最後の市街戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 03:11 UTC 版)
鎌倉市内では激戦が続き、稲瀬川より由比ガ浜の家々に新田勢が火を放ったため、鎌倉市内は火災の煙で覆われた。この時大仏貞直、金沢貞将など幕府方有力武将が相次いで討ち死にしている。現在の宝戒寺(鎌倉市小町)にある北条執権亭にも火が迫ったため、北条高時ら北条一門は最期であることを悟り、菩提寺である葛西ヶ谷の東勝寺に集まった。5月22日、北条高時ら北条一門は自害し、滅亡した(東勝寺合戦)。
※この「最後の市街戦」の解説は、「鎌倉の戦い」の解説の一部です。
「最後の市街戦」を含む「鎌倉の戦い」の記事については、「鎌倉の戦い」の概要を参照ください。
- 最後の市街戦のページへのリンク