裁判後とは? わかりやすく解説

裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 18:30 UTC 版)

ソクラテスの弁明 (クセノポン)」の記事における「裁判後」の解説

24. (ヘルモゲネスによると)ソクラテスは裁判後、こう言った。「自身ソクラテス)に対す偽証をするよう証人たちをそそのかした人々や、それに従って偽証した人々は、自分たちの多く不敬虔と不正を自覚しているに違いない自身ソクラテス)は告発された罪が全く証明されなかったので、有罪判決受けても全く自分卑下していない。ゼウスやその仲間神々代わりに、他の神々新奇な神霊認め敬っていることなどは証明されなかった。 25. 更に若者たち忍耐倹約に慣らすことが、どうして彼らを堕落させることになるのか。また死刑定められている罪、すなわち神殿荒らし、壁破り強盗自由市民の奴隷化国家反逆内のどれかを行ったと、告発者たちすら非難していないのにも関わらず死刑判決出されたことは驚くべきこと。 26. しかし、不当に死刑になるということによっても自分卑下していない。それは判決下した人々にとって恥ずべきことだから。なお、自分と同じよう謀略殺されパラメデスが、加害者であるオデュッセウスよりもはるかに素晴らし頌歌主題となっていることは、自分にとって慰めとなる。それに自分は、いまだかつて誰にも不正を働いたことがなく、交わった誰一人、より劣悪な者にしたこともなく、むしろ教えることが可能な善いものは何であれ問答する人々には無償与え、彼らを益してきたことが、やがて将来証明されるであろうことも知っている。」 27. そう言うと、ソクラテス表情もしぐさも足取り明るくその場去った彼に付き従っている人々泣いているのに気付くと、ソクラテスはこう言った。「どうして君たち泣いているのか。生まれた時から自然によって死刑宣告されていることを、ずっと以前から知っているはずなのに。それにもし「善いもの」が流れ込み続けているのに早くも自分が死ぬのだとすれば自分と自分好意的な者たちが苦痛感じなくてはならないのは明らかだが、つらいことばかり予想される老齢の)際に自分が生を終えとすれば、皆はうまくいっていると考えて喜ばなければならない。」 28. すると、その場にいたソクラテスの熱心な信奉者であるアポロドロスが、「ソクラテス不当に死刑されるのを見るのは、この上もなく耐え難いことである」と言ったソクラテス彼の頭を撫でながら、「しかし「正当」に死刑にされるよりはいい」と言って笑った。 29. また(告発者の1人である民主政治家の)アニュトス通り過ぎるのを見てソクラテスはこう言った。「あの男は、自分ソクラテス)を死刑にしたことを、何か大きな立派なことを成し遂げたかのように誇っているが、それは彼が将軍職時に自分彼に対して息子家業の「革なめし」の教育をすべきでない忠告したことを、根に持っているからだ。そしてどうやら彼は、我々2人の内、永久に、より有益、より立派なことを成し遂げた者こそが(真の/本当の)勝利者であることを知らないようだ。 30. ホメロスは「死に際の者」に予知能力与えたりしたが、(死に際である)自分も何か予言しておきたいと思う。自分アニュトス息子と少し交流したことがあり、彼は魂の面で力のある者に思えた。そこで予言するが、彼(アニュトス息子)は父親用意した奴隷似つかわしい仕事革なめし)に留まり続けることは無いだろうが、いかなる優秀な監督者持たない故に、何か恥ずべき欲望に陥り、劣悪な方向へと進んでしまうだろう。」 31. このソクラテス予言正しかった。その若者アニュトス息子)は、(後に)酒に喜び覚えて昼夜飲むのをやめず、国にとっても友人たちにとっても自分自身にとっても無価値な者となった。そしてアニュトスは、息子へのひどい教育と彼自身無分別のため、死んだ後も悪評得ている。 32. 他方ソクラテスは、(既述のように)法廷自分褒め上げた故に嫉妬反発招き裁判官たちに一層有罪判決下すようにさせたわけだが、私(クセノポン)には、彼が幸運な運命出会った思われる人生の最もつらい部分残し、最も安楽な死に様得たのだから。 33. また彼は自らの魂の強さ示した生き続けるよりは死ぬ方が自分にとってはより善いと彼が判断して後、その死に際しても柔弱臆病になることなく、むしろ明るくそれを待ち望み、死の務め果たしたからだ。 34. 私は彼の知恵高貴さ考えると、彼のことを記憶しておかずにはいられないし、褒めずにはいられない。そして、もし徳を目指す人々の中で、彼よりも有益な者と交際した者がいるとしたならば、私はその者を最も幸福とみなされる値する者だと考える(それほどソクラテス越え人物見出すことは難しい)。

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 07:35 UTC 版)

下館事件」の記事における「裁判後」の解説

控訴審判決後、3人は上告せず懲役8年とした控訴審判決確定した。3人は服役し刑期終えて出所するタイ帰国した支える会は控訴審判決受けて3人に上告意思がないことを確認する活動停止事実上解散した。ただし、この時の支援者同士つながりその後継続されている。

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 10:23 UTC 版)

Winny事件」の記事における「裁判後」の解説

金子による最後バージョン逮捕前公開された「Winny 2.0 Beta7.1」だが、第三者によるクラック版が開発配布されている。金子無罪確定後も、Winnyの開発に戻ることはなく、2013年急性心筋梗塞にて死去Winnyの開発は、完全に終了した

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 00:16 UTC 版)

稲葉事件」の記事における「裁判後」の解説

拳銃押収事件捏造疑惑や、裏金造り実態を追う『スクープスペシャル総力取材警察の闇』(テレビ朝日)が2003年11月23日放送された。 北海道警裏金事件においてその実態を詳細に供述した釧路方面本部長原田宏二は、1993年4月道警防犯部に銃器対策室が発足したときの防犯部長であった稲葉旭川中央署、防犯部などで部下になったことがある原田は、捜査協力員であるSの運用システム作成指示し釧路方面本部長に転出後の1993年秋に完成した。このシステムは、稲葉逮捕とともに形骸化する。しかし、銃器対策室の捜査費は裏金回され捜査員協力員への謝礼多く自費賄っていたとされる原田稲葉事件について、捜査協力員への金や管理の問題稲葉追い込みパンクしたのが原因であり、組織問題背景にあるのに無視され個人的事件にされた、と述べている。原田当初稲葉事件背景捜査費が裏金化していた実態があったことを証言しようと、初公判前の2002年10月頃に稲葉弁護士に申し出た。しかし2003年1月初め道警監察官室の幹部から出廷取りやめるよう働きかけられ、最後は自ら出廷断念した が、そのとき思いが、2004年2月10日記者会見における北海道警組織ぐるみの裏金の実態証言つながった原田3月4日道議会総務委員会における参考人質疑で、捜査費や捜査報償費幹部交際費使われ現場回らず捜査協力員への運用費を自費で賄わなくなったことが、稲葉事件背景にある、と述べた稲葉2011年9月刑期終え出所し10月に『恥さらし 北海道警 悪徳刑事告白』を講談社から出版 しインタビュー等にも応じている。著書インタビューでは、稲葉公判最終陳述語った2000年4月頃の泳がせ捜査についても詳細に語っているが、函館税関その事実を否定し道警コメント控えると回答している。

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 23:13 UTC 版)

松橋事件」の記事における「裁判後」の解説

判決後弁護団声明発表し、「事件発生逮捕から34年再審請求から7年要してようやく冤罪が晴らされた。再審公判では、Aさんの健康状態考慮し速やかに手続き進めた熊本地裁判断高く評価する」としたものの、齊藤弁護士は、確定審で「有罪という誤った判決出した熊本地裁が、これに言及する思っていたのに残念だ」と苦言呈し三角弁護士は、「再審決まって検察何度も抗告して、裁判長引かせることができる再審制度改正訴えていかなければならない」と述べた。Aの二男も、弁護団には「これでA家の矜持保てた。感謝言葉しかない」と感謝した一方で、「冤罪をつくり、判決引き延ばした警察検察責任は今の法律では追及できない」と話したまた、熊本地検江口昌英次席検事は、「被告人有罪であるという新たな主張立証行わず裁判所適切な判断求めていたもので、その点を踏まえて裁判所判断したものと考える。今後とも基本忠実な捜査徹底していきたい」、熊本県警甲斐利美刑事部長は、「無罪判決言い渡されたことは真摯に受け止め今後捜査生かしていきたい」とコメントした判決公判閉廷後の12時30分ころ、弁護団やAの二男は、Aの入所する高齢者施設訪れ、Aに無罪判決報告した脳梗塞後遺症でほぼ寝たきりの生活を送るAは、認知症症状進み普段感情表情に表すこともほとんどないが、弁護団繰り返し無罪伝えると、頬を緩め目に涙を浮かべたという。施設部屋には東住吉事件青木恵子駆けつけて、Aに花束渡した2020年令和2年9月違法捜査による長期間身柄拘束賠償求め、国と熊本県相手取り8500万円損害賠償求め訴訟熊本地裁起こした。しかしAは10月20日頃に誤嚥性肺炎起こし熊本市内の病院入院10月29日午前2時59分、肺炎のため満87歳死去した

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 20:26 UTC 版)

キンティンスヒル鉄道事故」の記事における「裁判後」の解説

ミーキンとティンズリーは、刑務所から1916年12月15日釈放された。釈放後、ティンズリーはすぐにカレドニアン鉄道灯火手として復職した。彼は1967年亡くなった。ミーキンも貨物列車車掌としてカレドニアン鉄道復職した数年後余剰人員となって退職し石炭商売をする事業立ち上げ事故起きたまさに現場であるキンティンスヒルの待避線から出荷していた。第二次世界大戦中はグレトナの弾薬工場働き、後に健康を害して退職した。彼は1953年亡くなった。 この2人は、その職務に関して事故引き起こしたとして訴追され信号扱い手として、最初でも最後でもない1892年のサースク鉄道事故英語版)ではジェームズ・ホームズ過失致死問われたが、無罪となった1967年のコニントン・サウス鉄道事故英語版)では、信号扱い手のフロスト業務事故つながったとして2年収監された。

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裁判後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 04:50 UTC 版)

成田ミイラ化遺体事件」の記事における「裁判後」の解説

2011年12月ライフスペース関係者は「千葉成田ミイラ事件(1)再審支援の会」を発足させ、再審請求向けた活動毎週都内で、シンポジウムライブ夕べ開催)をしている。 2012年1月、「千葉成田ミイラ事件(1)再審支援の会」は、本件事件きっかけ弁護士紀藤正樹発言リークにより、作り出されたと主張して懲戒請求申し立てたが、却下された。 これを受けて2014年7月14日日本弁護士連合会異議申立行っている。

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