移転・増床
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 19:13 UTC 版)
1990年代初頭には立川駅南口への3度目の移転・増床を検討していたが、バブル経済崩壊で実現しなかった。これに対し、1995年にライバルの髙島屋立川店が売場面積を増床したため窮地に陥り、40代以上の女性に絞った売場作りを余儀なくされ、年商はピークの1991年の半分となる109億円(1999年度)にまで落ち込んだ。しかし、1996年秋に景気底入れと多摩都市モノレール開通を見込んで北口への再進出を決定し、2001年(平成13年)に3度目の移転・増床がようやく実現した。 JR立川駅や多摩都市モノレール立川北駅と直結した新店舗は旧店舗の2.8倍の37,500m²に売場面積を拡大し、松戸店や相模原店と同等の規模になった。ミセス層に加え、伊勢丹が得意とする20代・30代女性向けの売場も強化する。2000年12月25日に旧店舗の閉店、2001年1月24日に開店で冬物衣料のバーゲン時期の最盛期には営業できない分、移転当初は1月下旬から春物衣料を全体の6割として、季節の先取りで競合他店との差別化を図った。開業準備を指揮した関根純取締役はジェイアール京都伊勢丹開業時の店長で、同店に京都店が近接する京都近鉄百貨店社長の小山禎三に「やられっぱなしだった」と言わしめ、2007年に閉店に追い込ませるという実績も持っており、立川地区での競争激化が懸念された。 事実、同じ立川駅前では百貨店としてグランデュオ立川も営業を続けているが、髙島屋立川店はテナント入居を主とする「立川髙島屋S.C.」への業態転換に追い込まれ、近隣でもそごう八王子店や同じ伊勢丹の府中店、ココリア多摩センターから核店舗の三越が撤退している。また、伊勢丹でも松戸店や相模原店、同じ多摩地区の吉祥寺店、あるいはグループの小倉伊勢丹や三越の各支店が次々と閉鎖された。しかし、当店は浦和店や静岡伊勢丹、ジェイアール京都伊勢丹と共に優良店舗として存続している。
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