涌井紀夫
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| 涌井 紀夫 わくい のりお |
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| 生年月日 | 1942年2月11日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 2009年12月17日(67歳没)[1] |
| 死没地 | |
| 国籍 | |
| 出身校 | 京都大学法学部[1][2] |
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| 任期 | 2006年10月16日 - 2009年12月17日 |
| 前任者 | 町田顯[3] |
| 後任者 | 白木勇[4] |
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| 任期 | 2005年5月17日 - 2006年10月15日 |
| 前任者 | 堀籠幸男[5] |
| 後任者 | 金築誠志[6] |
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| 任期 | 2002年9月18日 - 2005年5月16日 |
| 前任者 | 青山正明[7] |
| 後任者 | 龍岡資晃[5] |
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| 任期 | 2001年2月21日 - 2002年9月17日 |
| 前任者 | 島田仁郎[8] |
| 後任者 | 金築誠志[7] |
涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 2009年12月17日[1])は、日本の元裁判官。最高裁判所判事を務めた[9]。
略歴
六甲高等学校、京都大学法学部卒業後は1964年(昭和39年)4月に第18期司法修習生、1966年(昭和41年)4月8日に東京地方裁判所判事補任官[2][1][9]。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
- 1966年(昭和41年)4月8日 - 1969年(昭和44年)3月31日:東京地方裁判所判事補[9]
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 1972年(昭和47年)4月10日:最高裁判所事務総局刑事局付・東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、東京簡易裁判所判事[9]
- 1972年(昭和47年)4月11日 - 1975年(昭和50年)4月14日:旭川簡易裁判所判事、旭川地方裁判所・旭川家庭裁判所判事補[9]
- 1975年(昭和50年)4月15日 - 1976年(昭和51年)3月31日:東京簡易裁判所判事、東京地方裁判所判事補[9]
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 1977年(昭和52年)4月30日:最高裁判所事務総局行政局参事官[9]
- 1977年(昭和52年)5月1日 - 1979年(昭和54年)6月30日:最高裁判所事務総局行政局第二課長[9]
- 1979年(昭和54年)7月1日 - 1983年(昭和58年)3月31日:最高裁判所事務総局行政局第一課長兼第三課長兼最高裁判所事務総局広報課付[9]
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 1984年(昭和59年)4月15日:東京地方裁判所判事[9]
- 1984年(昭和59年)4月16日 - 1988年(昭和63年)3月31日:最高裁判所事務総局人事局給与課長[9]
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 1992年(平成4年)5月31日:東京地方裁判所部総括判事(民事第5部)[9][10]
- 1992年(平成4年)6月1日 - 1993年(平成5年)11月3日:最高裁判所上席調査官[9][11]
- 1993年(平成5年)11月4日 - 1998年(平成10年)1月23日:最高裁判所事務総局総務局長[9][12]
- 1998年(平成10年)1月24日 - 1999年(平成11年)2月10日:前橋地方裁判所長[9][13]
- 1999年(平成11年)2月11日 - 2001年(平成13年)2月20日:東京高等裁判所部総括判事(第15民事部)[9][14]
- 2001年(平成13年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月17日:司法研修所長[9]
- 2002年(平成14年)9月18日 - 2005年(平成17年)5月16日:福岡高等裁判所長官[9][7]
- 2005年(平成17年)5月17日 - 2006年(平成18年)10月15日:大阪高等裁判所長官[9][5]
- 2006年(平成18年)10月16日:最高裁判所判事[9]
- 2009年(平成21年)12月17日:肺癌の為に逝去[1][9]。67歳没[1]。
担当審理
東京地裁部総括判事として
- 1990年(平成2年)1月25日、週刊朝日が1988年(昭和63年)6月24日号で掲載した記事について、日本ゲートボール連合が「記事は虚偽だ」として謝罪広告の掲載と損害賠償を求めた訴訟で「記事にある事実は真実と認められる。論評部分も若干の誇張を含むといえ、公正さを欠くとまではいえない」として日本ゲートボール連合の請求を棄却した[10]。
東京高裁部総括判事として
- 2000年(平成12年)10月25日、捜査報告書に所属政党などを記載した上で裁判所に提出したのはプライバシーの侵害に当たるとして弁護士が国などに損害賠償300万円を求めた訴訟で、所属政党が記載した資料を刑事裁判の証拠として提出したことのみ違法とした上で一審・東京地裁八王子支部の判決を破棄、国に慰謝料12万円の支払いを命じた[15]。
- 2001年(平成13年)1月17日、藤沢放火殺人事件で被害者の両親が交際相手の男に対し、約9900万円の損害賠償を求めた訴訟で「女性の焼死は男性の加害行為によって引き起こされたと推認することが合理的で説得力がある」として損害賠償9700万円の支払いを命じた一審・横浜地裁の判決を支持、被告側の控訴を棄却した[16]。
- 2001年(平成13年)7月4日、東海第二発電所設置許可取消訴訟で、圧力容器の劣化や原子炉の耐震性など一部原告の主張に理解を示した上で「直ちに合理性を欠き、違法とまではいえない」として原告1人について一審・水戸地裁の判決を破棄した上で原告の請求を棄却、残る11人については一審・水戸地裁の判決を支持、原告側の控訴を棄却した[17][18][19]。
最高裁判事として
大法廷判決に対する対応
- 2005年(平成17年)9月11日において行われた衆議院議員総選挙の小選挙区の区割規定が憲法14条1項等に反していたか。多数意見(合憲)[2][20]。
- 衆議院議員小選挙区選出議員選挙について候補者届出政党と無所属候補者に対する選挙運動の差異を設けることは憲法14条1項等に反するか。多数意見(合憲)
- 国籍法3条1項は憲法14条1項に違反するか。多数意見(違憲・今井裁判官の補足意見に同調)[21]
- 市町村の施行する土地区画整理事業の事業計画の決定は、行政訴訟の対象となる行政処分に当たる(1966年(昭和41年)の最高裁判決を変更、意見)[2][22]。
小法廷判決に対する対応
- 2006年(平成18年)12月4日、二信組事件で背任、業務上横領、詐欺、議院証言法違反の罪に問われ、二審で懲役3年6月の実刑判決を受けた山口敏夫に対して上告を棄却する決定を出した[23][24]。その後、12月21日付で異議申立を棄却したため、山口に対する懲役3年6月の実刑判決が確定した[25]。
- 2008年(平成20年)1月31日、長崎・佐賀連続保険金殺人事件で殺人、詐欺、詐欺未遂、窃盗などの罪に問われ、一・二審で死刑判決を受けた被告人Hについて「被告は2件とも、海中に沈めて生命を奪う決定的な行為をするなど積極的な役割を果たしており、死刑とせざるを得ない」として上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Hに対する死刑判決が確定した[26]。
- 2008年(平成20年)2月20日、いわき2人射殺事件で強盗殺人などの罪に問われ、一・二審で無期懲役の判決を受けた被告人X・Yの2人に対して、検察官と弁護人双方の上告を棄却する決定を出したため、被告人X・Yに対する無期懲役の判決が確定した[27]。なお、Xの量刑に関しては甲斐中辰夫と才口千晴が「被害者が暴力団員だからといって、これを酌量すべきではない。本件は拳銃を使用した凶悪犯罪であることを重視すべきだ」「首謀者であるXの刑事責任は共犯者のYと差があってしかるべき」などとして先例に照らせばXは死刑が妥当とした上で、他に死刑を回避するに足りる酌量すべき事情があるか否かさらに審理を尽くすために仙台高裁に差し戻すべきと反対意見を述べた[27]。
国民審査
2009年(平成21年)8月30日に行われた最高裁裁判官国民審査において、罷免すべきという投票が有効投票の7.73パーセント、517万6090票となり審査対象9人の中で罷免票が最も多い判事となった[28][29]。ただし、有効投票の半数以上でないと罷免されないため、結果として信任された。
賞詞
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h 「涌井紀夫・最高裁判事が死去」『朝日新聞』朝日新聞社、2009年12月18日。オリジナルの2009年12月20日時点におけるアーカイブ。2025年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e “最高裁判所裁判官国民審査” (PDF). 福岡県庁. 2025年7月26日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2006年10月3日 夕刊 3総合3頁「島田氏の指名決定 最高裁長官」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2010年1月13日 朝刊 政治4頁「最高裁判事に白木勇氏任命へ」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c 『朝日新聞』2005年5月10日 夕刊 3総合3頁「大阪高裁長官、涌井紀夫氏に決定」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2006年10月10日 夕刊 3総合3頁「大阪高裁長官に金築誠志氏を任命」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c 『朝日新聞』2002年9月13日 夕刊 2総合2頁「福岡高裁長官に涌井紀夫氏を登用」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2001年2月16日 夕刊 2総合2頁「仙台高裁長官に島田仁郎氏」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “裁判官検索:涌井紀夫”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版株式会社. 2024年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月4日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』1990年1月26日 朝刊 2社30頁「週刊朝日が全面勝訴 ゲートボール巡る訴訟」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1992年6月1日 朝刊 3総3頁「最高裁人事(1日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1993年10月29日 夕刊 2総2頁「最高裁人事(4日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1998年1月24日 朝刊 3総3頁「最高裁人事(24日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1999年2月11日 朝刊 3総3頁「最高裁人事(11日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2000年10月26日 朝刊 3社会33頁「捜査報告書に政党記載は「適法」東京高裁」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2001年1月17日 全国版 東京夕刊 夕社会19頁「藤沢の宝石店員女性焼死・民事訴訟 東京高裁も「殺人」認定」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2001年7月5日 朝刊 茨城1 35頁「脱原発の主張実らず 東海第二原発訴訟で控訴棄却/茨城」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2001年7月5日 朝刊 2社会38頁「原発から100キロ離れた住民に原告適格を認めず 東海原発訴訟」(朝日新聞東京本社)
- ^ “東京高裁、設置許可は適法と判断 東海第二” (PDF). 原子力産業新聞 (2001年7月12日). 2025年7月26日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2007年6月14日 朝刊 1総合1頁「一票の格差2.17倍、合憲 最高裁、見直し後初 05年衆院選」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2008年6月5日 朝刊 3社会29頁「婚外子国籍訴訟・判決理由<要旨>」(朝日新聞東京本社)
- ^ 「計画段階でも提訴認める 区画整理事業で最高裁」『朝日新聞』朝日新聞社、2008年9月11日。オリジナルの2008年9月17日時点におけるアーカイブ。2025年7月26日閲覧。
- ^ 「二信組事件、山口元労相の実刑確定へ 最高裁が上告棄却」『朝日新聞』朝日新聞社、2006年12月5日。オリジナルの2006年12月6日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ 「山口敏夫・元労相の上告棄却、3年6月の実刑確定へ」『読売新聞』読売新聞社、2006年12月5日。オリジナルの2006年12月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ 「山口敏夫元労相を収監へ 最高裁が異議棄却、実刑確定」『朝日新聞』朝日新聞社、2006年12月22日。オリジナルの2007年1月2日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2008年1月31日 夕刊 2社会14頁「佐賀・長崎保険金殺人の被告、死刑確定へ」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』2008年2月23日 全国版 東京朝刊 社会39頁「福島の組員2人射殺 最高裁、判断割れる 1、2審の無期判決確定へ」(読売新聞東京本社)
- ^ “最高裁判所裁判官国民審査の結果”. 総務省ホームページ. 総務省 (2009年8月30日). 2025年3月4日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2009年8月31日 夕刊 2総合3頁「最高裁裁判官、全員罷免なし 国民審査」(朝日新聞東京本社)
関連項目
| 司法職 | ||
|---|---|---|
| 先代 上田豊三 |
1993年 - 1998年 |
次代 浜野惺 |
| 先代 田中康久 |
1998年 - 1999年 |
次代 石垣君雄 |
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