議論・問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 01:23 UTC 版)
トリアージは言わば、「小の虫を殺して大の虫を助ける」発想であり、「全ての患者を救う」という医療の原則から見れば例外中の例外である。そのため、大地震や航空機・鉄道事故、テロリズムなどにより、大量負傷者が発生し、医療のキャパシティが足りない、すなわち「医療を施すことが出来ない患者が必ず発生してしまう」ことが明らかな極限状況でのみ是認されるべきものである。しかし災害の規模が対応側のキャパシティを超過しているか否かを一切考慮せず、ただ単純に「災害医療とはすなわちトリアージを行うこと」「重傷者は見捨てるのがトリアージ」「トリアージ=見殺し」だとする認識も蔓延している。 一般的に重傷者よりも軽傷者の方が負傷の苦痛の訴え自体は激しいため、優先度判定を惑わせる場合がある。また、第三者や軽傷者本人が優先度判定に疑問を持ち、不信感を持つ場合があり、それが現場での治療の妨げや後日のトラブルの原因となる可能性がある。 日本で採用されているもぎ取り式のタグは、負傷者の偶然または故意の行為によってタグがもぎ取られることで、評価の重度を大きくする可能性があり、その点も常に考慮を要する。このため東京都は、記載上の注意として、「トリアージ実施者は、トリアージに必要な No.、トリアージ実施月日・時刻、トリアージ実施者氏名、トリアージ区分を記載し、氏名、住所、電話番号等については、その後の応急処置の際に記載するなど混乱をさける配慮をする」としている。 日々救命の現場で働く看護師や救命士であれば、典型的な場合の迅速・確実な判断ができると思われるが、医師のような正確な診断は困難と思われる。「黒」はすなわち「死亡」「助けられない」として切り捨てる判断そのものであり、死亡の診断を下すことが法的に許されていない救急救命士がトリアージで「黒」を付ける決断が難しい、特に善きサマリア人の法が存在しない日本では誤った判断をした場合に重過失とみなされ法的責任を負う可能性がゼロではないため、心理的な負担が医療関係者以上に大きい等の問題がある。2004年8月9日に福井県の美浜原子力発電所で発生し10数名が死傷した重大労災事故では、救出時に心肺停止状態だった4名に「黒」の評価が現場でなされ、救急搬送はされなかった。なお、のちの検死により、この4名は即死状態で蘇生不可能だったことが判っている。 トリアージでは優先度を4段階に分類するが、簡便である一方、段階数が少ないため、同じ判定の傷病者でも優先度が大きく異なる場合があることも問題点として指摘されている。例えば、いわば「典型的赤」と「かぎりなく黄に近い赤」の負傷者がいたとした場合、前者の治療順位が高くなるべきだが、トリアージではいずれも同じ「赤」となってしまう。 START法をある一定の訓練を受けたものが行うならば、その判断に誤差が出ることは少ない。しかし、本来そのトリアージ分類基準は、そのときの傷病者の数や医療能力により異なるものである。また、例えば小児の「黒」と老人の「赤」が同時に存在する場合、適切な心肺蘇生法(CPR)を実施すれば蘇生の可能性が高く将来のある小児を放置してまでSTART法にしたがい、老い先短い老人を助けるべきかどうかなど、一種の「トロッコ問題」となってしまう事態も考えられる。START法は、あくまでも重傷度分類に過ぎず、決して優先度分類ではないということを忘れてはならない。 また、黒とは正しくは、「何もしないと死亡することが予測されるが、その場の医療能力と全傷病者状態により、救命行為(搬送も含めて)を行うことが、結果として全体の不利益になると判断される傷病者」のことである。しかし、「その場での救命の可能性がない傷病者」と誤解される事が多い。たとえば、心室細動で心肺停止状態の傷病病者を想定する。初期から心肺蘇生法を行えば、救命の可能性は十分ある。しかし、その心肺蘇生には数人かつ10分以上必要である。その傷病者にそれだけの医療能力を割り当てることが可能ならば赤タグとなり、不可能ならば黒タグとなる。このように優先度分類は相対的な物である。例えば、黒と判断された傷病者のまわりに複数のバイスタンダーが存在すれば、CPRの実施とAEDの手配を要請する、バイスタンダーが存在しない場合でも、緑タッグの傷病者にCPRを実施させるなどの臨機応変な対応をする事で、黒タッグの傷病者を見捨てない選択を取れることも考慮すべきだろう。また状況にもよるがトリアージはあくまで表面観察による判断が主に行われるため、「黄」が必ずしも「重篤化の恐れなし」とはならないことにも注意を要する。例えばクラッシュ症候群や脳挫傷によるクモ膜下出血などの外傷性の内出血の場合、受傷数十~数時間は意識がはっきりしていることが多いのでトリアージのタイミングでは見落とされてしまうことがしばしばあり、診断後に命にかかわるほど重篤化してしまうことが少なくない。 また、トリアージは戦時での軍人軍属を対象とした軍隊のシステムであり、災害時であっても民間人を対象とする平時の救急医療にはなじまないという批判も存在する。特に軍の衛生部隊による野戦治療では病院天幕のようなスペースでトリアージを行うが、戦力の維持を優先するため軽傷の者を優先的に治療し復帰させ、重傷者は現地で治療しつつ後送を待つことになるが、戦地では即座に後方へ移動できるとは限らず、治療や移動中にも攻撃を受けるリスクがつきまとう。このため重傷と判断された者ほど不利な状況に置かれるが、ここで死亡したり障害が残ったりしても患者は基本的に軍人か軍属であり、国から年金や恩給、名誉負傷勲章などが送られ、差別的な扱いを受けたことによる損害に対して補償が約束されている。さらには軍隊内部のことなので、差別されることを命令できるなど患者と医師が統一された組織の構成員であり命令系統に服しているためトリアージが有効に機能するという点も重要である。トリアージを行った医師に対しても軍事上のことなので、よほどの重過失が無い限り判断ミスなどの責任が問われることは無く、医療ミスについて患者個人から訴えられることも無い。しかし民間で災害時に行われるトリアージには、このような責任問題や後の問題についてまで具体的な法制度や救済システムは、未だに構築されていない。 トリアージオフィサーなどの医師の配置や再トリアージの基準などについての徹底したガイドライン作りと、法的解釈の明確化の推進が不可欠である。災害などの非常混乱時には、70%以上の患者に適正なトリアージが行われれば成功の部類に入ると言われており、すなわち少なくとも2割程度の判断ミスは防ぎようがない。また「助かりそうにない患者」と「助かりそうな患者」を判別できるとは誤魔化しであるという批判も存在する。そのような診断、判定は往々にして、自己成就予言的なものではないかというものである。実際、トリアージが行われた場合、事後に検視等によってトリアージの判断の是非を検証を求めるべきなのか、またトリアージオフィサーの判断は事後に法的処分の対応になるか、という点でも、法の整備と国民の合意形成が求められる。
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