東宮家とは? わかりやすく解説

内廷皇族

(東宮家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/11 15:45 UTC 版)

内廷皇族ないていこうぞくとは、独立した宮家を持たない宮廷内部の皇族を指す語である。具体的には三后皇后皇太后太皇太后)・皇太子皇太子妃とその家族や未婚の皇子女、及び上皇后天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく)を指す。天皇及び上皇(天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく)を含めて彼らが営む独立の生計を「内廷」と称することから、天皇及び上皇を除いた内廷の構成員たる皇族を「内廷皇族」と呼ぶ。なお、天皇及び上皇は「皇族」の定義に準じて「内廷皇族」にも含まれない。宮内庁皇室経済法では、正式には「内廷にある皇族」と呼んでおり「内廷皇族」は略称である。

2019年令和元年)5月1日の第126代天皇徳仁の即位以降、現行の皇室典範及び皇室経済法が施行されて以来初めて、皇太子や皇太孫も含めて内廷皇族に皇位継承権を持つ親王[1]が1人も存在しない状態となった[2]

内廷費

皇室経済法第四条
内廷費は、天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする。

現在の構成

読み 性別 生年月日 現年齢 天皇徳仁から
見た続柄
皇位継承順位 摂政継承順位
雅子皇后 まさこ 女性 1963年(昭和38年)12月09日 059歳 妻(配偶者) 第3位
美智子上皇后 みちこ 女性 1934年(昭和09年)10月20日 089歳 第4位
敬宮愛子内親王 あいこ 女性 2001年(平成13年)12月01日 021歳 第1皇女子 第5位

系図

 
 
 
第125代天皇明仁上皇
 
美智子上皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第126代天皇徳仁
 
雅子皇后
 
秋篠宮文仁親王皇嗣
 
黒田清子
(紀宮)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮
愛子内親王

内廷皇族の身位

  • 皇后」は夫たる天皇が崩御すると「皇太后」となり、さらにその皇太后は次代の天皇も崩御すると「太皇太后」となり終生、内廷皇族に留まる[3]。また、離婚によって皇籍を離れることはできない。
  • 皇太子・皇長孫(皇太子の最長男子)たる親王、及び天皇より3親等以遠の直系卑属にあたる最長男子たる」は、即位するまで内廷皇族の身分に留まる。3親等以遠の直系卑属にあたる最長男子たる王は、皇位継承に伴い直系尊属の天皇より2親等以内に入ると親王に身位が変更され、皇長孫は父である皇太子が即位するとともに皇太子となり独立の生計・組織を有するようになるが、いずれも身分上は内廷皇族のままである。また、皇籍を離れることはできない。天皇の最長男子たる男子が薨去しており、その男子の最長男子たる皇長孫が皇嗣皇位継承順位1位)である場合、その皇長孫は皇太孫となる。
  • 「皇太子以外の天皇の男子・皇長孫以外の孫男子たる親王、天皇より3親等以遠の直系卑属にあたる最長男子以外の男子たる王、及び先代以前の天皇の直系卑属で当代の天皇の傍系男子たる親王又は王」は、誕生から独立して宮家を興すまで、内廷皇族の身分に留まる。
  • 皇太子妃」は皇太子との婚姻によって内廷皇族に加わる。夫たる皇太子との離婚もしくは夫たる皇太子の薨去を受けての皇室会議の決定によって皇族の身分を離れない限り、内廷皇族の身分に留まる。皇長孫の妃、及び天皇より3親等以遠の直系卑属にあたる最長男子たる王の妃も同様である。また、皇長孫が皇太孫である場合、その妃は皇太孫妃となる。
  • 内親王」、及び「女王」は皇位継承資格・宮家を創設する資格がともにないため、内廷皇族同士での婚姻によって宮家を創設、内廷外の男性皇族との結婚(親王妃、又は王妃となる[4])、又は天皇及び皇族以外の者との婚姻によって降嫁しない限り内廷皇族の身分に留まる。ただし内親王、及び女王が長期間、内廷皇族の身分に留まる例はごく少ない。

内廷皇族の変遷(現皇室典範施行以降)

  • オレンジ色の背景は天皇、水色の背景は上皇を表す(天皇・上皇は皇族ではなく、内廷皇族にも含まれない。)。
昭和 平成 令和
内廷皇族 22 25 26 27 34 35 39 40 44 64 02 05 12 13 17 01
貞明皇后
昭和天皇
香淳皇后
孝宮 和子内親王
順宮 厚子内親王
明仁(上皇)
義宮 正仁親王
清宮 貴子内親王
上皇后美智子
徳仁今上天皇
礼宮 文仁親王
紀宮 清子内親王
皇后雅子
敬宮 愛子内親王
総人数 7 6 5 4 5 6 5 4 5 6 5 4 5 4 5 4 3

内廷皇族の歴史

昭和時代前期

昭和16年の天皇一家。ここに写っているうち、天皇を除く全員が内廷皇族に該当する。

昭和天皇の母である皇太后節子、皇后良子(香淳皇后)と所生の皇子女たる照宮成子内親王久宮祐子内親王孝宮和子内親王順宮厚子内親王継宮明仁親王義宮正仁親王清宮貴子内親王が内廷皇族であった。成子内親王は1943年(昭和18年)10月13日盛厚王との婚姻により、内廷皇族から内廷外皇族に移った(後に東久邇宮家の臣籍降下により皇族の身分を離れる)。

昭和時代後期

昭和天皇の内廷は大きく変化した。1950年(昭和25年)5月21日に孝宮和子内親王が鷹司平通との婚姻により、皇族の身分を離れた。1951年(昭和26年)5月17日には貞明皇后が崩御した。 1952年(昭和27年)10月10日に順宮厚子内親王が池田隆政との婚姻により、内廷皇族及び皇族の身分を離れ、一方で1959年(昭和34年)4月10日には正田美智子が皇太子明仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、1960年(昭和35年)2月23日浩宮徳仁親王が明仁親王第一男子として出生した。同年3月10日に清宮貴子内親王が島津久永との婚姻により皇族の身分を離れた。1964年(昭和39年)9月30日には義宮正仁親王が津軽華子と結婚し常陸宮を興し独立する。翌1965年(昭和40年)11月30日には第二男子礼宮文仁親王が、1969年(昭和44年)4月18日には第一女子紀宮清子内親王が誕生、内廷皇族に加わった。

平成時代〈20世紀(1989年1月7日 - 2000年) 〉

1989年(昭和64年)1月7日、明仁親王は皇位継承に伴い、内廷皇族ではなくなった。この時点においては明仁の母である皇太后良子(香淳皇后)、皇后美智子、皇太子徳仁親王、礼宮文仁親王、紀宮清子内親王が内廷皇族であったが、1990年平成2年)6月29日に文仁親王が川嶋紀子との結婚により秋篠宮を創設し独立、1993年(平成5年)6月9日には小和田雅子が皇太子徳仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、2000年(平成12年)6月17日には皇太后良子が崩御に伴い内廷皇族から外れた。

平成時代〈21世紀(2001年 - 2019年4月30日)〉

2001年(平成13年)12月1日に敬宮愛子内親王が徳仁親王第一女子として誕生し内廷皇族に加わり、2005年(平成17年)11月15日には紀宮清子内親王が黒田慶樹との婚姻により皇族の身分を離れた。

令和

2019年令和元年)5月1日、徳仁親王は皇位継承に伴い、内廷皇族ではなくなった。前日(平成31年4月30日)まで天皇であった明仁は退位に伴い上皇となったものの、天皇に相当する身位として皇族の外におかれた。また、内廷皇族から、皇位継承権を有する親王や王は、現皇室典範の下では初めて不在となった。なお、皇后となった雅子、上皇后となった美智子は引き続き内廷皇族のままである。

脚注

  1. ^ 現行の皇室典範及び皇室経済法の下では1人も出生していない。
  2. ^ 天皇徳仁の子女には第1皇女子の敬宮愛子内親王しかおらず、天皇徳仁の父である上皇明仁天皇の退位等に関する皇室典範特例法により皇位継承権を有しない。
  3. ^ 2019年平成31年4月30日)に天皇の退位等に関する皇室典範特例法によって退位した第125代天皇明仁の皇后である美智子は、同特例法の定めにより「上皇后」の称号を使用している。
  4. ^ 皇后となるまでは、引き続き元来の身位(内親王、又は女王)も併存(保持)する。

関連項目


東宮家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 04:15 UTC 版)

紳士同盟†」の記事における「東宮家」の解説

桐彬(きりあき) 4月12日生まれA型閑雅仕える東宮家の執事で、千里部下人気投票では31位。 性格厳格かつ生真面目普段冷静沈着人物見えるが、たまに少し抜けたドジ一面見せる。上司である千里を苦手とし、無をしてもそれが全て上手くいく千里感心する一方、その軽薄な言動呆れ危なく見ていられない思っている。手に負えない事象起こった際は千里最終兵器呼んで頼った十夜可愛がっているつもりらしいが、灰音が東宮邸に入り込んだ際、十夜からは「お魚くわえたドラネコ」として敵視される。冷たい眼差し感情表情に表すことがほとんど無いため怖い人物思われがちだが、閑雅の話をする時はとても優しげ笑み浮かべる。 閑雅忠実な為に閑雅命令であれば他の使用人を傷つけることも厭わない千里と共に灰音救出手伝い生徒会メンバー車で送ったりなど高成サイド人間協力したこともある。また年齢千里よりも1歳年下で、今と違って真面目な性格をしていた学生時代千里憧れ抱いていた。 東宮 愁一郎とうぐう しゅういちろう) 高成と閑雅祖父次の当主2人どちらかにするため、2人7歳の頃試練出した。後に灰音にも同じ試練を出す。なお、双子生まれた際に使われるこの試練敗れた方は事故死した者として扱われ影武者となる定めだったらしい。彼のしたことは高成と閑雅現在の性格になり、同時に2人仲違いする原因となった東宮 春日とうぐう かすが) 灰音のヤンキー時代仲間通称暗黒人魚姫(ダークマーメイド)」。閑雅と高成の親戚普段いわゆるお嬢様言葉』で喋る。ヤンキーをしている理由日頃ウサ晴らすためである。 喧嘩のときに背中預けるほど灰音を気に入っており、彼女がグループ抜けることを認めたくないが為に、彼女の前歯折った張本人。 灰音の前では舞加誘拐計画立て実行するそぶりを見せるが、一方で高成に舞加誘拐計画話したり、灰音が再度ヤンキーをやめるきっかけ画策することから、彼女の本当の意味での幸せ心から望んでいる。 桐彬にずっと片思いしていて、振り向いて貰うためヤンキー辞めたことが最終回判明東宮 莢果とうぐう きょうか閑雅と高成の伯母。抄花の双子の姉。 高成が離れ座敷牢軟禁されているので助けて欲しいと、顔合わせ訪れた灰音に頼む。その際動きやすい服のほうが良かろう思い花瓶を灰音にかけ、どさくさまぎれて灰音を屋敷一室に連れ出し自身用意した服に着替えさせるという荒業やってのけた(しかも、灰音がもともと着ていた服より、夾果が用意したものの方が高いらしい)。 東宮 抄花とうぐう しょうか閑雅と高成の母。夾果の影武者だった。閑雅と同じ白血病患っており、千里駆け落ちをしたが途中遭難して死亡

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