2009年死刑確定囚(17人)
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事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (WM) 2009年1月22日 2000年7月13日 1952年(昭和27年)12月9日生まれ・小物販売業。旧姓I。元暴力団組長。本籍地は北海道旭川市東光、住居は札幌市西区二十四軒二条四丁目。後述のIKから依頼を受け、暴力団「渡一家」(山口組系)の組長夫婦を拳銃で射殺したとして、殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、事件前に組長宅への強盗を企てた強盗予備罪に問われた。拳銃の加重所持などにより懲役7年に処されるなど、前科4犯(いずれも実刑の懲役刑)を有している。2004年3月26日に富山地裁(神沢昌克裁判長)で死刑判決を、2006年2月16日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2009年1月22日に最高裁第一小法廷(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。なお、同事件ではWM・IK両被告人とは別に、被害者の組長が率いていた「渡一家」の副組長も「事件の首謀者」として死刑を求刑されたが、2006年11月21日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で無罪判決を受けた。検察が控訴したが、名古屋高裁金沢支部(青木正良裁判長)でも2008年4月17日に控訴棄却の判決を受け、無罪が確定した。名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に肝不全による出血性ショックにより入院先の病院で病死(56歳没)。 高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (IK) 2009年3月23日 2000年7月13日 1947年(昭和22年)3月15日生まれ(旧姓O)。本籍地および住居は富山県高岡市大町。上記WMの共犯者で、暴力団「渡一家」元幹部(被害者である組長の舎弟)。取調べの段階で「副組長(無罪確定)と一緒に組長WMに対し、被害者夫婦の殺害を依頼した」と供述した。WMに命じて組長夫婦を殺害させた殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、建造物侵入・威力業務妨害・覚醒剤取締法違反の余罪あり。2005年1月27日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で死刑判決を、2006年10月12日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却の判決を受けた。2009年3月23日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。確定後の2009年5月13日、金沢刑務所から名古屋拘置所に移監された。再審請求中の2014年7月16日に肝臓癌のため収監先・名古屋拘置所内で病死(67歳没)。 熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M) 2009年4月3日 2003年10月16日 1973年(昭和48年)5月26日生まれ。2006年9月21日に熊本地裁(松下潔裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月3日に福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で控訴棄却判決。2009年4月3日に水から上告を取り下げ死刑確定。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)。 闇サイト殺人事件 (K) 2009年4月13日 2007年8月(24日 - 25日) 1973年(昭和48年)3月9日生まれ。2009年3月18日に名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが2009年4月13日に自ら控訴を取り下げ死刑確定。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した。堀は『鎮魂歌(レクイエム)』(インパクト出版会)という自伝的書籍を上梓している。 和歌山毒物カレー事件(林眞須美) 2009年5月18日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1998年7月25日 1961年(昭和36年)7月22日生まれ。女性死刑囚。2020年9月27日時点で大阪拘置所に収監中(現在60歳)。第一審では黙秘したが、2002年12月11日に和歌山地裁(小川育央裁判長)で死刑判決を受けた。控訴審ではカレー事件について無実を主張したが、2005年6月28日に大阪高裁(白井万久裁判長)で控訴棄却判決を受けた。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した。2014年3月に支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩と養子縁組。著書に単著『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』(講談社)と共著『和歌山カレー事件--獄中からの手紙』(創出版)がある。 埼玉愛犬家連続殺人事件 (S) 2009年6月22日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1993年4月20日 - 8月26日 1942年(昭和17年)1月2日生まれ。共犯者・風間の元夫。事件前にはテレビ番組「男のBEタイム」(テレビ東京系列、1988年9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演したほか、有名ブリーダーとして雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。従犯・山崎永幸は懲役3年の判決を受け(1998年8月28日に満期出所)、出所後の1999年に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社)を出版したほか、2001年6月20日放映のテレビ番組『オフレコ!』(TBS系列)に出演し事件について証言した。公判で被告人Sは「犯行は元妻・風間が主導した」と主張したが、風間とともに2001年3月21日に浦和地裁(須田贒裁判長)で死刑判決を、2005年7月11日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決をそれぞれ受けた。2009年6月5日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で風間とともに上告棄却判決を受け、両被告人の判決訂正申し立ても同月22日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。死刑確定後の2016年11月に収監先・東京拘置所内で心臓発作を起こして外部の病院に救急搬送され、以降は拘置所内で治療を受けていたが、2017年3月27日に多臓器不全のため所内で病死(75歳没)。 埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子) 2009年6月22日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1993年4月20日 - 8月26日 1957年(昭和32年)2月19日生まれ。共犯者Sの元妻・女性死刑囚。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在65歳)。事件前の1992年2月に著書『愛しのアラスカン・マラミュート』(アフリカケンネル)を出版している。公判で風間は「一部の死体損壊・遺棄に関与しただけで、元夫Sに利用された」と主張していたが、元夫Sとともに死刑判決を受け確定した。死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに2人の手記・絵画が掲載されている。2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。 群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) 2009年6月9日 2003年2月23日2003年4月1日 1977年(昭和52年)4月20日生まれ。男Tと共謀し、約1か月間に群馬県のパチンコ店2店舗(伊勢崎市および太田市)の店員2人を相次いで殺害し、死体をそれぞれ埼玉県行田市の河川に遺棄したほか、第1の犯行後には被害者から奪った鍵を用いて店に侵入し、現金300万円などを奪った。2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2009年6月9日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 共犯Tは控訴を取り下げ、2005年11月30日に死刑が確定した。第2次再審請求中の2021年12月21日、共犯Tとともに東京拘置所で死刑執行(44歳没)。 ファミレス2人射殺事件 (M) 2009年6月26日 2005年4月25日 1956年(昭和31年)8月15日生まれ。2005年12月12日に千葉地裁(金谷暁裁判長)で死刑判決を、2006年10月5日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2009年6月15日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け、同年6月26日付で死刑が確定。共犯1人 (H) は2011年12月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定、もう1人の共犯は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で共犯Hとともに死刑執行(52歳没)。 仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T) 2009年6月23日 2001年1月8日2001年2月3日 1963年(昭和38年)6月10日生まれ(旧姓I)。2020年9月27日時点で宮城刑務所仙台拘置支所に収監中(現在59歳)。貸金業者ら2人を殺害し、2004年3月25日に仙台地裁(本間榮一裁判長)で死刑判決を受けた。2005年7月26日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却の、2009年6月23日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定。 前橋スナック銃乱射事件 (K) 2009年7月31日(訂正申立棄却決定日) 2003年1月25日 1969年(昭和44年)8月18日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在52歳)。住吉会系暴力団の元組幹部。暴力団住吉会幸平一家Y会の元会長YO(2014年に死刑確定・2020年に獄中で自殺)から同じ住吉会系暴力団組員・YK(2013年に死刑確定)とともに対立していた元暴力団組長の殺害を指示され、群馬県前橋市のスナック店内で拳銃を乱射して計4人(店の前にいた元組長の護衛約1人+客3人)を射殺し、元組長ら2人にも重傷を負わせた。2005年3月28日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、2006年3月16日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決。2009年7月10日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受け、判決への訂正申立も同月31日付の決定で棄却されたため、死刑が確定。 オウム真理教事件(早川紀代秀) 2009年7月31日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1989年2月1989年11月4日 1949年(昭和24年)7月14日生まれ。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため、2008年8月1日までに死刑が確定した。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され、第3次再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(69歳没)。 オウム真理教事件(豊田亨) 2009年12月1日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月20日 1968年(昭和43年)1月23日生まれ。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。広瀬とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した。第1次再審請求の即時抗告中だった2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。 オウム真理教事件(広瀬健一) 2009年12月1日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月20日 1964年(昭和39年)6月12日生まれ。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。豊田とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した。第1次再審請求中の2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。 北見市資産家夫婦殺害事件 (K) 2009年12月4日 1988年10月21日 1945年(昭和20年)1月1日生まれ。2020年9月27日時点で札幌刑務所札幌拘置支所に収監中(現在77歳)。生命保険契約を結んでもらうために虚偽の説明をしたことが発覚することを免れるため、北海道北見市で顧客の資産家夫婦を、ドライバーや包丁で刺殺した。事件後には海中に車を転落させ、自殺を装うなどして行方をくらまし、13年余り逃亡したが、公訴時効成立の約10か月前(2002年12月18日)に神奈川県横浜市内で逮捕された。逮捕後に犯行を認めたものの、第一審では第4回公判(2003年9月)から否認に転じたが、2004年3月2日に釧路地裁北見支部(伊東顕裁判長)で死刑判決を言い渡された。控訴したが、2005年12月1日に札幌高裁(長島孝太郎裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2009年12月4日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。同年以降、2021年11月までに5度の再審請求を行ったが、いずれも棄却されている。 架空建設計画取引における連続殺人事件 (S) 2009年12月24日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1996年6月8日1996年11月19日 1950年(昭和25年)10月4日生まれ。本籍地は福岡県嘉麻市。下記Tの共犯。2020年9月27日時点で福岡拘置所に収監中(現在71歳)。2004年3月11日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受け、2006年5月24日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決。2009年12月11日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け、2009年12月24日付で同小法廷が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため、死刑が確定。 架空建設計画取引における連続殺人事件 (T) 2009年12月24日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1996年6月8日1996年11月19日 1943年(昭和18年)10月19日生まれ。本籍地および住居は福岡県飯塚市。上記Sの共犯。第一審・福岡地裁では(Sが死刑判決を受けた日と同日に)無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁では一審破棄・死刑判決を受け、上告棄却により死刑確定。2010年4月14日に収監先・福岡拘置所で病死(66歳没)。
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