富山地方鉄道笹津線時代
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「富山地方鉄道笹津線」の記事における「富山地方鉄道笹津線時代」の解説
富山鉄道線廃止後も鉄道復活の要望は大きく、1940年(昭和15年)8月9日に富山電気鉄道傘下の富南鉄道は南富山駅 - 笹津駅間における鉄道敷設免許の申請を行ったが、この申請は戦火のために進展しないまま終戦を迎えた。元来一県一市街化を標榜して1943年(昭和18年)に県下各陸上交通事業者を統合して誕生した富山地方鉄道は、設立当時より笹津線の建設を計画しており、1947年(昭和22年)4月15日に再び南富山駅 - 笹津駅間鉄道敷設免許の申請を行い、同年12月1日に免許を取得した。これを受け工事施工認可申請を1948年(昭和23年)3月24日に行ったが、戦後混乱期における物資不足と鉄道敷設工事のような大きな建設を行うには連合国軍最高司令官総司令部の指示を要するという情勢が計画を阻碍した。かかる情勢を克服するため、折から森内清作を代表として地元住民が組織した笹津線期成同盟は富山地方鉄道と共に連合国軍最高司令官総司令部及び運輸省に陳情を繰り返し、1949年(昭和24年)10月にその許可を取得した。 こうして1949年(昭和24年)11月10日より鉄道敷設工事に着手した。当初は架線電圧1500Vの鉄道線として建設し、立山線の車輌を共用して運行を行う計画であったが、富山市の経済圏拡大に伴い地元住民はその中心地たる西町へ乗換なしで行くことができるように求めており、富山軌道線との直通運転が構想された。そのため車輌も富山軌道線との直通が可能な路面電車型のデ5010形が新造され、架線電圧を700Vに降圧する申請が1950年(昭和25年)7月10日に行われた。そして1950年(昭和25年)9月1日にまず第一期線として南富山駅 - 大久保町駅間が開通した。一方、笹津駅までの第二期線は国鉄との連絡等に関する協議のために予定より遅れ、1952年(昭和27年)6月21日に建設に着手し、同年8月15日に開業に漕ぎつけた。 笹津線の富山軌道線への直通運転は『富山地方鉄道50年史』においては1950年(昭和25年)10月1日より実施されたとあるが、実際には同年11月1日より行われた。直通運転による来駅者減少を危惧した南富山地区商店の反対や狭隘なる道路への電車乗入れに安全性が疑問視されたため、市長が同意しなかったために延期されたが、市会議員の試乗会等により解決が図られて実現に至った。当初の乗入れは西町までであったが、1953年(昭和28年)11月の富山軌道線桜町 - 西町間整備事業の竣工を待ち、1954年(昭和29年)4月1日より富山駅前までの乗入れを果たした。 一方、昭和30年代からの全国的現象であったモータリゼーションと過疎化の進行は、富山県においては一層早く進展しつつあった。これにより富山地方鉄道経営下の鉄道線の輸送人員は1964年(昭和39年)を頂点として漸減しており、こうした経営危機を打開するために同社会長佐伯宗義は自ら1965年(昭和40年)11月に富山地方鉄道基盤整備指針をまとめ、翌1966年(昭和41年)よりこれを実行に移した。殊に厳しい経営状況にあった笹津線、射水線、不二越線及び上滝線は軌道的運営方法に運営を改めることを主眼として改革案がまとめられ、まず富山軌道線を含めて集中管理を行う軌道本部の設置が進められた。こうして老朽化した南富山駅を改築してこれを軌道本部とし、同駅構内を改造して従来千歳町車庫と分散して留置されていた車輌基地機能を一体化させる事業が始められ、1967年(昭和42年)6月に着工し、翌1968年(昭和43年)3月に全工程を完了した。これにより笹津線と富山軌道線は富山運転区として一体的な運営が可能になり、管理経費節減が実現された。 トラックへの移行が目立ち、輸送量が減退していった貨物取扱の縮小も進められた。笹津線内においてはまず1967年(昭和42年)9月1日に大久保町駅及び伊豆ノ宮駅における貨物取扱が廃止され、1970年(昭和45年)7月1日に南富山駅がこれに続き、残るは笹津の敷島紡績専用線のみとなった。 また1967年(昭和42年)10月10日より笹津線の富山軌道線直通運転は取りやめられた。これは市内交通の円滑化を視野に入れて行われた改正で、その代わりに笹津線内は増発され、概ね20分間隔のダイヤとなった。この改正で笹津線は南富山駅 - 笹津駅間46往復となり、笹津線の歴史の中で最も多い本数が運行されるようになった。また、この改正に合わせて笹津線で運用されていたデ5010形電車は同年9月から12月にかけて統括制御改造が行われ、直接制御のままであったデ5000形電車は富山軌道線のみで運用されるようになった。 しかしこうした積極的な改革も進みゆくモータリゼーションには大した効果を示さなかった。早くも1957年(昭和32年)度より慢性的な赤字体質であった笹津線は、1964年(昭和39年)度の営業係数161を頂点として一連の改革によりややその不採算度合いに一旦落ち着きをみせたが、1968年(昭和43年)度の営業係数は151、1969年(昭和44年)度の営業係数は170、1970年(昭和45年)度の営業係数は157となり、赤字解消を望み得べき状況には至らなかった。これを受け富山地方鉄道は1969年(昭和44年)8月30日のダイヤ改正で改革によって増発された運行本数を減らし、人員と列車の削減に乗り出した。このダイヤ改正と同じ年に完工した国道41号線全線の舗装完了は沿線地域の車社会化にさらなる拍車をかけ、利用者数は一層減少していった。 1971年(昭和46年)5月1日のダイヤ改正においてはこれまでの運用思想を転換して、ラッシュ時の輸送と基本の定型輸送を区分し、昼間の列車を削減する効率的ダイヤが志向された。だが、既に笹津線の累積赤字はなんら改善の見込みなく、このままでは富山地方鉄道の経営全体が危殆に陥るものと考えられており、同年5月28日の株主総会においては笹津線、射水線及び富山軌道線の一部を廃止することが決定された。折から県下においては加越能鉄道が加越線廃止を発表したばかりであったので、生活路線が失われるという不安から沿線住民の衝撃は大きかった。特に大きな影響を受ける大沢野町においては大々的な廃線反対運動が行われ、町民は大沢野町笹津線廃止反対期成同盟会を組織し、町議会も交通対策特別委員会を設置してこの問題にあたった。富山市においても南富山周辺の住民が富山市南部地区笹津線廃止反対期成同盟会を結成し、1万5000人の署名を集めて廃止反対を訴えた。 こうした反対運動に対し富山地方鉄道は再三の説明を行い、切迫した経営状況の再建には廃止のほかに道はない旨を訴えた。廃線反対の主な理由であった冬期交通や自動車代行による不定期性等に対する不安を解消するために、具体的な代替バス運行計画も何度も行われた。これを受け富山市は1973年(昭和48年)8月に廃線に同意し、1974年(昭和49年)12月には大沢野町もバス増発等の条件付きで廃線に同意した。同年12月2日には富山県、富山市、大沢野町及び富山地方鉄道の四者が笹津線廃止に調印し、1975年(昭和50年)2月に運輸省へ笹津線廃止を申請してその許可を受けた。敷島紡績笹津工場の貨物取扱の今後を巡って国鉄笹津駅における取扱を要望した富山地方鉄道及び敷島紡績と同駅における貨物取扱能力不足を理由として富山駅での取扱を主張した金沢鉄道管理局の三者の間で意見がまとまらず紛糾する事態が起ったが、国鉄側が譲歩し結局笹津駅での取扱継続が実現された。この解決により廃線に至るすべての問題は解決され、1975年(昭和50年)3月31日限りでの笹津線廃止が決定した。 廃線を巡って議論が行われていた1974年(昭和49年)7月10日には水害によって熊野川鉄橋の橋脚が傾斜し、4輌の電車が笹津方に取り残された。これを機に廃止されるのではないかという危機であったが、その20日後の7月30日に復旧し通常運行に復していた。こうして迎えた1975年(昭和50年)3月31日の富山は雨であった。同月29日から掲出されていた「さようなら笹津線」の看板を取り付け、始発列車は5痔58分に南富山駅を発車し笹津駅へ向かった。午后0時40分南富山駅発の電車から無料運行が行われ、途中駅では別れを惜しむ人々が乗車しきれず積み残される場面もあった。前日に敷島紡績笹津工場専用線からの貨車2輌を国鉄側へ引き渡し、最後の役目を終えたデキ6502は南富山駅へ回送された。午后9時54分発南富山駅発の下り方面終列車の乗務員には花束が贈られ、お別れの記念式典が行われた。笹津線の最終列車は22時32分笹津発南富山行の列車であった。上野駅で最後のタブレット交換を行い、南富山駅へ20人の乗客を運び運行を終えた。南富山駅では富山地方鉄道社長熊野宗一以下、同社幹部がホームに整列して最終列車を迎えた。熊野は北日本新聞社の取材に対し、「自らの手で敷いたレールを外さなければならないのは余りにも皮肉」と感慨を披瀝し、複雑な面持ちで列車を見送った。 明くる同年4月1日に南富山駅前及び笹津駅前にて代替バスの発車式が行われた。代替バスは国道41号線の既存バス路線増発を主体としつつ笹津 - 熊野団地 - 南富山 - 富山間及び笹津 - 上袋 - 南富山間の新設2路線を加えた6系統10路線、195本の運行が確保された。代替運行初日はこれにより混乱なく運行が行われた。
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