2005年死刑確定囚(11人)
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事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)仙台・高松保険金殺人事件 (Y) 2005年1月25日 1985年11月・1990年3月 1935年(昭和10年)6月10日生まれ。1997年2月18日に第一審・高松地裁(重吉孝一郎裁判長)で無期懲役判決を受けたが、控訴審・高松高裁(島敏男裁判長)で2000年10月26日に一審破棄・死刑判決を受けた。2005年1月25日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。死刑確定から約3年4か月後の。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)。 同級生連続殺人事件 (M) 2005年1月27日 1989年8月9日1989年9月13日 1967年(昭和42年)12月6日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在54歳)。同級生2人を殺害した。1994年7月6日に水戸地裁下妻支部(小田部米彦裁判長)で死刑判決を、2001年5月1日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2005年1月27日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。 資産家老女ら2人殺害事件 (A) 2005年3月3日 1989年10月1日 - 4日 1946年(昭和21年)12月14日生まれ。旧姓O。第一審・東京地裁(山崎学裁判長)では1999年3月11日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・東京高裁(吉本徹也裁判長)では2001年5月17日に一審破棄・死刑判決を受けた。2005年3月3日に最高裁(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。死刑確定から約3年後の2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。 オウム真理教事件(宮前一明) 2005年5月6日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1989年2月 - 11月3日 1960年(昭和35年)10月8日生まれ。旧姓は岡崎および佐伯。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。刑事裁判では自首の成立は認められたが量刑は減軽されず、1998年10月23日に東京地裁(山室惠裁判長)で死刑判決。2001年12月13日には東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた。最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)。 スナックママ連続殺人事件 (N) 2005年6月7日 1991年(12月13日 - 12月28日) 1956年(昭和31年)1月14日・鳥取県鳥取市西品治生まれ。警察庁広域重要指定119号事件。18歳の時(1974年7月6日)に鳥取市永楽温泉町で殺人事件を起こし、1975年2月に鳥取地裁で懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決を受けた前科がある。1984年6月に松江刑務所を仮出所したが、同年9月にも永楽温泉町で強盗致傷事件を起こして1985年1月に懲役7年の判決を受け、1991年10月に鳥取刑務所を出所してから約2か月後の犯行。兵庫県姫路市(12月12日)・島根県松江市(21日)・京都府京都市(26日に2件)で相次いでスナックママ4人を殺害。4件の強盗殺人事件を起こした後、指名手配中の1992年1月5日には大阪府大阪市天王寺区で落語家・3代目桂あやめを襲撃して現金14万円を奪う強盗殺人未遂事件を起こし、同月7日には同区内のマンションに侵入して金を奪おうとするが、住人から自首するよう説得されて逮捕された。大阪地裁刑事第3部にて行われた第一審の公判では強盗殺人4件について全面的に無罪を主張したが、1995年9月11日に大阪地裁(松本芳希裁判長)で死刑判決を受けた。控訴審では姫路市の殺人事件のみ一転して犯行を認めたが「多量の飲酒で病的に深酔いし責任能力がなかった」として、それ以外の罪状(強盗殺人3件+桂への強盗殺人未遂事件)も含め一審と同様に無罪を主張。しかし2001年6月20日に大阪高裁(河上元康裁判長)は一審判決を支持し、被告人N(当時K姓)の控訴を棄却する判決を言い渡した。2005年6月7日に最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没)。 大阪連続バラバラ殺人事件 (K) 2005年7月8日 1985年5月 - 1994年3月 1940年(昭和15年)7月10日生まれ。警察庁広域重要指定122号事件。1985年5月下旬 - 1994年3月下旬にかけて大阪市内の自宅で女性5人(46歳主婦・19歳福祉施設寮生・9歳女児45歳・スナック店員・38歳飲食店員)を絞殺し、遺体を山中に遺棄した(うち9歳女児を除く4人の遺体は切断されていた)。また、1985年5月に9歳女児を殺害した際には女児の自宅などに身代金を要求する電話を計5回掛けた。捜査段階では身代金要求を除きすべて犯行を認めたが、公判では「殺害したのは知人で、自分は遺体の遺棄などを手伝っただけだ」と無罪を主張。一連の事件の途中(3件目と4件目の間)に別の窃盗罪で2件の有罪判決が確定していたため、大阪地方検察庁は刑法の規定(併合罪)により確定判決の前後で「殺人3件」と「殺人2件+窃盗」に事件を分離し、前後両事件について死刑を求刑した。大阪地裁(横田信之裁判長)は1999年3月24日に殺人5件をすべて有罪と認定し、被告人Kに死刑判決を言い渡したが、身代金要求については「第三者による便乗的犯行の疑いがある」として無罪とした。被告人Kだけでなく、大阪地検も身代金要求の事実認定を不服として大阪高裁へ控訴した。2001年3月27日に大阪高裁(福島裕裁判長)は身代金要求に関しても有罪と認定し、同部分を無罪とした一審判決を破棄した上で改めて死刑判決を言い渡した。その後、2005年7月8日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は控訴審判決を支持して被告人Kの上告を棄却する判決を言い渡し、死刑が確定した。2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)。 警察庁広域重要指定121号事件 (M) 2005年9月16日 1993年10月27日 - 12月20日 1961年(昭和36年)2月27日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在61歳)。旧姓S。本籍地は東京都足立区扇一丁目。1998年5月26日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で犯行の主導的な役割を認定され、死刑判決を受けた。2001年5月30日に東京高裁(龍岡資晃裁判長)で控訴棄却の判決。2005年9月16日に最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)で上告棄却の判決を受け、死刑が確定。共犯Wは2004年4月に上告棄却判決を受け、死刑が確定。 仙台老夫婦殺害事件 (H) 2005年9月26日 1986年2月20日 1950年(昭和25年)12月29日生まれ。2020年9月27日時点で宮城刑務所仙台拘置支所に収監中(現在71歳)。本籍地は宮城県仙台市若林区荒井、住居は同区沖野六丁目。1981年に入院先(仙台市内の眼科)で知り合った元会社社長の被害者男性(死亡当時82歳)と交際を深めるうちに、被害者が資産家であることを知った一方、被害者が左官の仕事を紹介してくれないことを逆恨みし、金に困っていたことから被害者夫婦を殺害して金を奪うことを計画。1986年2月20日午後に男性宅を訪れ、借金を申し込んだが断られたため、男性の頭部を鉄棒で滅多打ちにして殺害し、約30分後に帰宅した妻(当時75歳)も鉄棒で撲殺した上で、郵便預金証書など(額面約450万円)と現金12,000円を奪った上で同日夜、トラックで2人の遺体を仙台市内の山林に遺棄した。1988年9月12日に仙台地裁刑事第1部(渡辺達夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、1991年3月29日に仙台高裁(小島建彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた。1991年4月に上告したが、上告中の1992年3月27日に自ら上告取下書を提出した。しかし弁護人から「控訴取り下げは訴訟能力を欠いた状態でなされたため無効」とする申し出がなされたことを受け、最高裁が福島章に命じて精神鑑定(1992年6月29日に実施)したところ、心神喪失状態であることが判明した。このため最高裁は控訴取り下げ書を無効とし、刑事訴訟法に基づいて被告人Hが回復するまで公判手続きを停止することを決定した(1993年5月31日付・最高裁第二小法廷〈大西勝也裁判長〉決定)。死刑事件で公判に付される能力(訴訟能力)に異議を申し立てて認められた初の事例で、本件以外に同様の事例は藤沢市母娘ら5人殺害事件のみである。その後、同小法廷は1997年6月12日に再度の精神鑑定を命じ(福島が実施)、「知的障害の境界線上にいるが、統合失調症など重大な精神障害とはいえない」とする同鑑定結果を踏まえ、1998年3月17日付で「被告人が心神喪失の状態でなくなった」として、公判手続停止決定を取り消す決定を出した。2003年には西山詮が3度目の精神鑑定を実施し、「被告人Hは拘禁反応の状態だ。これはほとんどが裁判の状況及び被告人Hと接触する人々の言動に起因するものだ」とする鑑定結果を出した。最高裁第二小法廷は2004年9月に上告審口頭弁論公判期日を指定したが、実質的な弁論が行われなかったため、2005年7月15日に改めて弁論を実施し、上告から14年余りで審理が終結することとなった。2005年9月26日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。アムネスティ・インターナショナル日本支部は2006年の報告書で死刑囚Hについて「精神病の病状が重く、判決の意味が理解できていないそうだ」「公判手続が停止されてからはいったん症状が改善して病院へ送られたが、拘置所に戻ると悪化した」と述べている。 東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) 2005年10月17日 1995年12月21日 1970年(昭和45年)9月24日生まれ。本籍地は山口県下松市大字西豊井。1998年6月5日に東京地裁(岩瀬徹裁判長)で死刑判決を、2001年9月11日に東京高裁(高木俊夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2005年10月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)。死刑確定 - 執行までの期間は約2年8か月。著書に『死と生きる-獄中哲学対話』(池田晶子との共著)がある。 群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) 2005年11月30日 2003年2月23日2003年4月1日 1967年(昭和42年)1月11日生まれ。男Oと共謀し、約1か月間に群馬県のパチンコ店2店舗(伊勢崎市および太田市)の店員2人を相次いで殺害し、死体をそれぞれ埼玉県行田市の河川に遺棄したほか、第1の犯行後には被害者から奪った鍵を用いて店に侵入し、現金300万円などを奪った。2004年3月26日にさいたま地裁第3刑事部(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが、2005年7月13日に本人が控訴取り下げ。弁護人が異議を申し立てたが、2005年11月30日に死刑確定。共犯Oは2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定。2021年12月21日、共犯Oとともに東京拘置所で死刑執行(54歳没)。 大阪愛犬家連続殺人事件 (U) 2005年12月15日 1992年6月19日 - 1993年10月29日 1954年(昭和29年)8月14日生まれ。2020年9月27日時点で大阪拘置所に収監中(現在67歳)。警察庁広域重要指定120号事件。無実を主張したが、1998年3月20日に大阪地裁(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を受けた。2001年3月15日に大阪高裁(栗原宏武裁判長)で控訴棄却判決を、2005年12月15日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。
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