公害裁判後の政治活動
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1972年(昭和47年)に日本社会党公認で四日市市長選挙に出馬した。反公害を訴えて公害問題を解決した実績を強調して、環境都市四日市と公害患者の味方を公約にしたが、岩野見斉助役が保守候補3分裂を制して四日市市長に当選をする。前川辰男は四日市市長選挙に落選後、再度四日市市議会議員となり公害問題の処理に取り組んだ。1991年(平成3年)四日市市議会議員を引退した。日本社会党から民主党結成に加わらず、社会民主党員のまま在籍している。21世紀になって社会民主党の党首選挙、及び参議院選挙の比例代表選挙で、社民党員として福島瑞穂議員を支持・推薦していた。 2010年(平成22年)に満90歳の誕生日を迎えた。2014年(平成26年)に地元(前川は高花平四丁目在住である)の四日市市立高花平小学校に芸術作品(手づくりの作品額縁)を寄贈した。
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