鶴見・川崎埋立出願とは? わかりやすく解説

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鶴見・川崎埋立出願

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:33 UTC 版)

浅野埋立」の記事における「鶴見・川崎埋立出願」の解説

浅野総一郎横浜東京の間の海岸を自ら五回も踏査して海岸遠浅なので埋立容易だ考え東海道鉄道通っているので物流労働力確保簡単だ考えた。さらに港湾工学権威東京帝国大学教授広井勇と共に三度実地調査して、お墨付き得たとりあえ明治37年1904年)に鶴見・川沿岸小規模な埋立神奈川県出願し明治41年1908年)には百五十坪の大規模な埋立事業神奈川県出願した後者台湾高雄人工港を建築した山形要助に設計依頼したもので、百五十坪の埋立地七区画に分けて各区間に幅72mの運河造り艀・曳船通行可能にして護岸石垣築き埋立地全体の海側に一文字防波堤築いて幅約590m長さ4100m干潮時の深さ9mの運河造って一万トン級の船が停泊係留できるようにし、埋立地道路・鉄道敷設して東海道既存鉄道接続し理想的工業地帯作り出すというものだった。ところが、大規模な埋立なので他の人の連署がないと許可できない告げられて、浅野総一郎安田財閥総帥安田善次郎相談した安田二人技師連れて海岸の宿に三泊して毎日六時海岸から、夕方五時釣船から潮の干満調査した結果埋立事業有望だ判断して協力した明治45年1912年3月浅野総一郎安田善次郎渋沢栄一渋沢財閥総帥)・安倍兵衛渡辺福三郎大谷嘉兵衛三人横浜貿易商)で鶴見埋立組合結成し改め埋立事業出願した大正元年1912年秋に埋立地域の漁業権交渉が二万円支払う事でようやく妥結すると、大正2年1913年1月埋立許可下りた

※この「鶴見・川崎埋立出願」の解説は、「浅野埋立」の解説の一部です。
「鶴見・川崎埋立出願」を含む「浅野埋立」の記事については、「浅野埋立」の概要を参照ください。

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