富士川とは? わかりやすく解説

富士川

治水の歴史豊かな自然に彩られ急流
富士川は、その源を釜無川本谷として山梨県北巨摩郡白州町長野県諏訪郡富士見町境の鋸岳発し途中多く支流合わせ山間渓谷部を抜け山梨県甲府盆地をを南流し甲府盆地南端西八代郡市川大門町において支川笛吹川合流した後、再び山間渓谷部に入り静岡県富士市庵原郡蒲原町の境において駿河湾に注ぐ、流域面積3,990km2幹川流路延長128kmの一級河川であります

1.甲府盆地南端で釜無川(左)と笛吹川(右)が合流し富士川と呼ばれます
1.甲府盆地南端釜無川(左)と笛吹川(右)が合流し富士川と呼ばれます

2.富士市を流れ駿河湾に注ぐ富士川
2.富士市流れ駿河湾に注ぐ富士川
河川概要
水系富士川水系
河川名富士川
釜無川
笛吹川
幹川流路延長128km
流域面積3,990km2
流域内人160万人
流域関係都県長野県山梨県静岡県

富士川流域図
○拡大図
1.富士川の歴史
"富士川は古来より水害悩まされており、信玄堤始め万力林雁堤などの歴史的治水施設や「出し」が数多く残ってます。
こうした伝統聖牛や三基工などととして現在の河川改修にも活かされています。"

河川水害と闘った甲斐駿河の人たち


万力林と石堤
万力林石堤
山梨には昔から三川落合(さんせんおちあい)という言葉あります
急流河川三つ合流する場所で、急流落合う場所は水害難所でした。笛吹川の「万力林(まんりきばやし)」と「近津堤(ちかつてい)」、釜無(かまなし)川の「竜王堤(りゅうおうづつみ)」で、いづれか堤防抜ければ甲府盆地水浸しとなってしまいます水防に関しては、平安時代は神に祈ることが主でしたが、南北朝時代(1,300年代)には「万力」の地名現れることから、その頃には治水整備川除(かわよけ))がなされていたと思われます。

出し
出し
竜王堤とカエデの大木
竜王堤とカエデ大木
戦国武将武田信玄」は1452年から大規模な治水システム20年近い歳月をかけて築いてます。これは、流路安定出し(だし)」、河川分流将棋頭(しょうぎがしら)」、釜無(かまなし)川への合流河川平野部大地部の二つ分け平野部の「竜王堤」が受けていたエネルギー減殺堤防に「聖牛(せいぎゅう)」を配し破堤しても濁流が川に戻るよう「(かすみ)提」とし、土石流木防御のための堤防付近植樹堤防守り集落租税免除水防重要性知らせるための「御幸祭(おみゆきまつり)」の奨励行いました甲斐侵攻した徳川家康は「竜王堤」に立ち、「一之出し新設命じました江戸時代には大規模な補強が行われています。
江戸時代編纂(へんさん)された「堤防溝洫志(ていぼうこうきょくし)」(治水方法編纂)には甲州川除術(かわよけじゅつ)として紹介し全国奨励しました。竜王堤を信玄堤(しんげんづつみ)と呼ぶようになったのは江戸時代からです。信玄堤一連施設のうち、分流した川の一つ明治洪水消滅しましたが、信玄堤は現在まで甲府盆地守ってます。

雁堤(空から見ると雁が羽を伸ばしているように見える)
雁堤(空から見ると雁が羽を伸ばしているように見える)
一方静岡においては江戸時代1621年古郡(ふるごおり)氏(後の富士代官)が静岡県富士市を富士川洪水から守る「雁堤(かりがねづつみ)」の整備着手しましたが、工事は、堤防築いて流される事の繰り返しで、親子孫三代にわたる難工事で、人柱(ひとばしら)を建て、ついに完成至った伝えられており、現在でも富士平野治水の要として機能してます。
2.地域の中の富士川
"淳和天皇勅使呼びかけ始まり武田信玄奨励した御幸祭市川大門花火水難者の霊を慰め南部の火祭りなど、富士川の歴史彩られ祭り数多く引き継がれていると共に市民とのふれあい深める各種行事が行われています。"

歴史とともに今に生きる川の祭り

甲州鰍沢から見た富士川と富士山
甲州鰍沢から見た富士川と富士山
富士川と人のかかわりは、古く万葉集平家物語にも詠(よ)まれ、江戸時代には漁夫投網(とあみ)をしている様子葛飾北斎浮世絵富嶽(ふがく)三十六景」にも描かれています。

御幸祭
御幸祭
上流域の釜無(かまなし)川では、毎年4月信玄堤御幸祭(おみゆきまつり)が行われます古くから親しまれている祭りで、西暦825年、純和(じゅんな)天皇のときに勅使(ちょくし)を下(くだ)し、支川笛吹(ふえふき)川流域一宮二宮三宮の各神社命じ釜無川水防祈願行ったのが始まりと言われています。武田信玄は、この祭り治水祭りとしました
秋には、「信玄堤ウオークが行われ、ウオークしながら施設関連河川学習出来ます
支川笛吹川流域では、春は桃の花、秋の葡萄が有名です。流域石和温泉では、笛吹川鵜飼(うかい)が夏に行われます平安時代始まったと言われていますが、鵜匠(うしょう)と徒歩で川に入る「徒歩鵜」と呼ばれる漁法で、昭和51年蘇りました。「みずウオーク石和温泉大会には県内外から多くの方が参加してます。

神明の花火大会
神明の花火大会
釜無川笛吹川合流する市川大門(だいもん)町の和紙は、シェア40%を誇ります市川和紙隆盛貢献した紙工を祭る「神明(しんめい)の花火」が毎年8月、富士川で行われ山梨県下一花火として、多く観客にぎわいますこの花火は、武田氏狼煙(のろし)の打ち上げから始まったと言われています。

南部の火祭り祭
南部の火祭り
中流域山梨県)の身延町には、日蓮上人(にちれんしょうにん)創建久遠寺あります
南部町では、富士川の河原で「南部の火祭り」が旧盆行われます大松明(たいまつ)や燈籠とうろう)流し投松明なげたいまつ)など、美しい炎で仏を供養し、川を鎮める勇壮なお祭りであります

下流域静岡県富士市では、古郡(ふるごおり)氏が整備した雁堤」において、古郡氏の偉功感謝するかりがね祭り」が毎年秋に行われてます。
3.富士川の自然環境
"富士山始め、3,000m級の山々囲まれた富士川は、蛇行繰り返す砂礫河原呈しており、清流生息環境とする多く魚類両生類鳥類等がみられると共に湿地環境河口部海浜性砂丘など多様な環境有してます。"

自然環境

富士川河口部
富士川河口部
富士川は、日本一霊峰富士山をはじめ、南アルプス八ヶ岳秩父山地等の3,000m級の急峻な山々囲まれ、その大部分フォッサマグナ呼ばれる比較新し地層構成されており、特に流域西側には日本列島東西分断する糸魚川静岡構造線」が走ってます。このため極めてもろい地質構造になっており、豪雨による崩壊土砂流出及び流れ緩やかな箇所への堆積により、河道は低水路内で蛇行(だこう)を繰り返す砂礫河原(されきかわら)を呈してます。

サツキカマキリ
サツキカマキリ
メダカカワセミ
メダカカワセミ
源流から甲府盆地流下する釜無川上流部の山には、サツキ・コナラ等の自然植生残され数多くの川は四季折々山岳渓谷美に富んだ渓流となって岩肌削りながら流下しています。水中には清流の礫質河床(れきしつかしょう)を産卵場とするカワヨシノボリ・カマキリ等、流れ緩やかな箇所ではコイ・フナ類、メダカ等の魚類やカワセミ・サギ等の鳥類生息しており、河原にはカワラヨモギハリエンジュ群落点在してます。また、釜無川笛吹川との合流点付近は、広い砂礫河原環境水辺湿地環境併せ持ちサギ類やガン・カモ類など多く鳥類生息してます。

ツメレンゲ
ツメレンゲ
甲府盆地より下流の富士川中流部は、途中早川はやかわ)と合わせ急峻きゅうしゅん)な山地を縫(ぬ)うように蛇行繰り返し流下しており、岩肌川面(かわも)が織りなす自然豊かな景観となってます。連続する瀬や縁には、アユ等の魚類や、カジカガエル等の両生類カワセミ等の鳥類多く生息してます。河畔にはヤナギ・ケヤキ等の樹林広く分布してます。また、堤防玉石護岸にはツメレンゲ見られます。

コアジサシ
コアジサシ
雁堤かりがねづつみ)から河口までの区間については、河口部で約2,000mの広大な川幅有し、低水路部網状(あみじょう)の流れ形成してます。駿河湾に注ぐ直前では、砂礫地・海洋性砂丘干潟(ひがた)や湿地等の多様な環境見られコアジサシカモ類等多く鳥類生息するため、野鳥観察場として有名です。また、干潟湿地にはヨシ等が群生してます。
4.富士川の主な災害
"記録最古河川災害西暦825年です。近代では、明治10年台風死者115人、昭和34年8月7号台風では死者不明者884人、家屋全壊半壊流失6,536戸となってます。富士川水系急流河川で、家屋倒壊流失災害特徴となります。"

主な災害の表

発生発生原因被災市町村被害状況
昭和10年8月29日 台風山梨県内死者 44
床上浸水 1,146
昭和34年8月14日 7号台風山梨県内死者行方不明 884人
損壊家屋 6,536戸
家屋浸水 14,495
昭和41年9月25日26台風山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者行方不明 306
損壊家屋 122
床上浸水 4,714
昭和47年9月17日 20号台風山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者 18
損壊家屋 1戸
床上浸水 62
昭和57年8月2日3日 10号台風山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者行方不明 35
損壊家屋 46
床上浸水 523
昭和58年8月15日18日 5号6号台風山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者 2人
損壊家屋 6戸
床上浸水 142
昭和60年6月30日7月1日 6号台風山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者 1人
損壊家屋 2戸
床上浸水 37
平成3年9月19日18号台風
秋雨前線
山梨県内
富士川流域
富士川流域
死者 1人
損壊家屋 2戸
床上浸水 102

5.その他
"不思議な名前の富士川。美し響き笛吹川伝説が、釜無川は川のようすが関 係していそうです。"

川の名前由来

※富士川(ふじかわ)の名前の由来
富士川と富士山
富士川と富士山
駿河人(するがびと)による「不尽河」と詠んだ万葉の歌があり、平安時代更級日記に「富士河は富士山より落ちた・・・」との文があるようです。駿河では富士山集めて流れる河との認識があって富士川と呼んだ考えられます。ところで、富士山芝川から富士川に注ぎます河口から約13km上流)が、多く南アルプス八ヶ岳秩父(ちちぶ)山地等の集めて流れてます。その意味では不思議な名称と言えます。
下流域呼び名長い歳月(さいげつ)をかけて中流域でも呼ばれるようになったようです甲府盆地から上流二つ大河川に分かれていて、それぞれ固有の名称釜無川笛吹川)で呼ばれてます。なお、藤川が富士川になったとの説もあるようです。

※笛吹川(ふえふきがわ)の名前の由来
笛吹川と差出の磯
笛吹川差出の磯
笛吹権三郎
笛吹権三郎
笛吹川美し響きの名前です。古歌に「・・・子酉(ねとり)流れ笛吹の川」と詠まれ、子酉川と呼ばれていたともいわれています。笛吹権三郎悲しい伝説あります
笛吹権三郎は、上釜口(今の三富村)で、丸太乗って流れながら笛を吹くのが得意であった聞くものはそれを愛(め) で、且つ感嘆したのである大水のとき、いつものように丸太立っていたが、水流にのまれて沈んだのを目撃した村人が淵から骸(むくろ)を得てをあげて供養した。一方、川に流された母を慕って権三郎が笛を吹いた、とする話も流域各地残されているようです

釜無川かまなしがわ)の名前の由来
釜無川と八ヶ岳
釜無川八ヶ岳
諸説あります。釜の様に深い底が無い川(淵が無い)だとか、釜にはご飯こぼれないように縁(ふち)がありますが、縁(堤防)が無い川だからとかです。
伝説あります。昔浅原村(あさはらむら)(今の南アルプス市)に旧家があり、その妻女釜無川水害除こう心痛し、ある暴風雨夜に意を決して釜の(ふた)を持ち出し逆巻く水の流れ投げ入れ自らそのの上飛び乗った妻女蛇身じゃしん)と化して怒濤(どとう)の上とともに見えなくなったその後水害は起こらなくなった村人恐れて釜を用いなくなったからというものです。

(注:この情報2008年2月現在のものです)




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