富山地方鉄道笹津線時代とは? わかりやすく解説

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富山地方鉄道笹津線時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:38 UTC 版)

富山地方鉄道笹津線」の記事における「富山地方鉄道笹津線時代」の解説

富山鉄道廃止後も鉄道復活要望大きく1940年昭和15年8月9日富山電気鉄道傘下富南鉄道南富山駅 - 笹津駅間における鉄道敷設免許申請行ったが、この申請戦火のために進展しないまま終戦迎えた元来一県一市街化標榜して1943年昭和18年)に県下陸上交通事業者統合して誕生した富山地方鉄道は、設立当時より笹津線建設計画しており、1947年昭和22年4月15日に再び南富山駅 - 笹津駅鉄道敷設免許申請行い同年12月1日免許取得した。これを受け工事施工認可申請1948年昭和23年3月24日行ったが、戦後混乱期における物資不足と鉄道敷設工事のような大きな建設を行うには連合国軍最高司令官総司令部指示要するという情勢計画阻碍した。かかる情勢克服するため、折から内清作を代表として地元住民組織した笹津線期成同盟富山地方鉄道と共に連合国軍最高司令官総司令部及び運輸省陳情繰り返し1949年昭和24年10月その許可を取得した。 こうして1949年昭和24年11月10日より鉄道敷設工事着手した当初架線電圧1500Vの鉄道線として建設し立山線車輌共用して運行を行う計画であったが、富山市経済圏拡大に伴い地元住民はその中心地たる西町乗換なしで行くことができるように求めており、富山軌道線との直通運転が構想された。そのため車輌富山軌道線との直通可能な路面電車型のデ5010形が新造され、架線電圧を700Vに降圧する申請1950年昭和25年7月10日行われた。そして1950年昭和25年9月1日にまず第一期線として南富山駅 - 大久保町駅間が開通した一方笹津駅までの第二期線国鉄との連絡に関する協議のために予定より遅れ、1952年昭和27年6月21日建設着手し同年8月15日開業漕ぎつけた。 笹津線富山軌道線への直通運転は『富山地方鉄道50年史』においては1950年昭和25年10月1日より実施されたとあるが、実際に同年11月1日より行われた直通運転による来駅者減少危惧した南富山地区商店反対狭隘なる道路への電車乗入れ安全性疑問視されたため、市長同意しなかったために延期されたが、市会議員試乗会等により解決図られ実現至った当初乗入れ西町までであったが、1953年昭和28年11月富山軌道線桜町 - 西町整備事業竣工待ち1954年昭和29年4月1日より富山駅前までの乗入れ果たした一方昭和30年代からの全国的現象であったモータリゼーション過疎化進行は、富山県においては一層早く進展しつつあった。これにより富山地方鉄道経営下の鉄道線輸送人員1964年昭和39年)を頂点として漸減しており、こうした経営危機打開するために同社会長佐伯宗義は自ら1965年昭和40年11月富山地方鉄道基盤整備指針をまとめ、翌1966年昭和41年)よりこれを実行移した殊に厳し経営状況にあった笹津線射水線不二越線及び上滝線軌道運営方法運営改めることを主眼として改革案がまとめられ、まず富山軌道線含めて集中管理を行う軌道本部設置進められた。こうして老朽化した南富山駅改築してこれを軌道本部とし、同駅構内改造して従来千歳町車庫分散して留置されていた車輌基地機能一体化させる事業始められ1967年昭和42年6月着工し、翌1968年昭和43年3月に全工程完了した。これにより笹津線富山軌道線富山運転区として一体的運営可能になり、管理経費節減実現された。 トラックへの移行目立ち輸送量減退していった貨物取扱の縮小進められた。笹津線においてはまず1967年昭和42年9月1日大久保町駅及び伊豆ノ宮駅における貨物取扱廃止され1970年昭和45年7月1日南富山駅がこれに続き、残るは笹津敷島紡績専用線のみとなった。 また1967年昭和42年10月10日より笹津線富山軌道線直通運転取りやめられた。これは市内交通円滑化を視野入れて行われた改正で、その代わり笹津線内は増発され、概ね20分間隔のダイヤとなった。この改正笹津線南富山駅 - 笹津駅46往復となり、笹津線歴史の中で最も多い本数運行されるようになったまた、この改正合わせて笹津線運用されていたデ5010形電車同年9月から12月にかけて統括制御改造が行われ、直接制御のままであった5000形電車富山軌道線のみで運用されるようになった。 しかしこうした積極的な改革進みゆくモータリゼーションには大した効果を示さなかった。早くも1957年昭和32年)度より慢性的な赤字体質であった笹津線は、1964年昭和39年)度の営業係数161頂点として一連の改革によりややその不採算度合いに一旦落ち着きをみせたが、1968年昭和43年)度の営業係数1511969年昭和44年)度の営業係数1701970年昭和45年)度の営業係数157となり、赤字解消望み得べき状況には至らなかった。これを受け富山地方鉄道1969年昭和44年8月30日ダイヤ改正改革によって増発された運行本数減らし人員と列車の削減乗り出した。このダイヤ改正と同じ年に完工した国道41号線全線舗装完了沿線地域車社会化さらなる拍車をかけ、利用者数は一層減少していった。 1971年昭和46年5月1日ダイヤ改正においてはこれまでの運用思想転換してラッシュ時輸送基本定型輸送区分し昼間の列車削減する効率的ダイヤ志向された。だが、既に笹津線累積赤字はなんら改善見込みなく、このままでは富山地方鉄道経営全体危殆に陥るものと考えられており、同年5月28日株主総会においては笹津線射水線及び富山軌道線一部廃止することが決定された。折から県下においては加越能鉄道加越線廃止発表したばかりであったので、生活路線失われるという不安から沿線住民衝撃大きかった。特に大きな影響を受ける大沢野町においては大々的廃線反対運動が行われ、町民大沢野町笹津線廃止反対期成同盟会を組織し町議会交通対策特別委員会設置してこの問題あたった富山市においても南富山周辺の住民富山市南部地区笹津線廃止反対期成同盟会を結成し1万5000人の署名集めて廃止反対訴えたこうした反対運動対し富山地方鉄道再三説明行い切迫した経営状況再建には廃止のほかに道はない旨を訴えた廃線反対主な理由であった冬期交通自動車代行による不定期性等に対する不安を解消するために、具体的な代替バス運行計画何度も行われた。これを受け富山市1973年昭和48年8月廃線同意し1974年昭和49年12月には大沢野町バス増発等の条件付き廃線同意した同年12月2日には富山県富山市大沢野町及び富山地方鉄道の四者が笹津線廃止調印し1975年昭和50年2月運輸省へ笹津線廃止申請してその許可を受けた敷島紡績笹津工場貨物取扱今後巡って国鉄笹津駅における取扱要望し富山地方鉄道及び敷島紡績と同駅における貨物取扱能力不足を理由として富山駅での取扱主張した金沢鉄道管理局三者の間で意見まとまらず紛糾する事態起ったが、国鉄側が譲歩し結局笹津駅での取扱継続実現された。この解決により廃線に至るすべての問題解決され1975年昭和50年3月31日限りでの笹津線廃止決定した廃線巡って議論が行われていた1974年昭和49年7月10日には水害によって熊野川鉄橋橋脚傾斜し、4輌の電車笹津方に取り残された。これを機に廃止されるではないかという危機であったが、その20日後の7月30日復旧し通常運行復していた。こうして迎えた1975年昭和50年3月31日富山であった同月29日から掲出されていた「さような笹津線」の看板取り付け始発列車は5痔58分に南富山駅発車し笹津駅向かった午后0時40南富山駅発の電車から無料運行が行われ、途中駅では別れを惜しむ人々乗車しきれず積み残される場面もあった。前日敷島紡績笹津工場専用線からの貨車2輌を国鉄側へ引き渡し最後役目終えたデキ6502南富山駅回送された。午后9時54分南富山駅発の下り方面終列車乗務員には花束贈られお別れ記念式典が行われた。笹津線最終列車2232笹津南富山行の列車であった上野駅最後タブレット交換行い南富山駅20人の乗客運び運行終えた南富山駅では富山地方鉄道社長熊野一以下同社幹部ホーム整列して最終列車迎えた熊野北日本新聞社取材対し、「自らの手敷いたレールを外さなければならないのは余りにも皮肉」と感慨披瀝し、複雑な面持ち列車見送った明くる同年4月1日南富山駅前及び笹津駅前に代替バス発車が行われた。代替バス国道41号線既存バス路線増発主体としつつ笹津 - 熊野団地 - 南富山 - 富山間及び笹津 - 上袋 - 南富山間の新設2路線加えた6系統10路線195本の運行確保された。代替運行初日はこれにより混乱なく運行が行われた。

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