議論を呼んだレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:02 UTC 版)
「ルイス・ハミルトン」の記事における「議論を呼んだレース」の解説
2007年スペインGP 予選終了後、テレビ局のインタビューでチームメイトであるフェルナンド・アロンソの作戦を暴露してしまい、他チームに作戦を知られる羽目になりマクラーレンチームに不利な状況を作ってしまう。 2007年モナコGP レース終了後「自分はNo.2ドライバーだから仕方ない」など、チームオーダーがあったかのような話をして、チームがスチュワードに調査される事態に発展。予選・レース・燃料量・モナコでのSC出動回数・マクラーレンの図抜けたパフォーマンスなどを見れば、ある程度レースが進んだ状態でチームが2人に無理に競争させることはないとの判断でペナルテイなどは無かった。 2007年ヨーロッパGP 雨で大混乱となったレース。ハミルトンは1コーナーでスリップしグラベルにクルマを止めた。しかしクレーン車に引き上げられ、舗装面まで運ばれてレース復帰した。他にも周りに同じように止まっていたマシンが多数あったにもかかわらず、ハミルトンだけにこうした処置が取られたことに議論が起こった。その結果、あの時点でエンジンをかけたままにしていたことから問題は無いとのFIAによる判断が出る。しかし、その後ドライバーを乗せたままのクレーン車での吊り上げは禁止された。 2007年ハンガリーGP 予選Q3の終盤、最終アタックを前にピットインしたチームメイトのアロンソが、ピットアウトのタイミングを図るために20秒間停止。ハミルトンはその間にピットインし、アロンソの後で待機していたが、フェルナンド・アロンソはチームから発進の指示が下った後も10秒間停止し続けた。ハミルトンは後ろで10秒間余分に待機されたことにより、わずかな差で最終アタックができなかった。アロンソは「ハミルトンの最終アタックの機会を妨害した」と判定され、5グリッド降格のペナルティを受けた。また、チームに対しても「このような行為はスポーツに損害を与える、汚すもの」として、コンストラクターズポイントの獲得を本GPにおいて認めないことと、自チームドライバーが優勝してもコンストラクターズトロフィーは受け取ることができないというペナルティが課せられた。 アロンソは「余分な10秒」について、「取り付けられたタイヤは正しいのかを聞いていた」と妨害が故意でないことを主張した。ロン・デニスは、Q3序盤にハミルトンがチームからの無線による指示を無視し、アロンソを先行させなかったことで、予選での戦略を妨害したことが発端と発言している。 2007年ベルギーGP 4番グリッドがハミルトン、3番手にアロンソとなった決勝。スタート直後のコーナーで2台は接触寸前のサイドバイサイドを演じ、結果的にハミルトンがコース外に押し出される形となった。レース後、ハミルトンはアロンソに対し「過去2、3年F1を見ているが、フェルナンドは常に自分が平等に扱われていないと不平を漏らしていた。だが彼は僕の走行を邪魔してコースアウトさせた。間違いなく故意だった。この目で見た。もし僕がコースアウトせずにあのままポジションをキープしていたら衝突していた。これがフェアだとは思えない。コース上では全レーサーが余裕を持って走行していたのに、僕は何とかしてコースアウトして接触を逃れたのだ」と不当なものであり偽善的であると批判した。しかし同年日本GPや2008年シーズンでは、自身のコース上での振舞いについて多くのドライバーや有識者から批判されることとなる。 2007年日本GP SCスタートとなった本レース。20周目にSCが解除されレースが本格的にスタート、42周目にチャンピオン争いをするアロンソがスピン・クラッシュでリタイア、再びのSC導入となる。このSC先導の間、ハミルトンは余計と思われる急な加速と減速・蛇行を行う(ブレーキ・タイヤを温めるという理由はあるが、SC上部のライトで解除されないことは分かっている状態であれほどのことをする必要があるのかという疑問が呈された)。その結果として、「SCとの車間は5台分を保つ」というスポーティングレギュレーションを遵守できず、またすぐ後ろを走っていたマーク・ウェバーとセバスチャン・ベッテルの接触の原因とされた(ベッテルは「ハミルトンが減速・ラインから大きく外れたためにリタイアするものと彼のほうを見ていた」とし、ウェバーはSC中は追い抜いてはいけないレギュレーションのため、ハミルトンに合わせて急ブレーキをかけていた)。ハミルトンのこの行為については、次戦中国GP期間にYouTubeにアップロードされた観客による状況が良く分かる映像を用いて審議が行われたが、競技長のチャーリー・ホワイティングの判断によりハミルトンへのペナルティはなし、一旦ベッテルに出されていた10グリッド降格ペナルティは叱責処分と変更された。その後、視界不良時のSC導入時限定で10台分の車間維持でよいとされる新規定が決まった。 2007年中国GP PPから先頭を快走していたが、路面の変化などによってリアタイヤを酷使、内部構造が見えるほどになってしまった。ハミルトン自身はピットインを要求するが、チームは天候変化(もう一雨来る予報)のためピットインを伸ばす。しかし、タイヤの損傷が激しくなり2位のライコネンに抜かれようやくのピットイン。ほぼ直角に曲がるピットレーンでうまく曲がれずにグラベルに入ってしまう。お腹がついてタイヤが空回りしていたため、即座にリタイア・危険回避のためにマシンから降りなければならなかったが、クレーンやオフィシャルによるグラベルからの押し出しを要求・期待して降車せず。この行為について、一部でペナルティを課すべきと主張されるが、スチュワード・FIAは行動を起こしてはいない。この件についてコメントもしていないため、問題視自体していないと思われる。 レース前にハミルトンは「フェルナンドとはフェアな関係だ」とアピールしたが、直後にロン・デニスが「我々はフェルナンドと戦っているんだ」と発言した。 2007年ブラジルGP チャンピオンが決定するこのレース、予選Q3でアタックラップに入ったライコネンを2度に渡って妨害。タイトル争いを争う者同士(他にはアロンソも可能性はあった)の件ではあるが、スチュワードは審議すらしなかった。予選後、ライコネンはハミルトンに直接抗議し、ルーキーを凍りつかせた。 ライコネン優勝(110p)・アロンソ3位(109p)・ハミルトン7位(109p)となった決勝後、ハミルトンの上3人(4~6位のロズベルグ、ハイドフェルド、クビサ。仮にこの3人にタイム加算や失格ペナルティがあり、ハミルトンが5位以上になるとハミルトンが111pとなりチャンピオンになる。)に燃料温度の違反があるとし、この件については速やかに審議が行われた。この件については、その日のうちにペナルティなしとの判断が下されたものの、2日後の火曜日にマクラーレンは国際控訴裁判所に控訴したことが明らかにされた。しかし、アロンソとハミルトン共に「コース外の出来事でチャンピオンが決まる・変わるのは、このスポーツをダメにするし、いいことは無い。」と同じ内容のことを月曜日と火曜日1日違いではあるが語っている。しかし最終的に11月15日、FIAはマクラーレンの控訴を却下し、ルーキーによるワールドチャンピオンという夢は消えた。 2008年マレーシアGP チームメイトのコバライネンとともに、予選Q3でアタックラップに入ったハイドフェルド、アロンソが走行しているにも関わらず、レコードラインを低速で通過し、結果的に妨害をした。 2008年バーレーンGP スタートで失敗、1周目と2周目に前年のチームメイトのアロンソと二度にわたり接触。完走は果たすがノーポイントに終わった。レース後、マクラーレン・ルノー両チームの首脳陣とアロンソは『接触はレーシングアクシデント』とコメントをしたが、ハミルトンは含みを持たせるような発言を行い問題視された。 同一周回上の佐藤琢磨とジャンカルロ・フィジケラに対し、オーバーテイクを試みる際に挑発的な態度を取るなど、両ドライバーの所属チーム代表より苦言を呈された。(同一ラップでのポジション争いのため、ハミルトンに優先権は何も存在しない) 2008年カナダGP セーフティカー導入中のピットアウトの際、ピットレーン出口の赤信号を見落とし、ルールに従い停止していたキミ・ライコネンの後部に激突した。レース後に、次戦フランスGPでの予選グリッド10番手降格のペナルティが科された。また、この件で「レース中なのにピット出口に赤信号を付けるなんて、くだらないルールだ」と、自身のミスを省みずルールを非難するコメントをした。しかし、赤信号無視は黒旗失格の対象でもあり、他のドライバーが遵守していた。 2008年フランスGP 10グリッド降格から追い上げを見せていたが、レース序盤にシケインの手前でスクーデリア・トロ・ロッソのセバスチャン・ベッテルをオーバーテイクしたものの、本来通過しなくてはならないシケインを通過できず、勢いあまってショートカットしてしまった。こういった場合、一時減速やこの時ならベッテルをすぐに前に行かせて順位をコントロールする必要があったのだが、そのまま走行を続けたため、審議対象となり、シケイン不通過と判断され、ドライブスルーペナルティとなり、入賞圏外でゴールした。レース後のインタビューで「誰も僕の邪魔はできない。お望みならばいつでも僕にペナルティを与え続ければいい」とレースの運営側に対して挑戦的なコメントを発した。この件ではマクラーレンの首脳陣もペナルティに不満を示していたが、シケイン不通過による追い越しは明らかなルール違反であり、その直前に追い抜いた車がいた場合、その車を前に出して調整する必要がある。ベッテルは同年のモナコGPにて、ハミルトン同様のシケイン不通過を犯したが、しかるべき対応を取りペナルティ対象外となっていた。またチームメイトのヘイキ・コバライネンもレース終盤にシケインカットを行った直後減速してポジションを戻しており、このこともハミルトンに対する批判を強める要因となっている。 2008年ベルギーGP 首位ライコネンに対して2位ハミルトンは42周目の最終コーナーで外側からオーバーテイクを仕掛けるが、接触を避けるためシケインを不通過してライコネンの前に出た。シケインの不通過を自覚していたため、ホームストレートで一旦ライコネンを先行させ、ライコネンが前に出たことを確認した直後、第1コーナーでオーバーテイクを仕掛け、首位へ浮上しゴールした。しかし、この一連の流れを巡り、レース後の審議で「明確に順位を戻しておらず不十分である」と裁定され、レース後にレースタイムに25秒加算ペナルティが下され、これにより3位に降格となった。この結果に対し、ハミルトンはレース後と次のイタリアGPでの取材の際、不満を露にした言動をし、FIAの裁定に対する批判の声もあったが、フランスGPの時と違い、順位の入れ替えを不十分ながらも実施していたものの、ハミルトンの動きに関しては問題ありという声が多数でフェラーリの2人やアロンソのみならずニック・ハイドフェルドやセバスチャン・ボーデなど全てのドライバーから「シケインのショートカットで利益を得た」「フランスGPでのミスを考えれば、ルール遵守しなかったならペナルティは妥当」と厳しい声が出された。 マクラーレンはこの裁定を不服とし、FIAの国際控訴裁判所に控訴したが、レース中であればドライブスルーペナルティに相当し、抗議や控訴はできないレギュレーションのため、棄却された。ただし、マーティン・ウィットマーシュはレース中に、ハミルトンの行為に問題がないことをスチュワードに2度確認したと反論している。 2008年イタリアGP ペナルティや審議などの明確な動きはなかったものの、レース中にティモ・グロック、フェルナンド・アロンソ、マーク・ウェバーとのバトルの際に相手側へ大きな幅寄せを行った。対グロックでは、コースアスファルト外の芝生にまで追い出していた。雨中のレースであり、大事故に繋がっていた可能性もある。グロックやウェバー、トヨタのピットクルーはハミルトンの動きに対し、抗議のジャスチャーをしている様子が映し出された。ドイツGPでも同様の幅寄せ、コース外への押し出しを行っていた。レース後にグロックは「次にああいう場面になったら同じ事をしてやるよ、あいつにとってはアレが普通なんだろ?」とコメントした。 2008年日本GP スタートに失敗した後、1コーナーへの進入でブレーキングを遅らせて大きく白煙を上げるほどタイヤをロックさせ、ライコネンやフェリペ・マッサらがコース外に退避するかたちとなった。これによりドライブスルーペナルティを受けたが、この処分にハミルトンとチームは重過ぎると反論している。実際過去に、接触を伴わないブレーキングミスのみに対するペナルティの前例はなく、異例の措置といえる。また、このブレーキングについて数名のドライバーから批判の声が上がり、後日GPDAで話し合いがもたれた。 2009年オーストラリアGP 4位でゴールした後、ヤルノ・トゥルーリのペナルティにより3位に繰り上がったが、4日後に失格の裁定が下された。失格の理由は、故意に紛らわしい証言をしたことによる、「国際スポーティングコード違反」とされた。セーフティカー出動中にトゥルーリがコースアウトし、この間にハミルトンがトゥルーリをオーバーテイク。セーフティカー出動中の追い越しによるペナルティを警戒したチームの指示により再度トゥルーリを先行させた。その後の審議で、ハミルトンがトゥルーリを意図的に先行させたか否かが問われたが、ハミルトンは「意図的ではなかった」と証言した。これによりトゥルーリには、セーフティカー出動中のオーバーテイクを理由にペナルティが下った。 しかしこのときの審議ではFIAはチームとハミルトンの無線の内容を把握しておらず、無線ではチームがトゥルーリを先行させるように指示していたことが後に明らかになったため、意図的に先行させたと判断されハミルトンの証言が虚偽であることが発覚した。 当初、マクラーレン代表のウィットマーシュは最初の審議でFIAが無線の内容を把握していることを前提に証言をしていたため誤解が生じ、故意に虚偽の発言をしたわけではないと主張していたが、ハミルトン自身はチームのスポーティング・ディレクターのデヴィッド・ライアンから虚偽の証言をするように言われ、それに従ったと発言しチームもそれを認めた。 2011年モナコGP レース中にロウズヘアピンでマッサと、サン・デボーテでパストール・マルドナドと接触し、レース後にスチュワードに呼び出され審議の結果ペナルティを受けた。この裁定に対してハミルトンは「最低の冗談」と不満を漏らし、ペナルティを受けた理由については「僕が黒人だからじゃない?」と人種差別があったかのような発言をし問題となった。2件の接触についても「あのドライバーたちは本当にふざけている。馬鹿げている」とマッサとマルドナードを批判し、物議をかもした。後日ハミルトンはマッサとマルドナード双方に直接電話にて謝罪し、両ドライバーはその謝罪を受け入れるコメントをした。 またFIAに対しても書簡にて謝罪し、FIA会長ジャン・トッドは「ルイスの発言は受け入れがたいが過剰反応はしたくなかった。裁判所で問題を解決することもできたが正式な手続きはしていない。」と、事実上謝罪を受け入れるコメントをした。 2013年マレーシアGP スタートでフェラーリ勢が後退したのを尻目に、レッドブルの2台と抜きつ抜かれつのバトルを展開していたが、終盤は燃費が厳しくペースを落として3位を走っていたところに、チームメイトのニコ・ロズベルグが迫ってきていた。しかし、終盤明らかに速かったチームメイトのロズベルグがすぐ後ろを走行していたにもかかわらず、ロス・ブラウンはチームオーダーによって順位を維持するように指示した(この時ハミルトン自身は無線で「ニコの方が自分より速いからニコを先に行かせてやってくれ」と言っている)。ロズベルグを先に行かせてレッドブルを苦しめるべきだとの批判もあり、チームオーダーを守らなかったために問題となったレッドブルとは対照的なかたちで物議を醸した。 2014年モナコGP 予選Q3の最後のアタックで暫定首位のロズベルグを上回るペースを見せた矢先に、前を走行していたロズベルグがブレーキングミスを犯してコース外にマシンを止めた事により黄旗が振られタイム更新が不可能となった。 2006年モナコGPのシューマッハによる「ラスカスゲート」を彷彿とさせるこの出来事により、ロズベルグの無罪が審議により証明されたにも関わらずハミルトンは明らかな不満を表し、二人の関係は以降ぎくしゃくしたものとなった。 2014年ベルギーGP 予選2番手からスタートでトップを奪ったが、2周目にロズベルグに追突され大きく後退。ロズベルグがなんとか2位表彰台に上がった一方で、その後も接触のダメージの影響かペースが上がらずレース終盤にリタイヤした。チャンピオンを争う2台が接触したということで物議を醸し、最終的にチームはロズベルグに非があるとして彼に公式に謝罪させることで決着をつけた。ただし、この件についてはロズベルグに非があったとしても、チームがロズベルグだけ責め罰したことに関しては批判もあり、後にこのレースがシーズンの分岐点となったことをトト・ウォルフも認めている。 2015年モナコGP 2014年末から長らく引き延ばしていたメルセデスとの3年契約を締結。フリー走行から精力的に走行し、予選ではモナコ初ポールポジションを獲得。決勝でも序盤から後続を引き離し、勝利は確実と思われた。 しかし、ロマン・グロージャンとマックス・フェルスタッペンのクラッシュでバーチャル・セーフティカーが導入された。このタイミングでは2位ロズベルグとは25秒以上あった差が、実物のセーフティカー導入に切り替わりピットイン直前に引っかかったことにより10秒近く縮まってしまった。また、ピットストップ時にザウバーのマシンに阻まれてピットアウトが数秒遅れてしまった。これによりステイアウトしていたロズベルグ、さらにはベッテルに抜かれてしまい3位に終わった。このレースではハミルトンから勝利を奪ったと、メルセデスチームに批判が相次いだ。 2016年アブダビGP この年のワールドチャンピオン決定戦となった最終戦。ランキング首位のロズベルグを12ポイント差で追うハミルトンは3連勝の勢いそのままに、ポールポジションを獲得し決勝でもレースを引っ張る展開となった。しかしハミルトンが逆転タイトルを獲得するには自身の優勝に加えてロズベルグが4位以下である必要があったため、レース終盤に2位を走っていたロズベルグを後方のバトルに巻き込ませようと意図的にペースを落とした。その結果、ロズベルグは後ろからベッテルとレッドブルのフェルスタッペンからの激しい追い上げを許すこととなった。 この時、ハミルトンにはテクニカル部門のトップ、パディ・ロウからペースを上げるよう指示されたがハミルトンはこの指示を無視した。ロウの無線はメルセデスチームの中ではもっとも重要度の高い無線と位置づけられており、ハミルトンはこの無線を無視したとして勝利をなによりに重視するメルセデスチームの方針に違反したとみなされた。 結果的にロズベルグは2位を守りハミルトンはチャンピオンを逃した。この行為は大きな波紋を呼び、ベッテルはハミルトンの行為には同意できないとする一方ハミルトンの戦術を擁護する声も多く、タイトルを争っていたロズベルグも「彼の行動は理解できる」と語っている。最終的にチームからのハミルトンへの処分はなかった。 2018年ロシアGP レース序盤から順調に2番手をキープしていたが、ベッテルのアンダーカットを許して暫定4位に後退した。すぐにベッテルをパスすることに成功したが、チームメイトのボッタスは暫定2位に位置していたが、ピットインを済ませていない暫定首位のフェルスタッペンを攻略できない状況にあった。ハミルトンはベッテルとのバトルの影響でブリスターの兆候が表れ始めたうえ、ベッテルを振り切ることもできずに苦しい状況となる。そのため、メルセデスはハミルトンを前に出すようボッタスに指示を出した。これによってハミルトンはシーズン8勝目を挙げる結果となった。だが、メルセデス陣営がレース前にチームオーダーを考慮するコメントを出していたため、当人たちはポジション入れ替えの指示は後ろのベッテルからの攻撃に対抗した一時的なものと考えていたが、チームはハミルトンのタイヤが最後まで持たない可能性やタイトル獲得を優先し、ベッテルに対してタイム差が開いてきてもポジションを再び入れ替えずにフィニッシュした。この一連の流れに対し、レース後に物議を醸した。 今回のチームオーダー騒動は2002年オーストリアGPや2010年ドイツGPで発生したフェラーリのチームオーダー騒動に似たようなケースであるが、この2件が行動について正当化するようなコメントをしたため批判を招いたのに対し、この件ではレース後にハミルトンはボッタスに同情しチームの判断も批判。ウォルフも定例会見のインタビューにおいて、チームオーダーに関する方針を事前に確認していなかったことが原因としてチーム側に責任があると明言したため比較的早く終息した。
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