鶴見区鶴見町の町域の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 02:39 UTC 版)
「鶴見 (横浜市)」の記事における「鶴見区鶴見町の町域の変遷」の解説
横浜市に編入されてから数度にわたり、鶴見町は周辺の町と境界を変更している。1928年に、上末吉町および市場町に鶴見町の町域の一部を編入。1929年には東寺尾町と境界を変更するとともに馬場町の一部を編入。1936年には生麦町と境界を変更するとともに東寺尾町の一部を編入。鶴見町の一部を1937年に下末吉町、1939年に北寺尾町・東寺尾町に編入。1959年に鶴見町の一部を東寺尾町に編入、翌年には東寺尾町の一部を鶴見町に編入した。1967年5月1日に鶴見町の一部が生麦五丁目となり、生麦町の一部を編入。1969年6月1日に鶴見町の一部が下末吉一・二丁目となり、下末吉町の一部を編入。1972年6月5日に鶴見町の一部から鶴見一・二丁目、寺谷一・二丁目、東寺尾東台、諏訪坂を新設。1979年7月23日には佃野町と豊岡町を新設。残りの町域は1980年7月28日に鶴見中央一~五丁目となり、町名としての鶴見町は消滅した。
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