創業から戦後まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:40 UTC 版)
「ハチソン・ワンポア」の記事における「創業から戦後まで」の解説
HWLの源流はハチソンが設立した1861年の香港黄埔ドック(香港黄埔船塢有限公司、Hongkong and Whampoa Dock Company (HWD))、及び1877年のハチソン・インターナショナル(和記企業有限公司、Hutchison International(HI))の2社にさかのぼる。 ハチソンは阿片戦争を機に香港を地政学的な拠点としたのち、香港初の法人登録として前者を1861年に設立した。その後、共同経営者のジョン・クーパー(John Couper)がアロー戦争中に行方不明となるなどの困難に直面したが、1865年にようやく紅磡に香港初の埠頭を造成し、1877年に小売・卸売業者として後者を設立し、広東と九龍を連絡する九広鉄道から臨港線を敷設するなど、海運業及び不動産業、後者を卸売業および小売業の中核的企業に成長させた。 1960年代に両社の会長を務めたローデシア生まれの軍人ダグラス・クレーグ(Douglas Clague)の下、薬局チェーンのワトソンズを買収するなどさらなる拡大を進めたが、オイルショックにより経営が不安定化し、メインバンクの香港上海銀行の救済を受けることとなり、オーストラリア出身の会社顧問ビル・ウィリー(Bill Wyllie)主導で不採算子会社103社を売却するなど大規模なリストラを断行した。1977年にHIがHWDを吸収する形で両社が合併してHWLが設立され、翌1978年に上場を果たし、1979年に長江実業が22%の株式を取得し同社は傘下に入った。
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