か【▽処】
く【▽処/▽所】
こ【▽処】
しょ【処〔處〕】
読み方:しょ
[音]ショ(漢) [訓]おる おく ところ
1 ある場所に身をおく。おる。「処世」
3 物事をしかるべく取りさばく。「処刑・処断・処置・処罰・処分・処方・処理/善処・対処」
[名のり]おき・さだむ・すみ・ふさ・やす
[難読]在り処(か)・何処(いずこ)・何処(どこ)・彼処(かしこ)・彼処(あそこ)・此処(ここ)・住み処(か)・止め処(ど)
と【▽所/▽処】
ところ【所/▽処】
読み方:ところ
[名]
㋐住んでいる場所。住所。住居。「お—とお名前を教えてください」
2 抽象的な場所。場面。範囲。多く、連体修飾語によって限定される場所や部分をいう。
㋑その人の所属している組織や集団。「知り合いの—に発注する」
㋓場面。局面。「今の—おとなしい」「今日の—は許してやろう」
㋕事柄。内容。こと。「思う—あって辞任する」「自分の信じる—を貫く」
㋖範囲。程度。「調べた—では、そんな事実はない」「歩いて30分といった—かな」
㋗(数量を表す語に格助詞「が」が付いた形を受けて)だいたいの程度を表す。「10分が—遅れた」「1万円が—借りている」
3 (「どころ」の形で)
㋐名詞に付いて、それが名産となっている地域を表す。「米—」「茶—」
㋑動詞の連用形に付いて、その動作の行われる場所や部分、またその対象となる部分をいう。「うわさの出—」「つかみ—のない人」
㋒動詞の連用形に付いて、その動作をするのによい場所や部分、そうすべき場所や部分をいう。「ごみの捨て—」「見—のある新人」「心のより—」
㋓名詞や形容詞・形容動詞の語幹に付いて、それにあてはまる人々の意を表す。「中堅—が脇を固める」「きれい—を集める」
4
㋐《漢文の、受身を表す「所」の訓読から。「…ところとなる」の形で》前に置かれた語句が示す行為の対象であることを表す。「世人の称賛する—となった」
㋑《西洋語の関係代名詞の翻訳から、格助詞「の」を介して、体言またはそれに準じるものを修飾して》連体修飾語の役割をする。多く翻訳調の文章に用いられる。「世に知られている—の画家」「かつて訪れた—の屋敷」
5 (「…したところ」の形で接続助詞的に用いて)上述した内容を条件として文を続ける。順接にも逆接にも用いる。「訪ねた—、不在だった」「依頼した—、断られた」
6 「蔵人所(くろうどどころ)」「武者所(むしゃどころ)」などの略。
1 場所や箇所などを数えるのに用いる。「傷口を三—も縫った」
[下接句] 帰する所・此処(ここ)の所・十指の指す所・十目(じゅうもく)の視(み)る所十手(じっしゅ)の指す所・早い所・日没する処(ところ)
どころ【所/▽処】
読み方:どころ
「ところ(所)3」に同じ。「お茶—」「つかみ—」
処
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 03:57 UTC 版)
仏教用語 処 | |
---|---|
パーリ語 | āyatana |
サンスクリット語 | āyatana |
チベット語 | skye mched |
中国語 | 入, 処 |
日本語 | 入, 処 |
英語 |
sense bases, sense spheres |
タイ語 | อายตนะ (rtgs: ayatana) |
|
仏教用語の処(しょ、梵・巴: āyatana [アーヤタナ])は、感覚器、感覚媒体、感覚範囲を意味する[1]。仏教では、6つの内部感覚器六根(ろっこん)[2]と、6つの外部感覚器六境(ろっきょう)[3]に分類される。
内部と外部の感覚器は、以下に対応する[4]。
- 六根(ろっこん、梵: ṣaḍ-indriya) - 主観の側の六種の器官[5]、感官[6]のこと。六内入処(ろくないにゅうしょ)、六内処(ろくないしょ, ajjhattikāni āyatanāni [4])とも。
- 六境(ろっきょう、梵: ṣaḍ-viṣaya) - 客観の側の六種の対象[5]、感官の対象[6]のこと。六外入処(ろくげにゅうしょ)、六外処(ろくげしょ, bāhirāni āyatanāni[4])とも。
眼・耳・鼻・舌・身の5つは五根といい、仏教およびインド哲学では、西洋での五感にプラスして第六感を挙げている[10][11]。仏教における6つ目は「心」であり、感覚の印象、感情、知覚、意志などを含む感覚対象と、相互作用する内部感覚器官を指している[12]。
パーリ仏典において
釈迦は四諦において、苦(Pali, Skt.: dukkha)の起源を渇愛(Pali: taṇhā; Skt.: tṛṣṇā)であると特定した。十二因縁において釈迦は、渇愛は受(vedanā)が引きこし、それは六処を通しての触(phassa)からもたらされると説く。それがゆえ、渇愛と、その結果として生じる苦を克服するには、感覚基盤の抑制と洞察を発達させる必要がある[13]。
六根がその対象に対する執着を断って浄らかな状態になることを六根清浄または六根浄という。[14]
パーリ仏典による六六経 | |||||||||||||||
処、入 (Āyatana) | → |
受 ・ ヴ ェ | ダ ナ | |
→ |
渇 愛 ・ タ ン ハ | |
|||||||||||
六根 感覚器官 |
<–> | 六境 感覚器官の対象 |
|||||||||||||
↓ | ↓ | ||||||||||||||
↓ | 触 (パッサ) | ||||||||||||||
↓ | ↑ | ||||||||||||||
識 (ヴィンニャーナ) |
|||||||||||||||
世尊は言った。 ...
眼処、耳処、鼻処、舌処、身処、意処。これら六内処が知られるべきである。...
色処、声処、香処、味処、触処、法処。これら六外処が知られるべきである。
プンナ教誡経
世尊は言った。
プンナよ、眼によって識られる、望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべき形相で、欲をかきたて、心をひきつける諸々の色(ルーパ)がある。
もし比丘が、それを歓喜し執着してとどまるならば、それを歓喜し執着する彼に、喜悦が起こる。
プンナよ、「喜悦の生起より苦の生起がある」と私は説く。
…(耳、鼻、舌、身、意について同様に説く)…また、プンナよ、眼によって識られる、望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべき形相で、欲をかきたて、心をひきつける諸々の色がある。
もし比丘が、それを歓喜せず、執着せずにとどまるならば、それを歓喜せず執着しない彼に、喜悦が滅する。
プンナよ、「喜悦の滅尽により苦の滅尽がある」と私は説く。
…(耳、鼻、舌、身、意について同様に説く)…
脚注
- ^ "Sense base" is used for instance by Bodhi (2000b) and Soma (1999). "Sense-media" is used by Thanissaro (e.g., cf. Thanissaro, 1998c). "Sense sphere" is used for instance by VRI (1996) and suggested by Rhys Davids & Stede (1921–5), p. 105, whose third definition for
- ^ Pine 2004, p. 102
- ^ Pine 2004, p. 103
- ^ a b c パーリ仏典, 中部, 148六六経, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ a b c d e 櫻部・上山 2006, p. 60.
- ^ a b 村上 2010, p. 233.
- ^ a b c d 岩波仏教辞典 1989, p. 851.
- ^ a b c d e f g 櫻部・上山 2006, p. 仏教基本語彙(1)-(10).
- ^ 大崎正瑠「サンスクリット原文で『般若心経』を読む」『総合文化研究』第19巻1・2、日本大学商学部、2013年12月、41-59頁、hdl:11150/7945、ISSN 13416588、2024年6月27日閲覧。
- ^ Hamilton (2001), p. 53, writes: "... six senses, including one relating to non-sensory mental activity, are recognized in Buddhism and other Indian schools of thought...."
- ^ See also Pine 2004, p. 101. Red Pine argues that this scheme probably predates Buddhism, because it has ten external members (ear, sound, nose, odor, tongue, taste, body, touch) corresponding to the single external skandha (form), and only two internal members (mind and thought) corresponding to the four internal skandhas.
- ^ See, for instance, Bodhi (2000a), p. 288.
- ^ Bodhi (2005b), starting at time 50:00. Bodhi (2005b) references, for instance, Majjhima Nikaya Sutta No. 149
- ^ 岩波仏教時点 1989, p. 851.
参考文献
- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 櫻部建 ; 上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1。(初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
- 村上真完「法(dharma)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)」『印度學佛教學研究』第60巻第2号、日本印度学仏教学会、2012年、892-885頁、doi:10.4259/ibk.60.2_892。
- Red Pine (2004). The Heart Sutra: The Womb of the Buddhas. Shoemaker & Hoard. ISBN 1-59376-009-4
関連項目
處
処
處
処
処 |
「処」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は23歳で処女作を出版した
- どんな危険にも対処できるように気を配っていた
- その問題をわれわれで力を合わせて処理します
- 客が欲しがるのは何かを予期して対処しなさい
- 緊急の用件を処理する
- 私は彼を過去の様々な犯罪のかどで処罰をするつもりだ
- その問題にどう対処していいかよくわからない
- 薬剤師はいくつかの薬品を処方せんどおりに調合した
- コンピュータは演算をし情報を処理する
- 処生訓
- この問題は早急に対処されるべきだと思います
- 脱走した水兵たちは処罰された
- 可処分所得
- 台所ごみの処理
- 売却処分
- 新車を買う前に古い車を処分したい
- 薬を処方する
- 電子データ処理
- 応急処置をする
- 彼はその場にうまく対処することができた
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