創業から持株会社制導入以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:35 UTC 版)
「サントリー」の記事における「創業から持株会社制導入以前」の解説
1899年(明治32年)2月1日 大阪市西区靱中通2丁目(現・靱本町1丁目)にて、鳥井信治郎が葡萄酒の製造販売を目的とした鳥井商店(とりいしょうてん)を創業。 1900年(明治33年)大阪市西区北堀江通2丁目(現・北堀江)へ移転、次いで大阪市西区西長堀北通2丁目(現・新町1丁目)へ移転。 1902年(明治35年)大阪市南区安堂寺橋通2丁目(現・中央区南船場)へ移転。 1906年(明治39年)9月1日 壽屋洋酒店(ことぶきやようしゅてん)と改称。 1912年(明治45年)3月15日 大阪市東区住吉町(現・中央区松屋町住吉)へ移転。 1913年(大正02年)2月 合名会社壽屋洋酒店に法人化。 1914年(大正03年)2月1日 合資会社壽屋洋酒店に組織変更。 1921年(大正10年)12月1日 株式会社壽屋(ことぶきや)設立。 1922年(大正11年)3月6日 合資会社壽屋洋酒店を株式会社壽屋に合併。 1945年(昭和20年)3月13日 大阪大空襲により本社全焼。臨時営業所を大阪市北区堂島中1丁目に開設。 10月9日 大阪市北区堂島浜通2丁目2-1へ移転。 1958年(昭和33年)6月6日 大阪市北区中之島2丁目22新朝日ビル7階へ移転。 1963年(昭和38年)3月1日 サントリー株式会社と改称。 1971年(昭和46年)4月 大阪市北区堂島浜通2丁目1-40へ移転(現在地)。 1907年(明治40年)4月発売の「赤玉ポートワイン」(1973年「赤玉スイートワイン」と改称)が驚異的な売上を記録。1923年(大正12年)6月には竹鶴政孝が入社し、1929年(昭和4年)4月に日本初となる本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」(1964年「サントリーウイスキーホワイト」と改称)が発売された。この商品が初めて「サントリー」を冠した商品である。 「赤玉ポートワイン」の「赤玉」を太陽に見立ててサン(英語のsun)とし、これに鳥井の姓をつけて "sun" + "鳥井"(とりい)= "サントリー" とした。創業の基となった赤玉ポートワインに感謝し、太陽を忘れるなと言う思いを込めたものである。「鳥井さん」(とりい・さん)を逆さにしてサントリーとした、鳥井に三人の男子がいたから「三鳥井」にした、という説も広まっているが、これは誤りである。創業者の「佐治」さんと「鳥井」さんを合わせて、「サントリー」という説もある。 1928年(昭和3年)12月に日英醸造を買収してビール事業に乗り出すが、1934年(昭和9年)2月に売却。同年3月には竹鶴が退社した。同年6月には、それまでスペインやチリからの輸入ワインに頼っていた「赤玉ポートワイン」の原料ワインの国産化に向けて、川上善兵衛の岩の原葡萄園の法人化に出資。1936年(昭和11年)7月開設の塩尻工場と同年10月に買収した山梨農場は現在も自社ワイナリーとなっている。 ビール事業が再開された1963年(昭和38年)3月に、新天地に向かう思いを込めて、現社名に商号変更した。
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