創業から戦時統合まで
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「神奈川都市交通」の記事における「創業から戦時統合まで」の解説
1918年(大正7年)12月25日 - 横浜市街自動車株式会社を設立。創業者・鈴木吉養らの個人経営から改組。 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災で被災し大半の車両を焼失。 1928年(昭和3年)- 旧本社社屋が竣工。 1939年(昭和14年)11月21日 - 東京横浜電鉄(現:東急)の傘下に入る。 1940年(昭和15年)12月23日 - 東横タクシー株式会社に商号変更。 1942年(昭和17年)10月31日 - 京浜タクシー(1939年11月、京浜電気鉄道が川崎・鶴見地区の個人事業者20余りを買収して設立)および横浜自動車(1934年1月設立。富士箱根自動車の横浜地区タクシー部門が分離。箱根登山鉄道の系列会社)を合併。 1944年(昭和19年)9月14日 - 神奈川県は戦時統合の通牒を出し、統合主体を下記の通り決定する。横浜川崎地区(戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区を除く横浜市、川崎市)→ 東横タクシー 横須賀地区(鎌倉市・横須賀市・逗子市・三浦市・三浦郡)→ 横須賀タクシー 相模地区(横浜市戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、厚木市、海老名市、綾瀬市、座間市、大和市、相模原市、伊勢原市、秦野市、高座郡、愛甲郡、津久井郡、中郡)→ 神奈川中央乗合自動車 小田原地区(小田原市、南足柄市、足柄上郡、足柄下郡)→ 箱根登山鉄道(一説には小田原報徳自動車)しかし、横須賀地区と小田原地区の統合は結局実現しなかった。 9月30日 - 東京急行電鉄より伊藤福一が派遣され社長に就任。 1945年(昭和20年)2月1日 - 東横タクシーを含む横浜川崎地区の21社が共同経営を開始。共同経営を行った21社は以下のとおり。ワイシータクシー・関内自動車・山手自動車・第一タクシー・磯子自動車・日進自動車・寿合同自動車・横浜交通・伊勢佐木自動車・横浜中央自動車・横浜タクシー自動車・横浜共同タクシー・横浜合同タクシー・興亜合同タクシー・神奈川合同タクシー・鶴見合同タクシー・大岡親交タクシー・川崎交通企業合同・川崎合同タクシー・高津合同自動車(現在の川崎交通産業、小田急グループ)・東横タクシー。 2月27日 - 上記21社の経営統合完了。東横タクシーを除く20社は東横タクシーに営業譲渡。 9月26日 - 統合完了に伴い、神奈川都市交通株式会社に商号変更。神奈川・井土ヶ谷・日ノ出町・川崎・磯子の5営業所をもって営業開始。新社名は大川博の命名による。
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