最後の年とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 10:01 UTC 版)
「トルコ人 (人形)」の記事における「最後の年とその後」の解説
メルツェルの死後、トルコ人はメルツェルが作ったその他の機械とともに友人の商人ジョン・オールの手に渡った。彼はトルコ人をオークションで売ろうとしたが、競りが低調で自身が400ドルで買い戻した。結局、オールはエドガー・アラン・ポーの主治医でトルコ人の崇拝者のジョン・ミッチェルに譲った。 1840年に修理が完成し、ミッチェルは、チャールズ・ウィルソン・ピールのピール美術館に寄贈した。そして1854年7月5日にフィラデルフィア国立劇場から出火した火事が博物館まで達し、焼失してしまうまで、時々チェスの試合も行った。ミッチェルは、炎の中でトルコ人が「チェック!チェック!」と繰り返し叫んでいたと信じている。 ロサンゼルスで活躍する手品用品の制作者ジョン・ゴーハンは、トルコ人の複製を作るために、1984年から5年の歳月と12万ドルの投資をした。この機械には、火事から焼け残ったトルコ人のオリジナルのチェス盤が用いられ、動作にはコンピュータが用いられた。1989年11月に初めて公開された。
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