スナックママ連続殺人事件
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スナックママ連続殺人事件(スナックママれんぞくさつじんじけん)は、1991年(平成3年)12月に兵庫県・島根県・京都府で発生した連続殺人事件。
注釈
- ^ a b c d Nは控訴審判決(2001年6月20日)の約2年前に、兵庫県内在住の宗教家と養子縁組して「K」姓に改姓した[10]。2005年4月の上告審弁論時点でも「K」姓だった[21]が、上告審判決(同年6月)時点では「N」姓に戻っている[11][22]。『年報・死刑廃止』(インパクト出版会)によれば、控訴中の1999年9月28日時点[23]では逮捕当時と同じ「N」姓だったが[24]、2000年12月31日時点[25]では「K」姓に改姓していた[26]。
- ^ 姉4人は母の死後まもなく次々に結婚した[28]。Nの姉のうち1人(1992年時点で鳥取市内在住)は「(結婚して実家を出てからも)弟Nの家には代わる代わる様子を見に行くようにしていた」と証言したが、米子市内の養護施設の元寮母は「Nにとっては施設で過ごした2年間が人生最大の安らぎだったかもしれない」と証言している[28]。
- ^ Nの父親は帰宅してもNとはほとんど口を利かず、Nから「学校の授業参観に来て」と頼まれても足を運ばなかった[28]。息子が本事件で逮捕された1992年1月時点で鳥取市内の老人ホームにいたが、Nが出所してからも会いに行った形跡はなかった[30]。
- ^ Nは自作の詩で「自分が小学校3年生の時の春に亡くなった」と述べている[32]。
- ^ 京都・大阪にも働きに出たが、「仕事が汚い」などを理由に1か月以上続かなかった[27]。
- ^ 中学校卒業後には姉の嫁ぎ先に引き取られた[27]。
- ^ この時、被害者女性は床に倒されながらも包丁を持つNに笑顔を見せて懐柔しようとしたが、Nはこれを「馬鹿にされた」と受け取って逆上し[27]、女性の左右の頸動脈を3回切り付けて殺害した[7]。
- ^ 1974年2月に大阪市などで計119,500円の盗みをしたほか、1974年7月1日に鳥取市瓦町のスナックで女性経営者の郵便貯金通帳1通・印鑑などを盗み、鳥取郵便局で「経営者の息子」と偽って15万円を引き出した[37]。
- ^ 論告求刑の際、鳥取地方検察庁の検察官・岡野英雄は被告人Nを事件当時18歳未満と誤認し、18歳未満の触法少年に適用される少年法第51条[39]を適用して懲役12年を求刑したが、後にNは1956年1月生まれ(事件当時18歳)であることが判明したため、岡野検事は判決に先立って地裁に論告再開を求め、改めて少年法第52条[40]を適用した上で、懲役5年 - 10年の不定期刑を求刑した[38]。その後、弁護士になった岡野は本事件の発生を受け、『読売新聞』記者の取材に対し「(Nは)言葉の少ない男だったが、取り調べに対しては素直に犯行を認めていた。更生してくれると信じていたのに…」と話していた[41]。
- ^ 裁判官は判決理由で「被告人Nは9歳で母と死別し、義兄に育てられるなど同情の余地はあるが、殺害後に逃走用資金として被害者の金を盗むなど、犯行は残虐だ」と説明した[38]。
- ^ このパチンコ店は後に殺害した被害者Bが経営していたスナックの近くで、Nは8月初めまで同店で働き、Bの店に1か月近く頻繁に出入りしていた[43]。
- ^ Nは1人でこのスナックへ来店し、他の客が帰りママと2人だけになったところでママに突然襲い掛かり首を絞めようとしたが、抵抗されたためそのまま逃走した[54]。ママは怪我がなく、金も奪われなかったため「いたずらでもしようとしたのだろう」と考え、警察に通報しなかった[54]。
- ^ 組は独自にNの立ち回り先を調べ、鳥取・大阪までNを追っていた[53]。
- ^ 組員とは別の刑務所仲間の家[29]。
- ^ このスナックのママは「うちの店は貸し切りをしない」と断ったほか、警察官が頻繁に出入りすることなどを話題にしたところ、Nは「近くで友達と待ち合わせているからちょっと行ってくる」と言い残して姿を消していた[56]。また貸し切りを求めた各店とも友人を店に呼んだ形跡はなく、店を施錠して来客を防ごうとした点から、各捜査本部は「Nは仮に経営者が貸し切りに応じた場合、経営者を襲おうとしていた」と推測した[56]。
- ^ 被害品はカウンター内に入った現金・ポーチ・商品券・ジャンボ宝くじ20枚など[60]。
- ^ 城崎駅付近のトンネル内[60]。
- ^ ポーチの中身には宝くじを入れる空袋1枚も含まれていた[60]。
- ^ Nは取り調べに対し「A事件の凶器は山陰線に乗っている途中に列車の窓から捨てた」と自供したため[62]、「A事件後の12月13日に姫路方面から山陰方面へ逃走する途中で列車からポーチを投げ捨てた」可能性が指摘されている[61]。
- ^ 姫路市内の宝くじ売り場で販売されていた[60]。
- ^ この時点では一連の事件が発覚しておらず、N自身も手配されていた強盗事件の被疑者とは年齢などが違ったため、米子署員からそれ以上追及されることはなかったが、この時に名乗った名前は後に逮捕の手掛かりになった[64]。
- ^ またこの時、A事件で被害者Aが持っていたデパートの商品券・ブレスレットをスナックの女性経営者に贈っていた[65]。
- ^ 島根県警は当初「犯行時間帯は21日深夜 - 22日未明」と推測していたが[55]、Nが松江市を離れた時間と矛盾したため修正した[66]。
- ^ 『毎日新聞』では「21日17時ごろに倉吉市内のスナックを訪れ、ジャンパー入りの袋を店に預けた」と[55]、『読売新聞』では「22日未明に倉吉市内の行きつけのスナックを訪れ、店の女性経営者にジャンパー入りの袋を預けた」とそれぞれ報道されている[67]。
- ^ NはD事件の凶器の刃物について「店内にあった包丁を使い、近くのゴミ箱に捨てた」と供述したが、包丁は発見されなかった[72]。
- ^ A事件の現場ではカウンター周辺からNの指紋が検出された[63]。
- ^ 京都府警は捜査員を姫路に派遣したほか、島根県警も捜査員を京都入りさせ、29日夜からは兵庫県警に逮捕状を請求されたNの名を挙げ、顔写真を見せて松江市内のタクシー会社・ホテルなどへ聞き込み捜査を行った[63]。また同日、近畿管区警察局などは事件の続発を懸念し、Nが宿泊する可能性のある旅館などの巡回強化を大阪府警など各警察本部に指示した[63]。
- ^ Nは鳥取刑務所で服役していた際、大阪出身の受刑者から「新世界には『ジャンジャン横丁』という繁華街があり生活しやすい」などと聞いていたことも天王寺を潜伏先に選んだ理由だった[79]。
- ^ この時Nが出入りしていたパチンコ店の周囲には、他にもパチンコ店があったが、Nはその中でも唯一裏通りに通じる出入口がある店だけを選んでいた[80]。
- ^ この簡易旅館は天王寺駅から北側に位置し[81]、後述の桂花枝のアパートから北へ約100 mの場所にあった[80]。
- ^ 逮捕後、Nは桂宅への強盗の動機について「和歌山に行くための運賃が欲しかった」と供述したが、当時は和歌山への交通費としては十分な約2万円を持っていたため、その点を追及されると「刑務所仲間を頼るためにはタダでは行けない。謝礼金を作るためだった」と供述した[78]。また、この時には知人らが警察に通報することを予想して追跡捜査攪乱を狙ったためか、知人・親類に対し電話で「船で逃げようと思う」「もっと東に行く」などと偽の逃走先を告げていた[83]。
- ^ 桂の部屋と無人の隣室の境にある物置に身を隠していたとされる[84]。
- ^ 12月30日ごろに桂と同じアパートに住んでいた高齢男性(当時80歳以上)に「今度ここに引っ越すことになった」とあいさつし、その後も毎日のように男性の居室を訪れて室内で雑談したり、一緒にテレビのニュースを観るなどして過ごしていた[85]。
- ^ 古いスニーカーは翌日(1992年1月5日)にごみ回収業者が収集し、大阪市住之江区内の清掃工場へ運ばれた[56]。
- ^ 桂のアパートに押し入った当時、Nは所持金が2万円しかなかった[62]。
- ^ Nは桂の首をまず後ろから絞め、さらに抵抗されると再度前から絞めていた[80]。
- ^ 桂がNに対し「金はある」と答えるとNは首を絞める力を緩めた[86]。桂は後の公判で証人として出廷した際に「『金はある』と答えたから殺されずに済んだ。もし『ない』と答えていたら殺されていただろう」と証言している[87]。
- ^ 4件の殺人についてNは桂に「2件は自分がやったがほかの2件はでっち上げだ。警察は信用できない。逮捕されるぐらいなら自殺する」と話していた[86]。またNは桂の居室に侵入した際、自分の顔写真部分を破り取った本連続殺人事件の新聞記事を持っており、玄関を出る際にはその記事を玄関先に置いて立ち去った[88]。
- ^ Nは桂を殺害しなかった理由について取り調べに対し「初めは殺すつもりだった」[89]「最初に首を絞めたら動かなくなり、死んだと思ったが息を吹き返して驚いた。しかし『金さえ取れればいい』と気が変わった」と述べている[9]。実際、桂の首にはほぼ一周する帯状の鬱血の痕が残ったほか、桂は首を絞められたことで一時仮死状態に陥り、そのまま窒息死していた虞もあった[80]。
- ^ 桂から通報を受けた捜査員は当初「本当に犯人がNならば、桂は既に殺されているはずだ。『人を殺して新聞に毎日載っている男だ』と自ら名乗るものか?」と疑念を抱いていたが、指紋によりNの犯行が裏付けられた[90]。
- ^ JR天王寺駅から北方約800 m、桂のアパートから500 mに位置する[91]。
- ^ Nは逮捕後に「ゆっくり食事したいと考え、適当なマンションを探してN宅へ行った」と供述した[92]。
- ^ このほかYとトランプ・電卓型ゲーム機で遊んだほか、Xに対し「(Yに)おもちゃでも買ってあげて」と1万円の「お年玉」を渡していた[93]。
- ^ Nはその動機を「いたずら目的」と供述した[9]。
- ^ Nは取り調べで、この時に首を絞めた力が1回目よりきつかったことを追及され「一度首を絞めていたずらしようとしたことを拒絶され、カッとなり殺すつもりで絞め直した」と殺意を認める供述をした[9]。
- ^ XはNの逮捕後、記者会見で「ただ一生懸命にNの話を聞いてあげるだけだった。もしあれだけの人を殺していたのなら素直にすべてを話してほしい」と述べた[94]。
- ^ Nは119号事件を報道した朝7時のテレビニュースを観て「嘘ばかりだ」とぼやいていた一方[51]、X・Y母子とともに3人で朝食を食べたほか[94]、XがYを連れて自分のために替えの下着を買いに出た際にも逃げ出さず、逮捕されるまでおとなしくしていた[51]。
- ^ しかし逮捕後、Nは取り調べに対し「自首する気はなく逃げるつもりだった」[92]「逃げようか迷っている間に警察官が来た」と述べている[89]。
- ^ 『朝日新聞』では「四天王寺東派出所」と解説されている[95]。
- ^ Xと指導員は逮捕同日、大阪府警から本部長表彰を受けている[92]。
- ^ 直接の逮捕容疑は桂への強盗殺人未遂容疑[96]。
- ^ 京都地検は処分保留の理由を「被告人Nの新供述などから殺害が強盗目的か否かを検討している」[105]「京都市内で発生した2件の殺人の連続性を考慮し、併せて起訴する」と説明していた[106]。
- ^ 大阪地検はそれまでの捜査で検察官をその他全事件の捜査に派遣していた[14]。
- ^ ただし、大阪地検は「(この時点で証拠を開示していなかった理由は)証拠物の量が膨大で整理作業に時間を追われているためであり、開示を拒んでいるわけではない」と説明した[116]。
- ^ A事件では「事件当日は別の店にいた」、B事件では「現場には一度も行っていない」、C事件では「事件発生時は別の場所にいた」、D事件では「事件当日に現場へ行ったが、被害者Dを殺害した記憶はない」と述べた[118]。またDの長男Eに対する強盗致傷事件では「被害者Eと揉み合いにはなったが、瓶で殴ってはいない」と主張し、桂を襲撃した強盗殺人未遂罪についても殺意を否認した[118]。
- ^ a b 確定判決の根拠となったDNA型鑑定方法は足利事件(無期懲役確定後に冤罪が判明し、再審無罪が確定)と同様の「MCT118型DNA鑑定」で、控訴審で被告人Nの弁護人を務めた弁護士・小田幸児は「信憑性に欠けるDNA型鑑定の結果を基に確定した不当判決だ。再審を開かないまま死刑囚Nの刑を執行したことは殺人と同じであり、到底許されない」と批判している[120]。
- ^ ただし証拠採用に同意した分については「警察官から支持されて欠かされた可能性があり、証拠価値は低い」と主張した[121]。
- ^ 最終弁論時の大阪地裁の裁判長は『読売新聞』では「松本芳希裁判長」[129]、『毎日新聞』では(谷口敬一裁判長)となっている[130]。
- ^ 第一審判決で指紋、被告人Nが奪ったとされる宝くじ・商品券など比較的多くの物証が認定されていた[131]。
- ^ 1960年生まれ(アメリカ合衆国・ミネソタ州出身)、ベセル・カレッジ卒業およびシカゴ大学大学院で社会学修士号を取得[137]。日本の司法制度や司法制度改革問題に精通し、フルブライト研究員として1992年8月 - 1994年3月まで神戸大学で、2003年8月 - 2004年5月まで早稲田大学で研究生活を送っていた[137]。
- ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[141]。
- ^ 同日には広島拘置所でも岡山元同僚女性バラバラ殺人事件の死刑囚の刑が執行されている[13]。
- ^ 1999年12月17日には臼井日出男法務大臣が発した死刑執行命令により、当時第7次(7回目の)再審請求中だった長崎雨宿り殺人事件(1977年発生)の死刑囚が、収監先の福岡拘置所で死刑を執行されている[148]。
出典
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- ^ 少年法第51条(1975年当時) - 「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは無期刑を科し、無期刑をもって処断すべきときは10年以上15年以下の懲役または禁錮刑を科する」[38]。
- ^ 少年法第52条(1975年当時) - 「少年に対して長期3年以下の有期の懲役または禁錮をもって処すべきときはその刑の範囲内において長期と短期を定めてこれを言い渡す。刑期は短期は5年、長期は10年を超えることはできない」[38]。
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- ^ 『読売新聞』1992年1月8日大阪夕刊ズーム面3頁「[NEWSズームアップ]連続ママ殺し119号事件 愛に飢え爆発? あの童顔今はなく-何のための服役だったのか」(読売新聞大阪本社 記者:寺田義則)
- ^ a b 『読売新聞』1992年1月7日大阪夕刊第二社会面10頁「スナックママ連続殺人 N容疑者、母の死で人生狂う」(読売新聞大阪本社)
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