鶴見区の市営バスの始まりとは? わかりやすく解説

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鶴見区の市営バスの始まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:27 UTC 版)

横浜市営バス鶴見営業所」の記事における「鶴見区の市営バスの始まり」の解説

横浜市街からの公共交通機関であった横浜市電生麦終点としており、国策によって大規模な発展遂げていた京浜工業地帯一部であった鶴見区沿岸部と、それに伴い発展していた住宅地商業地交通機関バスが担うこととなった1931年昭和6年)には下末吉 - 池ノ下 - 鶴見駅西口 - 滝坂 - 生麦線、1932年昭和7年)には生麦 - 鶴見駅 - 市場 - 堀ノ内 - 東潮田 - 汐田小学校 - 栄町三丁目循環潮田循環線)が開設されている。いずれも当時市内交通の中心であった市電終点生麦発着している点が特筆される鶴見横浜市外を直接結ぶ路線開設するにあたり1931年12月15日生麦 - 市内線路線免許横浜市電気局に、生麦 - 横浜市分界までが京浜電鉄(現:京浜急行電鉄)に同時に許可されたが、これについて2日後12月17日神奈川県知事から横浜市長あてに通達出されており、その内容は「京浜連絡交通関係上市内中地点への乗入は是非共必要と認めらるるに付会社と協議遂げ之が実現努むべし」という、京浜電鉄バス路線横浜市直通運行認めよとの命令に近いものであった横浜市市内交通公営一元化目指しいたものの、この通達受けて苦肉の策として、同区間市営バス路線しながら京浜電鉄運行委託し、翌1932年9月30日運行開始実質的に京浜電鉄バス路線市内直通運行手伝う形となった1935年昭和10年9月末の委託契約満了時には市営バスとして運行する旨を京浜電鉄折衝したまとまらず結局この委託運行京浜電鉄大東急となった戦後まで続いたまた、1935年6月には松野光治経営していた鶴見乗合自動車営業路線鶴見駅 - 潮田巡査駐在所 - 潮田運河間2.2kmと鶴見駅 - 末広町 - 潮田安善町間4.0km)を6万2千円買収市営バス路線として運営することが市会決議され同年7月鶴見駅 - 京浜鶴見駅 - 潮田銀座 - 大東町 - 寛政 - 安善町線として新たに開設されている。結局民営バス会社買収はこの1件にとどまったその後鶴見区内の市営バス運行活況呈しており、1936年昭和11年)には本業鉄道事業好調なことから一部路線休止などが出ていた鶴見臨港鉄道乗合自動車事業(現:川崎鶴見臨港バス)の鶴見 - 獅子ヶ谷路線を、均一運賃などによる市民利便見地から買収する機運生じた同年12月には同会社仮契約締結したものの、その後市会において審議留保とされ実現には至らなかった。 「横浜市営バス#民営バスとの競合」、「京浜急行バス#京浜電気鉄道のバス事業」、および「川崎鶴見臨港バス#創業から終戦まで」も参照

※この「鶴見区の市営バスの始まり」の解説は、「横浜市営バス鶴見営業所」の解説の一部です。
「鶴見区の市営バスの始まり」を含む「横浜市営バス鶴見営業所」の記事については、「横浜市営バス鶴見営業所」の概要を参照ください。

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