第1の犯行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:15 UTC 版)
「アンリ・デジレ・ランドリュー」の記事における「第1の犯行」の解説
時期:1915年4月か5月 被害者:ジャンヌ・キュシェ(39歳) キュシェはパリの婦人肌着専門店に勤める未亡人であり、16歳の息子がいた。1914年、ランドリューはキュシェと知り合い、彼女と交際した。ランドリューはキュシェに対して偽名を名乗り、戦争でリールを追われた郵政監査官と嘯いた。さらにランドリューは、キュシェの息子に安定した官庁勤めを紹介すると約束さえし、キュシェはそれを盲信した。一方でキュシェの姉は、ランドリューを金目当ての詐欺師のように感じとり、キュシェに忠告したものの、キュシェはその忠告を無視した。 しかしキュシェ自身も次第に、ランドリューが自分と愛人関係として過ごし、なかなか結婚に踏み切らないことに痺れを切らして、彼と喧嘩をしてしまった。キュシェは後に、復縁のためにランドリューの家に向かい、自分の家族に同行を頼んだ。ランドリューは不在だったが、同行したキュシェの義兄は、ランドリューの部屋で大量の女性の手紙を発見した。義兄はこのことでランドリューを詐欺師と疑い、キュシェに別れるよう警告した。家族らが、ランドリューの名の詐称、結婚歴、前科を見抜いても、キュシェはランドリューに執着し続けた。それどころか逆に家族の縁を切って、ヴェルヌイエの彼がアパートへとついて行った。 1914年6月、ランドリューは銀行に5千フランを預金した。金の出所を聞かれたランドリューは、父からの相続金と言っていた。同1914年12月、キュシェ母子はヴェルヌイエのランドリューのもとへ移り住んだ。その翌年、キュシェ母子は1915年1月15日の目撃を最後に、消息を絶った。 ランドリュー家の隣人は、彼の家の煙突から激しく立ち昇る煙を目にした。その煙は肉を焼くような強い匂いがしたともいい、苦情に応じて警察がランドリューのもとを訪れると、彼は「ガラクタを燃やしていただけ」と弁明した。ランドリューがキュシェ母子の遺体を焼却したことは確実と見られている。
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