創業から百貨店へ
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神奈川県警川崎分署の警察官をしていた岡田宗直が1890年(明治23年)11月23日に川崎町(現・川崎市川崎区)堀ノ内184に質屋を開店したのが始まりである。 1910年(明治43年)10月に質屋に隣接する形で呉服部の店舗を開業して小売業に進出した。 1933年(昭和8年)には当時鍋屋横丁と呼ばれた通りに面した川崎駅前の幸町に岡田屋呉服店を開店した。 第二次世界大戦の空襲で店舗が焼失したため戦後の焼け野原だった川崎駅前で取り敢えずバラックの店舗で営業を再開した。 1947年(昭和22年)5月31日には資本金19.5万円で株式会社岡田屋呉服店とし、東京の並木通りと晴海通りの交差点角の銀座西5丁目3番地に建設された対鶴館に本店を構え、川崎を支店とする形で事業の拡大を図った。 1963年(昭和38年)5月には川崎の店舗に地下1階地上6階で延べ床面積1,920m2の新館が完成させ、既存の本館と合わせて5,315m2へ拡張したのを機に百貨店としての営業を開始した。 1967年(昭和42年)6月16日には株式会社横浜岡田屋を設立して同月28日に着工し、1968年(昭和43年)11月30日に横浜市に横浜おかだやを開店して複数の百貨店を運営するようになった。 この横浜岡田屋の店舗では、開業当初から大手百貨店との差別化を図るために売り場面積の約半分に専門店のテナントを導入している。
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創業から百貨店へ
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大和国十市郡十市村で絹屋として商売を営んでいた十合徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が、1830年(天保元年)に坐摩神社(火防陶器神社)の南隣、大坂上難波町に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである。 1872年(明治5年)に古手屋を廃業して呉服店へ転換し、1876年(明治9年)に安堂寺橋通三丁目に移転。翌1877年(明治10年)には心斎橋筋一丁目に移転すると共に十合呉服店へ改称した。 1901年(明治34年)4月3日には神戸市元町五丁目に神戸支店を開設した。神戸店は順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへ出店する形で1933年(昭和8年)10月1日に移転・増床し、百貨店として開業した。この移転以降は「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった。 1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した。 心斎橋の新本店ビルは、ガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので、モダニズム建築の傑作と評価されている。店内には食堂をはじめ、700名収容の劇場や茶室、貴賓室など、売場以外の機能も併設されていた。そして開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することとなった。心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設されたが、そのうち2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現したとされる。 社名は、1940年(昭和15年)に「十合」となり、第二次世界大戦終戦後に株式会社を設立した1969年(昭和44年)に「そごう」となった。
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