2005年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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2005年死刑確定囚(11人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:34 UTC 版)

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事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)仙台高松保険金殺人事件 (Y) 2005年1月25日 1985年11月1990年3月 1935年昭和10年6月10日生まれ1997年2月18日第一審高松地裁重吉孝一裁判長)で無期懲役判決受けたが、控訴審高松高裁(島敏男裁判長)で2000年10月26日一審破棄死刑判決受けた2005年1月25日最高裁上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定死刑確定から約3年4か月後の。2008年6月17日大阪拘置所死刑執行73歳没)。 同級生連続殺人事件 (M) 2005年1月27日 1989年8月9日1989年9月13日 1967年昭和42年12月6日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在54歳)。同級生2人を殺害した1994年7月6日水戸地裁下妻支部小田部米彦裁判長)で死刑判決を、2001年5月1日東京高裁河辺義正裁判長)で控訴棄却判決受けた2005年1月27日最高裁才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定資産家老女2人殺害事件 (A) 2005年3月3日 1989年10月1日 - 4日 1946年昭和21年12月14日生まれ旧姓O。第一審・東京地裁山崎学裁判長)では1999年3月11日無期懲役判決受けたが、控訴審・東京高裁吉本徹也裁判長)では2001年5月17日一審破棄死刑判決受けた2005年3月3日最高裁泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定死刑確定から約3年後2008年4月10日東京拘置所死刑執行61歳没)。 オウム真理教事件宮前一明2005年5月6日上告審判決への訂正申立対す棄却決定日) 1989年2月 - 11月3日 1960年昭和35年10月8日生まれ旧姓岡崎および佐伯オウム真理教元幹部オウム真理教男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件関与し一連のオウム事件死刑囚では最初死刑確定者となった刑事裁判では自首成立認められたが量刑減軽されず、1998年10月23日東京地裁山室惠裁判長)で死刑判決2001年12月13日には東京高裁河辺義正裁判長)で控訴棄却判決受けた最高裁第一小法廷島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日上告棄却判決一・二審の死刑判決支持)を受け、判決訂正申し立て2005年5月6日付の同小法廷決定棄却されたため死刑確定した2018年3月14日東京拘置所から名古屋拘置所移送され同所2018年7月26日死刑執行57歳没)。 スナックママ連続殺人事件 (N) 2005年6月7日 1991年12月13日 - 12月28日1956年昭和31年1月14日鳥取県鳥取市西品治生まれ警察庁広域重要指定119号事件18歳の時(1974年7月6日)に鳥取市永楽温泉町殺人事件起こし1975年2月鳥取地裁懲役5年以上10年以下の不定期刑判決受けた前科がある。1984年6月松江刑務所仮出所したが、同年9月にも永楽温泉町強盗致傷事件起こして1985年1月懲役7年判決を受け、1991年10月鳥取刑務所出所してから約2か月後の犯行兵庫県姫路市12月12日)・島根県松江市21日)・京都府京都市26日に2件)で相次いでスナックママ4人を殺害。4件の強盗殺人事件起こした後、指名手配中の1992年1月5日には大阪府大阪市天王寺区落語家3代目桂あやめ襲撃し現金14万円を奪う強盗殺人未遂事件起こし同月7日には同区内マンション侵入して金を奪おうとするが、住人から自首するよう説得され逮捕された。大阪地裁刑事第3部にて行われた第一審公判では強盗殺人4件について全面的に無罪主張したが、1995年9月11日大阪地裁松本芳希裁判長)で死刑判決受けた控訴審では姫路市殺人事件のみ一転して犯行認めたが「多量飲酒病的に酔い責任能力がなかった」として、それ以外罪状強盗殺人3件+への強盗殺人未遂事件)も含め一審同様に無罪主張。しかし2001年6月20日大阪高裁河上元康裁判長)は一審判決支持し被告人N(当時K姓)の控訴棄却する判決言い渡した2005年6月7日最高裁第三小法廷濱田邦夫裁判長)で上告棄却判決受けたことにより死刑確定第10次再審請求中の2017年7月13日大阪拘置所死刑執行61歳没)。 大阪連続バラバラ殺人事件 (K) 2005年7月8日 1985年5月 - 1994年3月 1940年昭和15年7月10日生まれ警察庁広域重要指定122号事件1985年5月下旬 - 1994年3月下旬にかけて大阪市内自宅女性5人(46歳主婦19歳福祉施設寮生9歳女児45歳スナック店員・38歳飲食店員)を絞殺し遺体山中遺棄した(うち9歳女児を除く4人の遺体切断されていた)。また、1985年5月9歳女児殺害した際には女児自宅などに身代金要求する電話を計5回掛けた捜査段階では身代金要求除きすべて犯行認めたが、公判では「殺害したのは知人で、自分遺体遺棄などを手伝っただけだ」と無罪主張一連の事件途中(3件目と4件目の間)に別の窃盗罪で2件の有罪判決確定していたため、大阪地方検察庁刑法規定併合罪)により確定判決前後で「殺人3件」と「殺人2件+窃盗」に事件分離し前後事件について死刑求刑した大阪地裁横田信之裁判長)は1999年3月24日殺人5件をすべて有罪認定し被告人Kに死刑判決言い渡したが、身代金要求については「第三者による便乗犯行疑いがある」として無罪とした。被告人Kだけでなく、大阪地検身代金要求事実認定不服として大阪高裁控訴した2001年3月27日大阪高裁福島裁判長)は身代金要求に関して有罪認定し、同部分無罪とした一審判決破棄した上で改め死刑判決言い渡したその後2005年7月8日最高裁第二小法廷福田博裁判長)は控訴審判決支持して被告人Kの上告を棄却する判決言い渡し死刑確定した2016年3月25日大阪拘置所死刑執行75歳没)。 警察庁広域重要指定121号事件 (M) 2005年9月16日 1993年10月27日 - 12月20日 1961年昭和36年2月27日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在61歳)。旧姓S。本籍地東京都足立区一丁目1998年5月26日東京地裁阿部文洋裁判長)で犯行主導的な役割認定され死刑判決受けた2001年5月30日東京高裁龍岡資晃裁判長)で控訴棄却判決2005年9月16日最高裁第二小法廷中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定共犯Wは2004年4月上告棄却判決を受け、死刑確定仙台老夫婦殺害事件 (H) 2005年9月26日 1986年2月20日 1950年昭和25年12月29日生まれ2020年9月27日時点宮城刑務所仙台拘置支所収監中(現在71歳)。本籍地宮城県仙台市若林区荒井住居は同区沖野六丁目1981年入院先(仙台市内眼科)で知り合った会社社長被害者男性死亡当時82歳)と交際深めるうちに、被害者資産家であることを知った一方被害者左官仕事紹介してくれないことを逆恨みし、金に困っていたことから被害者夫婦殺害して金を奪うことを計画1986年2月20日午後に男性宅を訪れ借金申し込んだ断られたため、男性頭部鉄棒滅多打ちにして殺害し、約30分後に帰宅した妻(当時75歳)も鉄棒撲殺した上で郵便預金証書など(額面450万円)と現金12,000円を奪った上で同日夜、トラック2人遺体仙台市内山林遺棄した。1988年9月12日仙台地裁刑事第1部渡辺達夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、1991年3月29日仙台高裁小島建彦裁判長)で控訴棄却判決受けた1991年4月上告したが、上告中の1992年3月27日に自ら上告取下書を提出した。しかし弁護人から「控訴取り下げ訴訟能力欠いた状態でなされたため無効」とする申し出なされたことを受け、最高裁福島章命じて精神鑑定1992年6月29日実施)したところ、心神喪失状態であることが判明したこのため最高裁控訴取り下げ書を無効とし、刑事訴訟法基づいて被告人Hが回復するまで公判手続き停止することを決定した1993年5月31日付・最高裁第二小法廷大西勝也裁判長決定)。死刑事件公判付される能力訴訟能力)に異議申し立てて認められた初の事例で、本件以外に同様の事例藤沢市母娘ら5人殺害事件のみである。その後、同小法廷1997年6月12日再度の精神鑑定命じ福島実施)、「知的障害境界線上にいるが、統合失調症など重大な精神障害とはいえない」とする同鑑定結果踏まえ1998年3月17日付で「被告人心神喪失の状態でなくなった」として、公判手続停止決定取り消す決定出した2003年には西山詮が3度目精神鑑定実施し、「被告人Hは拘禁反応の状態だ。これはほとんどが裁判状況及び被告人Hと接触する人々言動起因するものだ」とする鑑定結果出した最高裁第二小法廷2004年9月上告審口頭弁論公判期日指定したが、実質的な弁論が行われなかったため、2005年7月15日改め弁論実施し上告から14年余り審理終結することとなった2005年9月26日最高裁第二小法廷今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定アムネスティ・インターナショナル日本支部2006年報告書死刑囚Hについて「精神病病状重く判決の意味理解できていないそうだ」「公判手続停止されからはいったん症状改善して病院送られたが、拘置所に戻ると悪化した」と述べている。 東京風俗店連続殺人事件陸田真志) 2005年10月17日 1995年12月21日 1970年昭和45年9月24日生まれ本籍地山口県下松市大字西豊井1998年6月5日東京地裁岩瀬裁判長)で死刑判決を、2001年9月11日東京高裁高木俊夫裁判長)で控訴棄却判決受けた2005年10月17日最高裁第一小法廷泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定2008年6月17日東京拘置所死刑執行37歳没)。死刑確定 - 執行までの期間は約2年8か月著書に『死と生きる-獄中哲学対話』(池田晶子との共著)がある。 群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) 2005年11月30日 2003年2月23日2003年4月1日 1967年昭和42年1月11日生まれ。男Oと共謀し、約1か月間に群馬県パチンコ店2店舗伊勢崎市および太田市)の店員2人相次いで殺害し死体それぞれ埼玉県行田市河川遺棄したほか、第1の犯行後には被害者から奪った鍵を用いて店に侵入し現金300万円などを奪った2004年3月26日さいたま地裁第3刑事部川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが、2005年7月13日本人控訴取り下げ弁護人異議申し立てたが、2005年11月30日死刑確定共犯Oは2009年6月最高裁上告棄却判決を受け死刑確定2021年12月21日共犯Oとともに東京拘置所死刑執行54歳没)。 大阪愛犬家連続殺人事件 (U) 2005年12月15日 1992年6月19日 - 1993年10月29日 1954年昭和29年8月14日生まれ2020年9月27日時点大阪拘置所収監中(現在67歳)。警察庁広域重要指定120事件無実主張したが、1998年3月20日大阪地裁湯川哲嗣裁判長)で死刑判決受けた2001年3月15日大阪高裁栗原宏武裁判長)で控訴棄却判決を、2005年12月15日最高裁横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定

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