
- 私は社会学の勉強が苦手です。
- 彼は社会学の研究をしている。
- 私は社会学を専攻している。
- 私の専門研究分野は社会学です。
- 私の専門の研究分野は社会学です。
- フランクは大学で社会学を専攻した。
- その社会学者は背中を掻く癖がある。
- その学生は社会学を勉強している。
- これは妊娠中絶に関する社会学的研究である。
- 社会学のレポートなんか簡単だ.
- 経済学と社会学は社会科学に属する.
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