創業から東海地方進出とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 創業から東海地方進出の意味・解説 

創業から東海地方進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:49 UTC 版)

丸物」の記事における「創業から東海地方進出」の解説

実家・「中林呉服店」の一員として京都駅前の「名産館」に出品していた中林仁一郎(なかばやし・にいちろう)が1920年大正9年1月京都駅烏丸口東本願寺保有地へ進出して土産物店「京都物産館」を設立したのが始まりである。 1926年大正15年10月には既存旧館の北隣に6階建の京都物産館新館完成させ、百貨店形態店舗開設した1928年昭和3年)には昭和天皇即位の礼合わせて7階建てに増床し、6階一部NHK大阪放送局京都演奏所貸し出すなど即位関連行事にも使用させた。翌1929年昭和4年)には「京都物産館」を日本百貨店協会前身組織加盟させ、西陣分店開店続いて1930年昭和5年6月には京都物産館の名称のまま、岐阜市柳ヶ瀬支店開店して多店化に乗り出し1931年昭和6年)にはそのマーク(○の中に物産館の「物」)から「丸物」に商号変更すると共に豊橋市広小路の「物産館」の経営引き継いで豊橋丸物」を開業している。 また、この頃から百貨店支店開設に関する法規制ができたため、直営支店加え系列百貨店設立にも乗り出した中林仁一郎実弟創業以来丸物役員でもあった谷政二郎が1937年昭和12年)に浜松市へ「松菱」を開業したほか、中林仁一郎自身1939年昭和14年5月20日には名古屋市に「三星みつぼし)」を開店したこのように直営支店系列百貨店設立合わせて東海地方での店舗展開を積極的に行った。「三星」は戦時中経営規制のため、老舗百貨店十一屋」と経営統合し、「丸栄となったが、戦後も仁一郎息子社長に就任するなど当社イニシアチブ発揮した一方本店が7階建てとなったころ、髙島屋がその向かいに「十銭ストア」を出店しており、対抗して9銭マーケット開設するなど、値下げ競争実施した。「十銭ストア撤退後もこのコーナーがしばらく残っていたため、丸物は安い買い物をする場所と認識され各支店でもセール乱発するなどイメージ変化はできず、百貨店らしい非日常感や高級感持たせられなかった。

※この「創業から東海地方進出」の解説は、「丸物」の解説の一部です。
「創業から東海地方進出」を含む「丸物」の記事については、「丸物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「創業から東海地方進出」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「創業から東海地方進出」の関連用語

1
4% |||||

創業から東海地方進出のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



創業から東海地方進出のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの丸物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS