議論の継続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:38 UTC 版)
「ウェストバージニア州の歴史」の記事における「議論の継続」の解説
レコンストラクションにはじまり、その後の数十年間、2つの州は戦前にバージニア州が負った州債のうちウエストバージニア州の負担分について議論を続けた。この負債はバージニア公共事業局の下で運河、道路および鉄道など公的施設の改良のために大半が遣われていた。元南軍の将軍ウィリアム・マホーンによって指導されたバージニア人はこの理論に基づく政治的連衡である再編党を作った。ウエストバージニア州の最初の憲法はバージニア州債の一部について肩代わりを規定していたが、1870年にバージニア州が始めた交渉は実りの無いものであり、1871年、バージニア州は州債の3分の2を手当てし、残りをウエストバージニア州に独断的に割り付けてきた。この問題は、合衆国最高裁判所がウエストバージニア州は12,393,929.50をバージニア州に支払うと裁定した1915年になってやっと決着がついた。この金額の最終支払は1939年になった。 バージニア州北部の山岳部にあるロードーン郡(バージニア州)とジェファーソン郡(ウエストバージニア州)の間には正確な境界について論争があり、これも20世紀まで解決を持ち越されている。1991年、両州議会は境界地域15マイル (24 km)を調査する境界委員会のための予算を付けた。
※この「議論の継続」の解説は、「ウェストバージニア州の歴史」の解説の一部です。
「議論の継続」を含む「ウェストバージニア州の歴史」の記事については、「ウェストバージニア州の歴史」の概要を参照ください。
- 議論の継続のページへのリンク