大陸反攻計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:05 UTC 版)
蔣介石は台湾撤退後、「反攻大陸」とともに「反共」を国是とし、東アジアにおける「反共の砦」としての地位をアメリカに認めてもらうことで、中華民国の「中国を統治する政権」としての存在を持続させようとした。だが、アメリカは「反共の砦」としての存在の重要性を認識して軍事・経済的支援は行っていたものの、東アジアの地域情勢を混乱させる「大陸反攻」の実施には断じて反対していた。そのため、蔣介石は「大陸反攻」を実施する好機をうかがっていたものの、国際環境の影響からそれを実施することができないまま1975年4月5日に死去した。 詳細は「国光計画」を参照
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