最後の小型車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:38 UTC 版)
851形各形式は戦後しばらくの間も阪神の主力車であったが、1954年の3011形に始まる大型車の登場以降は、主力の座をこれらの大型車に譲ることとなったものの、1950年代後半まではステップを取り付けられた上で大型車に伍して急行や準急を中心に運用された。 しかし、1954年12月15日に発生した摂津車輌の火災において864,871,883,905の4両が被災したが、そのうち864と905の2両は翌1955年12月15日に廃車、905は当初制御車として登場し、戦災復旧車でもあったことから、電動車として運用されたのはわずか数年であった。また、1956年までに正面のエアインテークに標識灯を増設し、車内照明を蛍光灯に改造したほか、801形の制御器を1101,1111,1121形のPC-5に換装したことから、1957年までに被災復旧車はPC-4A、その他の車両はPC-Hと、自動加速専用に簡素化された制御器に換装した。この他、1958年には阪神パークで開催された科学博をPRするために881形5連の車体をクリームイエロー、屋根をグレーに塗った特別塗装車を登場させた。 その後も大型車の投入が進んだが、1950年代後半の新設軌道線は併用軌道線から71形を借用して小型車を捻出するほど車両数が不足していたほか、1960年代初頭は普通用の「ジェットカー」各形式を増備して普通を高性能化することで全体的なスピードアップを図ったことから、置き換え対象とならなかった851形各形式は5 - 6連で急行や準急を主体に運用を続けただけでなく、ジェットカー量産車である5101・5201形登場前にはラッシュ時の普通運用に投入されることもあったほか、2連で西九条開業前の伝法線(現在の阪神なんば線)の運用にもつくことがあった。 1963年2月のダイヤ改正で小型車の運用が朝ラッシュ時に限定されるようになり、前後して71形が併用軌道線に引き上げたことから、851,852の2両が着脱式のステップを取り付けて武庫川線の運用に充当されるようになった。その後、851,861形全車と881形の一部の台車が801,831形の廃車発生品の台車と交換され、捻出されたボールドウィン台車は7801系の付随車である7901形のうち34両に流用された。 851形各形式の淘汰は1964年から開始され、5月に2両が廃車されたのを皮切りに6,8月に各5両、9月に4両が廃車され、1965年には6月に7両、8,11月に各6両が廃車されたほか、851,852に代わって881,882が武庫川線運用に充当されるようになった。この時点で851形各形式は17両が残るのみとなり、同年11月8日午前7時38分甲子園駅発の梅田行き区間急行を最後に阪神本線から撤退、同列車は約1,200人にも及ぶ満員の乗客を詰め込んで梅田駅に到着、何のセレモニーもなく静かに運用を終えた。 しばらくは予備車として残留していたが、12月に半数近い8両が廃車、1966年には残った9両のうち3両が廃車、5両が休車となって営業車として残ったのは881のみであった。休車のうち2両は4月に廃車、残った3両も11月に廃車され、最後に残った881も武庫川線の運用が1967年3月20日から3301形の運用となったため保留車となった後、同年9月11日付で廃車された。 これにより大手私鉄で初めて吊掛車が完全に淘汰されたと同時に、ここに創業以来60数年に及ぶ阪神電鉄の小型車の歴史に幕を下ろした。
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