ソ連/ロシア/ウクライナ/グルジア/インド/ドイツ/ブルガリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:15 UTC 版)
「MiG-21 (航空機)」の記事における「ソ連/ロシア/ウクライナ/グルジア/インド/ドイツ/ブルガリア」の解説
Ye-2 MiG-19から発展した後退翼機。エンジンは予定したAM-11(RD-11、のちR-11)が間に合わなかったためMiG-19シリーズが2基搭載していたAM-9B(RD-9B)を1基搭載し、1954年12月25日に完成、翌1955年2月14日に初飛行を行った。 Ye-2A AM-11を搭載した2号機で、主翼上の境界層板を大型化していた。MiG-23(Tip 23)として生産に入る計画もあり1957年に7機が製作されたが、結局は採用されなかった。 Ye-4 三角翼機の1号機。主翼下面に大型の境界層板をつけていた。エンジンは当初はRD-9Bと同推力のRD-9Yeで、のちに若干推力の向上したRD-9Iに換装された。なお、エンジンの換装以外にも機体は徐々に改修され、主翼下面の大型の境界層板を廃し、かわりに3枚の小型の境界層板を主翼上面から下面にかけて装備するなどした。1955年6月16日に初飛行を行った。 Ye-50 Ye-2の発展型で、AM-9Yeジェットエンジンに加えS-155ロケットエンジンを追加した混合動力機。3号機は機首が延長されていた。 Ye-50A 燃料消費量の大きなロケットエンジンのため、機体下面に大型の燃料タンクを装備する機体として設計されたが、実際には製作されなかった。 Ye-5 Ye-4の発展型。1956年1月9日に初飛行し、同年末にこの機体を基にして新型前線戦闘機MiG-21が量産されることが決定された。H-5、I-500とも呼ばれた。 Ye-6 Ye-5の発展型で、信頼性に乏しかったRD-11エンジンをR-11F-300に換装するなどの改修を行った。1号機は1958年5月20日に初飛行を行ったが、28日には墜落して失われた。 2号機は境界層板を外側1枚のみに減じ、機首側面に機体の横滑り時のエンジンの失速防止用の空気取り入れ口を設けた。1960年には主翼端への空対空ミサイル搭載の試験機に改造されたが、高速飛行時にミサイルが振動を起こし発射後の弾道が安定しなかったため正式採用には至らなかった。 3号機はエンジンのストール防止用の空気取り入れ口を増設した。1959年10月31日には15/25kmコースにて2,388km/hという当時の世界速度記録を樹立した。なお、その際の国際航空連盟への申請名はYe-66である。この3号機を基に初めの生産型MiG-21Fが製作された。 MiG-21F «72» 初期型。NR-30機関砲を2門搭載する。R-11F-300エンジンを搭載し、1959年に初飛行を行った。翌1959年秋から1960年半ばにかけて99機が生産された。なお、MiG-21Fは設計局内ではYe-6Tと呼称された。後には、MiG-21F-13同様の垂直尾翼の増積や、R-3ミサイルの運用のための改修が行われた機体もある。 Ye-6T/3 カナードを装備する機体。のちにはR-3ミサイルの搭載試験に用いられ、その成果は初の本格的生産型MiG-21F-13に生かされた。 MiG-21F-13 «74» 本格的に生産の始められた昼間戦闘機型で、R-3S(機体名称の-13はR-3Sの試作名称K-13に由来)ミサイルを運用可能としたかわりにNR-30を1門に減らしている。R-11F-300エンジンを搭載し、1959年に初飛行を行った。 Ye-6V MiG-21F-13に不整地での短距離離着陸性能を付加するために改造された試験機。 Ye-66A 1961年4月28日に34,714mという絶対到達高度の世界記録を樹立した機体。出力向上型のR-11F2-300とロケットエンジンを搭載していた。 Ye-7 レーダー搭載型の一連の開発機名称。 MiG-21P TsD-30T全天候レーダーを搭載する迎撃戦闘機(全天候戦闘機のこと)型の最初の型だが、生産されなかった。R-11F-300エンジンを搭載する最初の試作機Ye-7/1は10機が製作され、1958年8月に初飛行を行った。試作機はYe-7/2、Ye-7/3と作られ、Ye-7/3はこのシリーズの最初の量産型迎撃戦闘機であるMiG-21PFの直接的な基礎となった。 MiG-21PF «76» 量産・配備された最初の全天候戦闘機型。MiG-21の第2世代機。固定武装は廃されている。搭載レーダーはTsD-30TP(RP-21)である。新型のR-11F2-300エンジンを搭載するYe-7/4が直接の原型機となった。なお、試作機はMiG-21Pからの連番であるが、特に区別するとすればYe-7/3とYe-7/4がMiG-21PFの試作機といえる。 Ye-8 1962年に初飛行したMiG-21PFの大幅な改設計型。R-21F-300エンジン1基を搭載した。2機のみ製作されたが、1号機(#81)が事故で失われるなどし、機体の欠陥の改善される見通しも立たなかったため開発は中止された。 MiG-21PF-31 輸出型、面積の拡大した垂直尾翼と新しいベントラルフィンをもち、ツマンスキーR-11-300エンジンを搭載した機体。パラシュートブレーキハウジングは、ラダー基部に設けられている。 MiG-21FL «77» インドでのライセンス生産機で、基本的にはMiG-21PFM初期型の輸出仕様機であるが、吹き出しフラップ (Blown flap) がないなどMiG-21PFとの中間的機体構造を持っている。R-11F-300エンジンとR-2Lレーダーを搭載した。MiG-21PFM同様、機関砲コンテナを搭載することもできる。1965年から1968年まで生産され、1966年から現在に至るまでインド空軍で運用されている。 MiG-21PFS «94» R-11F2S-300エンジンを搭載し、1962年に初飛行を行った。最大の改修点は主翼に吹き出しフラップ(SPS)を採用したことで、離着陸性能が向上し、これ以降の機体はこのシステムを備えることとなった。試作機はYe-7SPSと呼ばれた。比較的少数が生産されたに留まったが、一部は輸出もなされた。 MiG-21SPS MiG-21PFSのドイツ民主共和国(東ドイツ)での制式名称。 MiG-21SPS-K 東ドイツのMiG-21SPSの改修型で、MiG-21PFMに準じた仕様としたもの。MiG-21PFM以降の発展型同様、機関砲コンテナを搭載可能とした。そのため、機首左右の空気取り入れ小口に、機関砲の排煙除去用の整流版が設置されている。外見上は、MiG-21PFM後期型に酷似している。風防は上方へ膨らみをもったツーピース型。後方ミラーは付属するものとしないものとがある。東ドイツのみで運用された。 MiG-21PFM «94A» TsD-30TP(RP-21)レーダーを搭載したMiG-21PFSの改良型。試作機はYe-7Mと呼ばれた。比較的少数が生産されたに留まった。風防はMiG-21PF同様のワンピース型。 MiG-21PFM «94H» 吹き出しフラップを備えた初期のMiG-21の主要生産型となった。射出座席を新しいKM-1(ドイツ語版)に変更するなどの変更が行われていた。また、機関砲コンテナの搭載能力も付加されていた。なお、射出座席の変更に伴い風防はそれまでの前開きのワンピース型から横開きのツーピース型に変更されたが、ワンピース型同様に上方へやや膨らみをもった形状のものと上辺が直線的でリアビューミラーを装備したものとがある。風防の型は、MiG-21S/SM/M辺りまで同様に2種類のものが見られた。 23-31 (Ye-7PD/MiG-21PD) 1967年に初飛行したMiG-21PFMの改設計型で、2機のリフトエンジンを搭載する短距離離着陸機の研究機として用いられた。PDはリフトエンジンを意味する。主脚は収納できず固定式である。これを基に23-01短距離離着陸戦闘機が製作されたが、こちらも量産には結びつかなかった。 MiG-21R «94R/03» 戦術偵察機型。Ye-7Rとして1965年に初飛行を行った。外見上は第3世代機の最初の機体として数えられるが、実際は第2世代機の背部燃料タンクを大型化し主翼下パイロンを増設しただけの機体である。また、Ye-7Rや初期のごく少数の量産機はMiG-21PF同様の機体を使用していた。ソ連空軍の他、各国で使用されたが、機体製作年が早かったため他の第3世代機よりも先に退役している。その場合はMiG-21MFを改修したMiG-21MFRなどがMiG-21Rの後継機として運用される場合もあった。 MiG-21RF MiG-21Rの輸出型として開発された。MiG-21Rとは装備などが若干異なる。なお、MiG-21RFは主力型とはならず、MiG-21Rの方が多く輸出された。 MiG-21S «95» 第3世代機。新型のサプフィール22(RP-22)レーダーを搭載した。新型のR-11F2S-300エンジンを搭載し、1963年に初飛行を行った。なお、冷戦時代には西側諸国からは「MiG-21PFMA」であると誤認されていた。 MiG-21SM «15» MiG-21SにGSh-23L連装機関砲を固定装備した機体で、一時はソ連の空軍戦力の主力となった。R-13-300エンジンを搭載し、1969年に初飛行を行った。MiG-21シリーズの中で最も多くの機体が製作されたとされる。MiG-23などが主力戦闘機となった後は、戦闘爆撃機として使用された。 MiG-21Iアナローク (A-144) Tu-144開発のために製作された、無尾翼オージー翼採用の試験機。MiG-21Sの胴体を利用して製作され、1968年に初飛行を行った。 MiG-21M «96» MiG-21SMの輸出向けダウングレード型で、一世代前のRP-21MLレーダーを搭載していた。エンジンもMiG-21PFMと同じR-11F2S-300を搭載し、1968年に初飛行を行った。生産はMMZ「ズナーミャ・トルダー(労働の旗)」工場で1968年から1971年まで行われた。インドでは1971年よりライセンス生産が行われ、1973年よりインド空軍に配備された。 MiG-21MA «96A» 単にMiG-21Mとも呼ばれる。 MiG-21MF «96F» サプフィール22(RP-22)レーダーを搭載するなどMiG-21SMと同程度の能力を持った輸出型。R-13-300エンジンを搭載し、1970年に初飛行を行った。MMZ「ズナーミャ・トルダー」工場で1970年から1974年まで生産された。輸出型の主力となった機体。ワルシャワ条約機構各国で主力機となった。冷戦終結後は、MiG-21bisより以前に旧式のMiG-21MFは多くが退役したが、チェコ、スロバキア、ルーマニアのようにMiG-21bisを運用しなかった国では後継機種の選定まで長らく運用が続けられた。その他の国では、MiG-21bisの配備後は主として戦闘爆撃や偵察に用いられた。 MiG-21MF-75 «63» 1975年以降に製造されたMiG-21MFの改良型で、システムが若干近代化された。ブルガリア、東ドイツ、ルーマニア、チェコスロバキアで使用。 MiG-21MFR 1990年代にブルガリアで開発された戦術偵察機型。機体が老朽化したMiG-21Rの代替機として計画された。戦闘爆撃機としては旧式化したMiG-21MFを改修し、従来MiG-21Rで運用されていた偵察コンテナを運用できるようにした。しかし、MiG-21MFRも機体の老朽化で早期に退役し、同時期にMiG-25RBやSu-22M4Rも退役したため、ブルガリアの高度の航空偵察能力は失われた。 M-21 1967年に初飛行した無人航空機型で、MiG-21PFやMiG-21PFMから改修されていた。ソ連時代後期、標的機や各種試験機として多数が試験や訓練に使用された。 MiG-21SMT «50» 大型の背部燃料タンクを装備する機体として開発されたが、機体バランスが崩れ、重心が機体後部に偏り、失敗作といわれた。1971年に初飛行。一部の機体は、MiG-21STに改修された。 MiG-21ST 失敗に終わったMiG-21SMTを改修した機体。 MiG-21MT «96T» R-13F-300エンジンを搭載するMiG-21Mの発展型として開発された。装備などはMiG-21MFと同様で、1971年よりMMZ「ズナーミャ・トルダー」工場で生産が始められたが、15機しか製作されなかった。 MiG-21bis LAZUR «75A» 第4世代機。大幅な改良型で、1970年代から1980年代にかけてソ連の主力機となった。R-25-300エンジンを搭載し、1971年に初飛行を行った。 MiG-21bis SAU «75B» ソ連での生産機としては最終型となった。改良された電子機器を搭載した。なお、«75A»と«75B»は、正式名称はどちらも単に「MiG-21bis」と称されることが普通である。また、資料によってはMiG-21bis-Kと表記しているものもある。なお、通常では「"B"規格」はワルシャワ条約機構外への大幅なダウングレード輸出型であることを意味しているが、この場合はその意味ではない。 MiG-21bis «75» インドでのライセンス生産機。レーダーはRP-22型。 MiH-21bis ウクライナで開発された海外向けの近代化改修型。オデッサで開発が行われた。なお、ウクライナではエジプトやイエメン、リビアといった外国のMiG-21のオーバーホールやメンテナンスを行っている。 Ye-6U 複座型の原型機。MiG-21F-13をベースに開発され、1960年10月17日に初飛行した。後席を増設した代わりに機関砲を取り外し燃料タンクのスペースに充てている。 MiG-21U-400 «66» 最初に生産された複座型。高等練習機としての運用の他、様々な試験用途にも使用された。 MiG-21U-600 «67» 複座型。垂直尾翼が大型化されるなどしている。«66»と«67»はどちらも単に「MiG-21U」と称されることも多い。 MiG-21US «68» 1966年から製造に入った複座型。電波受信部などが変更されたほか、MiG-21PFM以降の単座型同様、吹き出しフラップとKM-1射出座席を装備している。生産半ばから後席に前方視界確保のためのペリスコープが追加された。 MiG-21UM «69» ВВС Българии МиГ-21УМ #27 複座型の最終型で、1971年から製造された。機体フレームや電子機器、エンジンをMiG-21MF相当としている。なお、グルジアではソ連からの独立後も生産が続けられ、1990年代後半に2機だけ製作されている。また、同国では改修型も開発されており、一部MiG-21運用国で採用されている。 MiG-21K 新しい空対空ミサイルであるR-27RやR-73を運用可能とするなどした、ロシアによるMiG-21SMの近代化改修機。MiG-21M/MFを運用する国やMiG-21bisを運用する国へ提案されたが受注には失敗し、計画は破棄された。 MiG-21UPG / MiG-21-93 ロシアで開発された近代化改修機。R-25-300エンジンを搭載し、1994年に初飛行した。インドに採用されたのち、一時はイエメン共和国、ブルガリア、クロアチアなどにも採用される可能性があるとされていた。高性能の小型レーダーであるコピヨー21l(槍)を搭載し、これによりR-73やR-77のような空対空ミサイルのほか、Kh-31などの空対地ミサイルが搭載可能となり、戦闘能力が大幅に向上したとされている。また、ESW-21レーダー警報受信機、チャフ・フレア・ディスペンサ、リングレーザージャイロ式の慣性航法装置の搭載などの改良が行われている。しかし、エンジンはMiG-21bisのままであるためその欠点はそのまま受け継いでいる。 MiG-21BISON MiG-21-93のインドでの採用名称。 MiG-21-93I MiG-21-93の派生型。 MiG-21-98 MiG-21-93の派生型。 MiG-21F MiG-21F-13 MiG-21PF MiG-21PF MiG-21SPS-K MiG-21PFM(製品94N) MiG-21S MiG-21SM MiG-21M MiG-21MF MiG-21SMT MiG-21bis LAZUR MiG-21bis SAU MiG-21U-400 MiG-21UM MiG-21BISON
※この「ソ連/ロシア/ウクライナ/グルジア/インド/ドイツ/ブルガリア」の解説は、「MiG-21 (航空機)」の解説の一部です。
「ソ連/ロシア/ウクライナ/グルジア/インド/ドイツ/ブルガリア」を含む「MiG-21 (航空機)」の記事については、「MiG-21 (航空機)」の概要を参照ください。
- ソ連/ロシア/ウクライナ/グルジア/インド/ドイツ/ブルガリアのページへのリンク