弁証法について
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デューリングは論理学の基礎を矛盾を認めないということに見出し、弁証法を「背理の思想」と見なした。 「定立された矛盾ということ自体が背理の骨頂なのであり、現実世界に矛盾というのは起こり得ない」というのが弁証法に関するデューリングの評である。エンゲルスは事物の静止状態ならば矛盾は発生しないと語っている。しかし、それは伝統的な形式論理学のなかでの話であって、事物を運動、変化、生命、交互作用のなかではこういった見解は通用しない。一方が真ならば、他方が誤りという関係では片づけられないというのがエンゲルスの見方であった。 エンゲルスは、デューリングの見解に対して常識の範囲では形式論理学の手法が真実であり得るが、複雑な問題については弁証法を通じて答えを探るべきだと主張した。エンゲルスは弁証法を矛盾と相克による運動性の思想と位置づけ、現実世界の成り立ちと展開を説明づける原理であると立証しようとした。そして、弁証法は三つの構成要素、1)矛盾(対立物と統一と闘争)、2)量から質への転化、3)否定の否定から成り立っていることを示した。 エンゲルスは矛盾について説明する際、分かりやすい例を示した。微積分を例にとり、微分の手法では直線も直線も限りなく短く線分を取れば直線も曲線も限りなく同一のラインに近接していくと語った。さらに、生理学も二度目となるが、生命を支える新陳代謝が一例として紹介されている。多細胞生物では身体を構成する細胞は作られては死にを繰り返しており、細胞レベルの死の連続によってその生命活動を支えている。事実、骨も造骨細胞によって作られては破骨細胞によって壊されることでその強度を保ち続けており、体を構成する細胞が入れ替わっても同一の個体とその人格を維持している。これは矛盾にも見える弁証法の現実世界での実例であるとエンゲルスは考えた。エンゲルスは矛盾した個々の死が生命という全体の統一を実現させている点に着目し、生命の過程をはじめ世界の諸現象を矛盾からみることが重要であると再度強調している。 次に、デューリングは量から質への転化については「ヘーゲルの朦朧観念の一つ」として一蹴した。エンゲルスは水の凍結と蒸発という身近な化学現象を指摘して反論した。水は標準気圧の下では0度で凍結して100度で蒸発するが、温度という量的な変化は水の相転移という質的変化をもたらす。また、脂肪酸系列の化学物質は化学式CnHmCOOHで表されるが、これらはnの原子数が量的に増えると、化学的な性質が変わっていく。n=1ならば蟻酸、n=2ならば酢酸、n=3ならばプロピオン酸といった具合で、各々沸点と融点が変わるのだが、分子量が大きければ沸点と融点が高くなり、メリシン酸C30H60O2では80度で融解し、沸点はなく決して気化しない性質がある。これらは化学における量から質への転化の具体例と言える。 エンゲルスは社会科学の分野でも事例を提示している。 カール・マルクスは『資本論』第四編「協業、分業、マニファクチュア、機械と大工業」の分野において、投入した労働者の数を増やして分業体制を構築すれば、一人の労働者が商品を作るよりもはるかに高い効率性でより多くの商品を作ることができることに言及している。エンゲルスは分業による生産性向上も量から質への転化の実例であると指摘した。さらに、軍事に明るいエンゲルスは近代戦争の例を参考に、ナポレオンは兵力と組織において練度に優れるマムルーク騎兵との戦いについて、一対一ならばマムルークが圧倒的に強く、フランス3対マムルーク2で互角となり、300対300ではフランスが優位に立ち、千対千ではフランスが圧倒的に強いという状況になったことを指摘していることを紹介している。エンゲルスは兵数を揃えて組織することでナポレオンがマムルークを打倒したことは量から質への転化を達成して勝利を得た実例であり、弁証法的手法を戦術に応用したことでナポレオンはエジプト遠征で戦果をあげたのだと語り、デューリングの論法は自分をナポレオン以上の存在であると高ぶる思い上がりに過ぎないと評した。 最後の「否定の否定」について、デューリングはマルクスを訳のわからない「個人的であり同時に社会的である所有」という理論を提唱していると主張した。しかし、これはデューリングによる誤った引用による早合点の産物であって、『資本論』第二十四章第七節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」での実際の文脈に従うならばその内容は大きく異なる。 まず、イギリスにおいては資本主義発達の前史に労働者が自己の生産手段を個人所有しているマニュファクチュアによる小経営があるが、産業革命が起こり経営が大規模化していくと、まずマニュファクチュア的な小経営が否定される。同時に囲い込みによって農民人口が都市へと流出すると労働者階級の形成が進展し、労働者は大規模な工場制機械工業のへと集中独占された個人的所有のもとに労働力として組み込まれていく。所有形態の最初の否定によって資本主義経済が発達、経済システムの革新がもたらされて労働生産性の飛躍的向上が実現していく。 最後に資本主義が否定されていく。資本主義崩壊の前夜に関して『資本論』ではこう述べられている。 「いまや収奪されるのは、……多くの労働者を搾取しつつある資本家である。この収奪は資本主義的生産そのものの内在的な諸法則の作用によって、すなわち資本の集中によって行われる。……少数の資本家による多数の資本家の収奪とならんで、たえず規模が大きくなってゆく労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的な共同利用、……、社会的労働の……生産手段の経済的使用が発展してゆく。…有力資本家の数が不断に減少してゆくにつれて、困窮、圧迫、隷属、堕落、搾取の量が増大するが、しかしまたたえず膨張しながら、資本主義的生産過程の機構そのものによって訓練され団結させられ組織されてゆく労働者の反抗を招く。資本は、それとともにまたそれのもとで開花した生産様式に対する束縛となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外皮とは両立しえないような点に到達する。外皮は爆破される。資本主義的私的所有の最後の鐘がなる。収奪者が収奪される。」 経済格差の克服を提唱した社会主義革命が私的所有を廃止して集中独占された社会的所有のもとに再編し直すことで資本主義経済の諸矛盾が解消されていく。このとき生産性が向上した生産体制と最新設備の整った工場、優れた技術と知識を利用して、人類が抑圧のない新たな経済的段階へと発展していく弁証法的な道筋があるというのがマルクスがいう「否定の否定」の論理であった。 デューリングの見解と異なり、実際には「諸個人の分散的な私的所有」が否定され、「資本主義的な私的所有」となり、これがさらに否定されて、社会主義的な「社会的所有」へと発展するという内容の歴史的な見解となっている。 エンゲルスは、身近な事例から「否定の否定」を示す事例を次々と紹介した。 「大麦の粒をとってみよう。幾兆のこうした大麦の粒はひきわられ、煮られ、醸造されて、そして消費される。しかし、もしかような大麦の一粒が、それにとって正常な条件に出会って、好都合な地面に落ちれば、熱と湿気との影響を受けてそれ独自の変化が起こる。つまり発芽するわけである。麦粒はそのものとしては消滅し、否定され、そのかわりにその麦粒から発生した植物が、麦粒の否定が現れる。だが、この植物の正常な生涯はどのような経過をとるか?それは成長し、花を開き、受精し、そして最後に大麦粒を生じる。そしてこの麦粒が熟すると、すぐ茎は枯れてしまい、こんどはそれが否定される。この否定の否定の結果としてわれわれはふたたび最初の大麦粒を得るのであるが、それは一粒ではなくて、十倍、二十倍、三十倍の数のものである。……。 この過程はたいていの昆虫、たとえば蝶の場合にもおこなわれる。蝶は卵の否定によって卵から生じ、そのいろいろな変態を経過して性的成熟に達し、交尾し、そしてその交尾過程がおわり、雌が多くの卵を生むと、すぐに死んでしまうことによって、ふたたび否定される。」 上記の1)植物の例、2)昆虫の例、これに続き、3)地層の形成における岩石の破砕と堆積、4)数学における微積分の例、5)歴史や思想の例、ここではルソーの社会契約論を事例として紹介している。 経済においても「否定の否定」は重要な変革の原動力となる。農業生産増が生じると、生産様式の変化が生じる。共同所有が否定され、そこから私有への移行を促して農耕の高度な発達がもたらされる。しかし、生産量の増大が限界となったり単作が進展するなど農業構造が変質すると生産様式が桎梏となっていく。すると私有が否定されて、共同所有に転化する社会的要請が強くなっていくという現象がみられた。 詳細は「唯物弁証法」を参照
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