創業から終戦まで
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1917年(大正6年)12月15日 - 神中軌道の設立登記。 1918年(大正7年)1月4日 - 相模鉄道の設立登記。 1919年(大正9年)6月10日 - 神中軌道、神中鉄道に商号変更。 1926年(大正15年)10月9日 - 神中鉄道、乗合バス事業の認可を受ける。 12月1日 - 神中鉄道、星川停車場・西谷停車場を営業開始。鉄道との連絡輸送のため、星川停車場 - 省線横浜駅で乗合バスを運行開始。 1929年(昭和4年)2月14日 - 神中鉄道、西横浜停車場を営業開始。 9月5日 - 神中鉄道、鉄道路線の開通に伴い乗合バス事業を中止。 1936年(昭和11年)1月15日 - 相模鉄道、省線八王子駅へ乗り入れ開始。 6月9日 - 相模鉄道、上溝 - 厚木間の乗合バス路線を愛高自動車商会から譲受。相模原地区で乗合バス事業に進出。 1939年(昭和14年)11月20日 - 神中鉄道の取締役社長に五島慶太が就任。大東急入りする。 1941年(昭和16年)6月3日 - 相模鉄道の取締役社長に五島慶太が就任。大東急入りする。 1942年(昭和17年)4月2日 - 相模鉄道、本社を東京市渋谷区大和田町5番地1号へ移転。 1943年(昭和18年)4月1日 - 相模鉄道、神中鉄道を吸収合併。本社を横浜市神奈川区南幸町1丁目107番地へ移転。 1944年(昭和19年)3月20日 - 相模鉄道、相模原地区の乗合バス路線(上溝 - 厚木、田名 - 淵野辺、田名 - 橋本)を、東海道乗合自動車(現:神奈川中央交通)へ譲渡。乗合バス事業から撤退。 7月17日 - 相模鉄道、本社を横浜市西区高島通2丁目30番地へ移転。
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創業から終戦まで
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1917年6月 - 松下幸之助が大阪府東成郡鶴橋町大字猪飼野(現・大阪市東成区玉津二丁目)の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は幸之助の妻・むめのと妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。 1918年3月7日 - 大阪市北区西野田大開町(現・大阪市福島区大開二丁目)に移転。松下電気器具製作所を創立する。 1922年 - 大阪市北区西野田大開町(現・大阪市福島区大開二丁目)に新工場(第一次本店・工場)を建設して移転。 1927年 - 自転車用角型ランプを販売。この商品から、「ナショナル(NATIONAL)」の商標を使用しはじめる。 1929年 - 大阪市北区西野田大開町(現・大阪市福島区大開一丁目)に新工場(第二次本店・工場)を竣工する(同跡地には現在松下幸之助創業の記念碑が存在)。 1931年 - ラジオの生産を開始。 1932年 - ラジオの重要部の特許を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。 1933年 - 大阪府北河内郡門真村大字門真(現・門真市大字門真)に大規模工場を建設して移転。事業部制を導入。 1935年7月 - 国民ソケットを発売。 8月 - 松下電器貿易、松和電器商事(1943年本社へ編入)を設立。 12月 - 松下電器産業株式会社(まつしたでんきさんぎょう、Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.)に改組、松下電器(後の松下航空工業、パナソニック電工)、松下無線、松下乾電池、松下電熱、松下金属、松下電器直売など9分社を設立。 1936年 - 分社としてナショナル電球、朝日乾電池を追加。10月 - 白熱電球の製造を開始。市場をほぼ独占していた白熱舎(現在の東芝)と同価格で売り出す。 1937年 - 「ナショナル」のロゴ書体「ナショ文字」を制定(1987年に使用中止)。 1938年 - 分社化が加速。同年6月ナショナル蓄電池、10月に松下電動器を設立、1944年までに合計32社が設立された。この年、分社の松下電器が直接兵器類の部品受注を受けるなど、軍需品中心の生産体制に移行開始。9月、満州松下電器設立(1942年には満州無線工業設立)。 1943年8月 - 分社の松下電器が松下航空工業に改組、軍需産業に本格参入。軍部命令による2分社、松下造船(12月の第一号船進水式以来、木造船42隻、曳航船9隻建造)と松下飛行機(木造飛行機4機製造)を設立。 1944年 - 松下無線、松下乾電池、松下電器工業(松下電熱、松下電動器が既に編入)、松下蓄電池製造の4製造分社を本社に吸収合併するなどグループ再編実施。 1945年8月15日 - 日本敗戦により、在外資産(敗戦前に失っていた満州松下電器、朝鮮松下電器の諸工場と営業所、台湾松下電器、ジャワの電池工場、マニラの真空管工場を含め、上海の松下電業本社及び工場など計20カ所の海外事業所)のほとんどすべてを失う。
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創業から終戦まで
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1895年(明治28年)4月6日:創立願い。 1896年(明治29年)6月22日:仮免状下付。 10月16日:創立総会開催。役員の選任(専務取締役末延道成、取締役今村清之助、南条新六郎、原六郎、渡辺洪基)。 1897年(明治30年)9月3日:本免許状下付(北千住 - 足利間)。 11月1日:企業創立(登記完了)。 1899年(明治32年)8月27日:初の路線で現在の伊勢崎線となる北千住駅 - 久喜駅間開業。 1905年(明治38年):営業不振により、根津嘉一郎(初代)を初代東武鉄道社長に迎える。 1906年(明治39年)3月16日:帝国議会の衆議院で鉄道国有法案が可決され、東武鉄道が官設鉄道による買収対象となる。 3月25日:貴族院での修正可決案で東武鉄道が買収対象から除外され、同法がこの内容で公布された結果、東武鉄道は存続。 1912年(明治45年)3月30日:現在の佐野線を運営していた佐野鉄道を合併。 1913年(大正2年)3月:現在の桐生線を運営していた太田軽便鉄道を合併。 1920年(大正9年)7月22日:現在の東上線を運営していた東上鉄道と対等合併。存続会社は東武鉄道。 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により被災。 1927年(昭和2年)10月1日:後の伊香保軌道線(1956年廃止)を東京電燈から買収(9月26日許可)。 1929年(昭和4年)10月1日:日光線全通。日本全国に先駆けて、電車による100km以上の長距離運転を実施。 10月10日:臨時で日光特急運転開始。 1931年(昭和6年)5月25日:浅草雷門駅(現・浅草駅)に乗り入れ。根津の支援を受けて早川徳次が1927年に開業させていた東京地下鉄道(帝都高速度交通営団→東京地下鉄〈東京メトロ〉の前身)の銀座線と接続。 8月11日:宇都宮線開業。 11月1日:浅草駅の駅ビルに松屋入店。これは1920年(大正9年)11月1日に阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)梅田駅に開店した白木屋、1928年(昭和3年)12月18日に池上電気鉄道(現:東急池上線)五反田駅の白木屋に続き、日本全国で3番目のターミナルデパートとなる。 12月20日:震災復興などを理由に建設が遅れていた西板線のうち、西新井駅 - 大師前駅間が先行開業。その後、上板橋駅までの全線開業を断念し、同区間は大師線となる。 1933年(昭和8年)10月27日:傍系バス会社として毛武自動車(東武バスの前身)が設立される。 1934年(昭和9年)4月1日:川越地区で直営バス事業開始(東武バス#沿革を参照)。 1936年(昭和11年)9月8日:毛武自動車が東武自動車に社名変更。 1937年(昭和12年)1月10日:現在の小泉線を運営していた上州鉄道を合併(1月9日許可)。 1938年(昭和13年)4月17日:本社社屋が完成。 8月:陸上交通事業調整法が施行。東武鉄道が北関東地域における統合主体となる。 1939年(昭和14年)6月1日:東武自動車が東武鉄道の直営バス事業を継承してバス事業を一元化。 1941年(昭和16年)7月:根津嘉一郎(初代)の逝去を受け、根津嘉一郎(2代目)が第2代東武鉄道社長に就任。1994年(平成6年)6月まで社長職を続け、東京証券取引所上場企業の中では、史上最長期間(52年12か月)の社長職を務める。 1943年(昭和18年)5月1日:現在の鬼怒川線を運営していた下野電気鉄道を合併(4月30日許可)。 7月1日:現在の越生線を運営していた越生鉄道を合併(6月10日許可)。 1944年(昭和19年)3月1日:現在の野田線を運営していた総武鉄道を合併。 1945年(昭和20年)3月10日:太平洋戦争下の東京大空襲により浅草地区を中心とした伊勢崎線沿線が被災。 4月13日:城北大空襲により池袋地区を中心とした東上本線沿線が被災。東武堀之内駅(1951年に北池袋駅として復活)と金井窪駅が廃止。
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