最後の引き揚げ者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 05:07 UTC 版)
4月28日に国際赤十字から派遣された輸送隊がアンカークローナ(Ankarcrona)大尉に率いられノイブランデンブルクの収容所へやってきた。この輸送隊は前進してくるソ連軍をやり過ごし、200名の行進させられていた女性収容者を収容しリューベックへ連れ帰った。ドイツ側のゲシュタポ連絡将校のフランツ・ゲーリングは、2,000名(ユダヤ人960名、ポーランド人790名、フランス人250名)の女性収容者を移送するためにハンブルク発の輸送列車を調達し、この列車は5月2日にパドボーに到着した。この列車輸送はスウェーデン赤十字社の救出した収容者には勘定されていないが、この輸送は「白バス」と関連付けて言及されることが適切であるかもしれない。 4月30日に223名の女性収容者を乗せた「マグダレーナ」と225名の女性収容者を乗せた「リリー・マティエッセン」の2隻のスウェーデン船がリューベックを出港した。この輸送はスウェーデン人医師のハンス・アーノルドション(Hans Arnoldsson)がビョルン・ヘガー(Bjørn Heger)の協力で手配したものであった。彼らは数隻の船に分乗した数千の収容者を後に残していかねばならず、これらは5月3日に英軍機に攻撃されカップ・アルコナの惨事となった。コペンハーゲンからマルメへのフェリーによる女性収容者グループの最後の輸送は5月4日に行われた。
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