仏法寺跡
名称: | 仏法寺跡 |
ふりがな: | ぶっぽうじあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 神奈川県 |
市区町村: | 鎌倉市 |
管理団体: | 鎌倉市(神奈川県) |
指定年月日: | 2006.07.28(平成18.07.28) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 仏法寺跡は、神奈川県南東部に位置し、鎌倉市中央部の西側山稜部に所在する、西大寺流律宗極楽寺の13世紀後半から17世紀中頃の有力末寺の寺院跡である。北西側は谷を挟んで極楽寺に続き、北側には極楽寺坂が通っている。極楽寺忍性は13世紀後半に極楽寺坂を開削し、仏法寺に住して請雨法を修したと伝えられている。仏法寺跡の山稜は、地元では霊鷲山、霊山と呼ばれており、江戸前期頃の「極楽寺境内絵図」には霊山の山頂付近に仏法寺と請雨池が描かれている。元弘3年(1333)の鎌倉攻め関係史料には「鎌倉霊山寺」とあり、一帯は激戦地の一つであった。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、山頂部付近で葬地、供養遺構を、平場で礎石建物堂舎跡、池跡等を検出した。13世紀後半から16世紀のかわらけ、陶磁器、石塔類、火葬骨等が出土し、池跡からは柿経等も出土した。極楽寺の寺伝では、明暦3年(1657)に仏法寺の建物を移築して極楽寺の方丈にしたという。仏法寺跡は、鎌倉幕府、北条氏の支援のもとで陸上・海上交通を支配した極楽寺の有力末寺の寺院跡で、元弘の鎌倉攻めの激戦地の一つでもあり、都市周縁部の葬送、供養関係の遺構も良好に残されており、我が国の歴史を考える上で重要である。 |
極楽寺 (鎌倉市)
(仏法寺跡 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 23:01 UTC 版)
極楽寺(ごくらくじ)は、神奈川県鎌倉市極楽寺にある真言律宗の寺院である。霊鷲山感応院極楽律寺(りゅうじゅさん かんのういん ごくらくりつじ)と号する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は北条重時、開山は忍性である。
注釈
出典
- ^ a b c 新編相模国風土記稿 極楽寺村 極楽寺.
- ^ a b c 新編鎌倉志 1915, p. 106.
- ^ 藤野豊編『神奈川の部落史』p.23(不二出版、2007年)
- ^ 参照:『中世都市鎌倉を歩く』、松尾剛次、中公新書、1997
- ^ 『Gakken Mook 鎌倉仏像めぐり』(学研、2010)、p.61
- ^ [座談会]中世鎌倉の発掘:仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって(有隣堂Web、2003年)
- ^ NHKテレビ「ブラタモリ」シリーズの「鎌倉の寺」で西岡芳文(上智大学特任教授)の極楽寺絵図の説明(2024年2月10日放映)
- ^ 1927年(昭和2年)内務省告示第315号
- ^ 2008年(平成20年)3月28日文部科学省告示第33号「史跡に地域を追加して名称を改める件」
- ^ 2008年(平成20年)7月28日文部科学省告示第126号「史跡に地域を追加して指定する件」
- ^ 1934年(昭和9年)文部省告示第22号
- ^ 元は『極楽寺五輪石塔「延慶三年八月」ノ刻銘アリ』として1933年(昭和8年)文部省告示第275号にて重要美術品等認定物件として認定。1953年(昭和28年)10月2日文化財保護委員会告示第75号「重要美術品等認定物件を重要文化財に指定」にて、重要美術品等認定物件の資格を消滅し、重要文化財へ指定。
- ^ 特別展図録『鎌倉時代の彫刻』、東京国立博物館、1975
- ^ a b c d e 1968年(昭和43年)4月25日文化財保護委員会告示第18号「文化財を重要文化財に指定する件」
- ^ “極楽寺(真言律宗)(かまくら観光)”. 鎌倉神戸市. 2019年10月12日閲覧。
- 1 極楽寺 (鎌倉市)とは
- 2 極楽寺 (鎌倉市)の概要
- 3 文化財
- 4 札所
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