大陸史観の類型及び主張とは? わかりやすく解説

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大陸史観の類型及び主張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:03 UTC 版)

朝鮮の大陸史観」の記事における「大陸史観の類型及び主張」の解説

大陸史観には多様な見解存在する一部では朝鮮の歴史満洲と現中国大陸拡張し、他の一部では朝鮮の歴史朝鮮半島ではなく中国大陸進行した主張する朝鮮半島中心歴史否定する大陸史観論者たちは、古朝鮮三国時代までは中国大陸該当国家があったというところでは概して意見一致見せている(例えば、遼河流域紅山文化などの文明正体古朝鮮である、とするものなど)。しかしそれ以後時代にも大陸史観適用されるのかの可否研究者ごとに違う。統一新羅渤海南北立った南北国時代以後朝鮮史半島史観依拠する者もあれば、高麗まで、甚だしく近世朝鮮まで中国大陸にあったという式の主張もある。 韓国では朝鮮民族主義歴史学は「民間考古学」とつながっており、視聴率競うテレビ考古学者古代朝鮮境界をますます大きく主張している。例えば、1993年Korea Daily(中央日報英字紙)が延世大学校考古学者孫宝基(ko:손보기)のモンゴルウランバートルへの旅を後援し、彼は高句麗大興安嶺山脈超えて拡がっていた事を証明する新し高句麗の石の要塞発見主張した例えば、朝鮮青銅器時代芸術は、民間考古学者によってスキタイ結び付けられ朝鮮半島への「優れた北部人種到来」を証明するものとされる朝鮮ジャーナリスト研究者は、朝鮮の「アルタイ祖先」を探して定期的に中央アジアシルクロード遺跡沿って旅行する崔南善は、申采浩領土対す方式書いて朝鮮中央アジア中に深くに拡がった「不咸文化」の中心であると主張した。崔によると、世界インド·ヨーロッパ中国、「Părk文化分けられるが、最後のものは神道似た朝鮮の宗教カスピ海から黒海天山山脈アルタイ山脈経て朝鮮日本沖縄広がっている。崔は、この超文化の中で檀君普遍的に崇拝されたと主張した。しかし、チズコ・アレン(Chizuko Allen)によると、崔は、朝鮮中国日本以外には、どの国の地域文化調べておらず、地理的特徴音韻的類似点をこの理論の基礎とした。 申采浩は、彼の独創的な研究読史新論』で、朝鮮史主題朝鮮半島だけから「満州」の外縁および「人種的に定義され国民」へと再定義した。しかし、このような極端な北部領土持っていた王朝高句麗渤海)に正当性与えていなかった李氏朝鮮儒教歴史が、鴨緑江豆満江境界とする朝鮮民族概念強化した申采浩は、特にこの閉じ込め憤慨し高句麗の滅亡と、「朝鮮」が半島の外の領土支配失ったことが、民族衰退始まりだと考えた。彼は「朝鮮民族満州得れば朝鮮民族強く繁栄する。他の東や北の民族満州を得ると…朝鮮[Han'guk]は…[東や北の]民族勢力圏に入る。…これは4000年変わっていない鉄ルールだ」と書いた。申だけでなく、民族主義歴史家仲間朴殷植も、満州強力な大朝鮮」を構築するための基盤だと考えた申采浩は、日本帝国歴史学から失地回復主義テーマ引き出し過去支配に基づき領土拡大主張した。申の歴史学は、朝鮮過去持っていたと思われる領土参照して大朝鮮を正当化した。彼はそれを、百済から遼東西部山東省江蘇省浙江省越州、およびその周辺地域、そして新羅から東北吉林省とした。申にとって、古代理想時代調査は、中国史書皇帝堯と舜の物価安定政策のような儒教の平和と安定ではなく朝鮮民族最大領土支配した時代だった。それ以前に、朴趾源は、遼東と他の鴨緑江向こう地域歴史的朝鮮領土見なされるべきで、そうでなければ朝鮮はもっと領土を失うことになる、と主張した圭景は、遼東朝鮮名は「三韓」だったので、遼東半島は「疑いなく古代朝鮮領土だったと信じた民族主義学者は、「遼史」と「金史」に基づいて遼東周辺地域朝鮮所有権主張した韓国尹乃鉉(ko:윤내현)は1985年に、古朝鮮紀元前2333年以前から2000年続き中国北部河北省から全朝鮮広がっていたと提唱した李氏朝鮮時代遼東朝鮮説への重要な反対者丁若鏞や星湖李瀷がいる。丁は、朝鮮の自然の川の国境には遼東は「余分」であると主張したは、中国対す領土回復主義将来トラブルになるかもしれない貪欲な野望」とみなした。安廓は、満州の「喪失」と朝鮮民族衰退嘆いた1910年民族主義歴史家対し反対の声を表していた。檀君カルト大倧教は、20世紀朝鮮民族主義歴史学影響与えた史話」を書いた。「史話」の汎東夷北東アジア主張は、朝鮮民族が「韓半島満州だけでなく中国東北部も」含み、舜、遼、金、元、清の皇帝朝鮮の歴史一部考える、という主張を含む。この朝鮮民族拡張概念は、中国亡命し学んでいる軍事士官候補生士気高めることを意図した金教獻朝鮮の歴史教科書含まれていた。金によると、王朝導いたこれらの全て人々は、箕子朝鮮箕子とは異なり満州発祥であるから、彼らは全て檀君の子孫で、歴史朝鮮民族の「北の」分岐一部である。その結果、彼は、これらの人々征服した全ての土地、最も後には「漢の土地モンゴル回族領域チベット」からビルマに至るまでを含む土地、が朝鮮民族領土含まれる、と考えた李相龍は、満州民族実際に朝鮮人だった、漢四郡は「朝鮮」の領土ではなく遼東位置していた、満州を含む大朝鮮国家を作る目的朝鮮の歴史一部満州中心にすべきである、という、申、金教獻朴殷植と共通の多く主張行った1981年大韓民国教育部長官の安浩相(朝鮮語: 안호상)が1檀君実在人物2檀君領土中国北京まで存在した3王倹城は中国遼寧省にあった4漢四郡中国北京にあった5百済3世紀から7世紀にかけて、北京から上海に至る中国東岸統治した6新羅最初領土東部満州で、統一新羅国境北京にあった7百済日本文化築いたという「国史教科書内容是正要求に関する請願書」を国会提出したこともある。 古朝鮮領土について、在野歴史学界(大学教授でない歴史学者からなる歴史学界)は、「大古朝鮮」を提示しており、古朝鮮勢力範囲中国北京東側内モンゴル南側位置した遼西地域まで広げ、「国土解放されたが、歴史解放はまだだ」と主張しており、申采浩鄭寅普址麟、尹乃鉉朝鮮語版)らが在野歴史学界の論理後押ししている。一方主流歴史学界(大学教授からなる)は、在野歴史学界の主張は「偉大な上古史」の幻想植えつける恐れがある批判しており、古朝鮮勢力範囲を「小古朝鮮」としており、学術誌歴史批評2016年春・夏号で、ソウル大学校延世大学校成均館大学校などの30代から40代の6人の若手朝鮮史研究者が、在野歴史学界の古代史解釈批判した論文寄稿し、「在野歴史学者主張歴史的考証もきちんとなされていない状態で、そこに民族主義という名の下、一部国会議員進歩的知識人呼応している」として、「サイバー歴史学」「歴史ファシズム」「いんちき歴史学」と罵倒している。 2007年大韓民国大統領選挙立候補した許京寧経済共和党総裁は、「中国諸国連邦をしてアジア連邦作り失われた高句麗領土取り戻したい」「失われた渤海旧領と、三国時代ヨーロッパまで伸ばした韓半島の故土を取り戻すのが私の夢だ」と主張している。また、韓国放送公社KBS)の番組満洲探査」は、「満州はもともと韓民族土地清朝樹立した愛新覚羅氏も、祖先韓国人」と主張している。大田大学校均沢副総長2002年12月韓国書鎮出版社から出版した韓国史』において、唐の時代に、高句麗新羅百済中国大半有しており、唐の版図雲南省四川省などのわずかな部分過ぎず高句麗百済滅ぼしたあとの新羅版図は、現在の東シベリアモンゴル華北地域など中国北部全体華中地域チベット自治区新疆ウイグル自治区など広大なものとなり、唐は華中地域華南地域をおさえるにとどまった主張している。韓国圓光大学校教授広西チワン族自治区百済郷を調査し、「この地はかつて、百済殖民地だった」と発表した韓国梨花女子大学校歴史書、申瀅植『梨花女子大学校コリア文化叢書 韓国史入門』p4には、「韓国民族70万年前の旧石器時代から新石器青銅器時代へと移り古代国家成立させて以後、現在まで東アジア主役として堂々と固有の歴史守り続けてきた。特に、古代社会韓民族満州大陸支配しながら中国東進防ぎ近代入り一時期日本支配受けたものの最後まで民族の独自の文化守り続けてきた」とある。 歴史学者オ・ジェソンの著書隠され歴史探して』『地図で見る韓国歴史』の本の図表には、高句麗百済活動した範囲が、内蒙古山東省福建省などに至っている。これに対して中国では、「唐の新疆統治組織だった安西都護府が、統一新羅チベット統治機構伝えられたのはとんでもないこと」「歴史系列の本を書く著者としてこうした図表作るのは、読者欺くことであるだけでなく、歴史無責任な行為」と批判している。 中国長江流域黄河流域新羅高句麗百済高麗李氏朝鮮支配していたことを明らかにする研究続けてきたキム・ジンギョン(朝鮮語: 김진경)国学博士は、2018年著書『동방의 비밀1-조선천축(東方秘密1-朝鮮天竺)』において、高句麗百済新羅伽耶などは現在の中国北京黄河越えて長江南側地域までを領土にしており、建国初期にはすでに現在のインドとの交流活発だった主張している。 林志弦によると、東北工程厳しく非難している進歩的な国会議員であり、韓国大統領候補にまでなった金元雄は、国会で満州回復演説したことがあり、他にも陸軍士官学校校長室には、満州韓国領土図示した地図掲げてあり、それを見た中国将官驚愕した当然のことながら朝鮮の大陸史観は、朝鮮の王朝による満州支配栄光考え、その地域中国辺境見なす現代中国民族主義衝突する

※この「大陸史観の類型及び主張」の解説は、「朝鮮の大陸史観」の解説の一部です。
「大陸史観の類型及び主張」を含む「朝鮮の大陸史観」の記事については、「朝鮮の大陸史観」の概要を参照ください。

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