稲瀬川
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稲瀬川 | |
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![]() 稲瀬川と富士山(静岡県富士宮市より) | |
水系 | 一級水系 富士川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 約12.3 km |
平均流量 | -- m³/s |
水源 | 静岡県清水区宍原 |
水源の標高 | -- m |
流域 | 静岡県 |
稲瀬川(いなせがわ)は、静岡県静岡市清水区および富士宮市を流れる富士川水系の一級河川。芝川、稲子川と並ぶ旧芝川町の代表的な河川である。
地理
流路延長約12.3km、流域面積42.4km²[1]。静岡市清水区の宍原地区に源を発し、同地内で矢崎川と合流。富士見ヶ丘カントリークラブの南側を蛇行しながら東へ流れ、入川を合わせると同時に県道75号線に沿い富士宮市に向かい流れる。
富士宮市へ入ると県道75号線に沿い北流し、途中山口川・廻沢川などの河川をあわせ内房地区を蛇行しながら流れる。最後にほぼ同規模の内房境川を合わせ富士川に合流する。内房地区においては内房川とも呼ばれている。
また稲瀬川から望む富士山の風景は、環境省が公開した「富士山がある風景100選」に指定されている。
歴史
昭和27年(1952年)6月のダイナ台風では、増水により庵原郡内房村の田畑や家屋が流され、10人の死者を出した。内房の小字である「相沼」の地名は、稲瀬川の氾濫の度に「総沼」になってしまうことから名付けられたという。古文書には「惣沼」の表記も確認される[2]。
流域の施設
- 瓜島温泉
- 富嶽カントリークラブ
- 富士見ヶ丘カントリークラブ
- ダイナ橋 - ダイナ台風による被害の後、稲瀬川の流れを変えた際に内房に設けられた橋。橋台の上に茶摘み娘の人形が飾られている。
主な支流
- 入川
- 矢崎川
- 山口川
- 廻沢川
- 内房境川
脚注
- ^ 未来へつなぐ~治水機能の維持と多自然川づくり~(静岡県交通基盤部) 国土交通省、2022年12月20日閲覧。
- ^ 遠藤(1981) p.210
参考文献
- 遠藤秀男 『富士川-その風土と文化-』静岡新聞社、1981年。ISBN 478-3-81017-6。
稲瀬川
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「稲瀬川 (神奈川県)」の記事における「稲瀬川」の解説
稲瀬川は、長谷大谷戸(はせおおやと)に源流があり、高徳院(鎌倉大仏)の東から長谷観音前交差点付近へと南下する:2。長谷観音前交差点以北は多くが暗渠となっている。開渠がはじまる交差点南側には、「三橋」の名と1926年(大正15年)4月の日付を記した橋の親柱が残されているが、下流にある同名の「三橋」との関係は不明(この地点について鎌倉市では橋として管理していない)。江戸時代後期に編纂された『新編相模国風土記稿』では、長谷観音門前で稲瀬川を渡る江島道の石橋として「兵橋(兵ヶ橋)」の名がある。 長谷観音前交差点から南下した流れは、江ノ電長谷駅の北でほぼ直角に曲がって東に向きを変え、住宅街の中で再び南方向へと流路を変えていく。海岸沿いの国道134号をくぐり、由比ヶ浜の海に注ぐ。 稲瀬川には上流から以下の橋が架かっている。 新宿橋 - 1993年(平成5年)3月。旧橋の親柱が残る。鎌倉市管理:58。 (江ノ電) 栄橋 - 1928年(昭和3年)10月。鎌倉市管理。 三橋 - 1939年(昭和14年)4月。鎌倉市管理。 美奈能瀬橋(国道134号) - 1953年(昭和28年)。国土交通省管理。 1923年(大正12年)9月の関東地震(関東大震災)に関する記録では長谷駅前に「兵橋」があったとされ、この橋まで津波が遡上したという。鎌倉市の津波ハザードマップでは、現在の新宿橋付近を示している。
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