大陸哲学における心の哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 08:42 UTC 版)
「心の哲学」の記事における「大陸哲学における心の哲学」の解説
この項目のほとんどの議論は、現代の西洋哲学の中でいわゆる「分析哲学」(時には英米哲学といわれることもある)という有力な学派(スタイル)の業績にしぼって論じられている。しかし他にも、大きなくくりで「大陸哲学」とまとめられる思想の流れも存在する。ともかく、この呼び名の下にはさまざまな学派が総括されているが、これらは分析哲学とは異なった次のような傾向をもっている。分析哲学が言語分析や論理分析に焦点を合わせがちなことに対して、大陸哲学はより直接的に人間の実存や経験に焦点を合わせることが多い。特に心についての議論に関しても、分析哲学のように言語形式の分析に係わったりせず、思考と経験の概念を直接的に把握しようとする傾向が大陸哲学には強い。現代における、ヘーゲル主義の伝統に呼応してあるいは対抗して発達してきた学派に「マルクス主義」と「実存主義」がある。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの『精神現象学』において、ヘーゲルは心(精神)の3つのタイプについて区別して議論している。まず「主観的精神」、これは一個人がもつ精神である。次に「客観的精神」、これは社会や国家がもつ精神をいう。最後に「絶対精神」、これはあらゆる概念の統一を意味する。ヘーゲルの『エンチクロペディ』にある「精神哲学」を参照。ここでは個人の心と身体・物質の関係よりも、それを超えた社会、国家との関係が問題とされ、その関係をどのように考えるかによって、ヘーゲルの絶対的観念論からマルクス主義の弁証法的唯物論といういわば正反対の見解が導き出されたのである。実存主義は、セーレン・キェルケゴールやフリードリヒ・ニーチェの著作に基づく思想であり、サルトルは、実存する人間の心がその経験と内容をどのように取り扱うかに焦点を合わせたのである。 現象学の創始者エトムント・フッサールは、論理学の研究を端緒に、論理学上の諸概念や諸法則のイデア的な意味をすべて取り出すためには、前提となりうるすべての理論を取り払った「直感」によって把握するしか方法がなく、その直感も完全に展開された明証的なものでなければならないとして、そのような方法によって記述される論理学を「純粋論理学」と呼んだ。純粋論理学が成立するためには、それが認識論によって基礎付けられていなければならないが、そのためには、現象学的な分析が必要であり、事あるごとに常に「事象そのものへ」へ立ち返り、繰り返し再生可能な直感との照合を繰り返すことによって、イデア的意味の不動の同一性を確保するために不断に努力しなければならないとし、そのための記述的心理学には「現象学」が必要であるとしたのである。ここでは、デカルト的二元論は除けられ、事象の背後には何も想定されないとされるのである。 あまり知られていないが重要な例として、心の哲学に取り組む哲学者であり認知科学者でもある、両方の伝統を統合しようとしたロン・マクラムロックがいる。ハーバート・サイモンの考えを借り、メルロー=ポンティやマルティン・ハイデッガーの実存主義的現象学からも影響を受けて、マクラムロックは、世界内存在("Dasein", "In-der-welt-sein") である人間の条件からして、人はその存在から抽象したやり方や、彼自身をその一部として統合した経験的対象から切り離して分析する方法では、自分自身を理解することができないことを示す。
※この「大陸哲学における心の哲学」の解説は、「心の哲学」の解説の一部です。
「大陸哲学における心の哲学」を含む「心の哲学」の記事については、「心の哲学」の概要を参照ください。
- 大陸哲学における心の哲学のページへのリンク