議論の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 14:55 UTC 版)
1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約の発効による占領政策の終了(主権回復)にともない、ポツダム政令は法的根拠を失い相次いで廃止・代替法律の制定・存続措置の実施が行われることになったが、この国会論議のなかでポツダム政令無効論が議論の対象となった。この段階で日米安全保障条約を締結するために憲法を改正し、条約との整合性をとるべき(改正論)が主張されたが、憲法無効論そのものが論じられる事はなく、憲法9条と日本の再軍備の問題は決着を見ることなく日本国との平和条約および日米安全保障条約(旧条約)が締結された。 議会で無効説が登場したのは1953年(昭和28年)12月11日の衆議院外務委員会(並木芳雄委員)においてである。11月19日に時のアメリカ合衆国副大統領リチャード・ニクソンが東京会館で、“日本を非武装化したのは失敗であった”旨の演説をおこない、またアメリカ合衆国国務長官ジョン・フォスター・ダレスが24日の記者会見でこれを支持したことを受け、日本国憲法第9条が無効であるのではないかと外務大臣岡崎勝男に質問したことを端緒とする。 これを引継ぎ翌1954年(昭和29年)3月22日衆議院外務委員会公聴会(大橋忠一)において制憲当時の情勢や英米法の理念にかんがみ日本国憲法が無効になっているとの発言がなされた。 文藝春秋1999年(平成11年)9月号に小沢一郎が「日本国憲法改正試案」を掲載したことから憲法無効論はふたたび注目を集めた。小沢は2017年にも日本国憲法について「法律論から言えば無効です。民法にも、強制下で結んだ契約は無効だとはっきり書いてある。これは万国共通の考え方だ。」との認識を示している。石原慎太郎は2002年(平成14年)12月の東京都議会で「国会の議決で憲法を破棄すべし」との発言がある(しかし憲法を破棄した後どういう措置を採るのか、最高評議会のような執行機関を置くのかについては述べていない)。
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