第1の死亡事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 16:45 UTC 版)
「ティリクム (シャチ)」の記事における「第1の死亡事故」の解説
1991年の2月20日、21歳の海洋生物学を専攻する学生 Keltie Byrne が足を滑らせてティリクム、ハイダ2号、ヌートカ4号がいるプールに落ちた。彼女は競泳の選手でもあり、当時はシーランドで調教師のアルバイト中だった。3頭のシャチは彼女を引っ張ってプールをぐるぐる回り、浮上を妨げて彼女を水中に沈めた。彼女は一度、岸にたどり着けたものの、岸に上がろうとしたときに、3頭のシャチが、恐怖の面持ちで岸側からプールを取り巻いて彼女を見守っていた観客の目の前で、彼女を再びプールに引きずり込んだ。他の調教師たちは彼女の悲鳴に反応して、彼女に浮き輪を投げた。しかし、シャチたちは彼女を浮き輪から遠ざけ続けた。彼女は3回浮上して悲鳴を上げたのちに溺死した。プールから遺体を引き上げるのには数時間を要した。2頭の雌は当時妊娠していたが、このことは調教師たちは誰も知らなかった。 ティリクムは1992年1月9日にフロリダ州オーランドのシーワールド(SeaWorld Orlando)へ移送された。太平洋シーランドはその後間もなく閉業となった。
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