アジェンデ大統領の任期中とは? わかりやすく解説

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アジェンデ大統領の任期中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:15 UTC 版)

チリ・クーデター」の記事における「アジェンデ大統領の任期中」の解説

米国政府はさっそくアジェンデ打倒作戦着手した。まず手始め行ったのが対チリ金融封鎖だった。チリ経済混乱させ、社会不安煽り、それによってチリ軍部が反政府蜂起する口実作るのが目的だった。米国政府直接支配下にある米国輸出入銀行米国国際開発庁即座にチリ融資停止した米国牛耳る国際金融機関である世界銀行米州開発銀行に対しても、対チリ融資停止させた。またニクソン大統領ヨーロッパ諸国に対しても、対チリ融資控えるよう圧力をかけた。当時チリは、前政権から引き継いだ債務10億ドルにのぼり、また、チリ産業伝統的に米国からの融資依存していたため、この金融封鎖チリ経済与えた打撃大きかった。しかし、ヨーロッパ日本などとの貿易問題なく行われた、ただ、ヨーロッパ企業国有化続き各国政府大使から抗議を受けることになる。 金融封鎖並行して米国政府チリ軍に対して法外な支援提供した資金面での支援だけでなく、技術面での支援惜しげ無く提供し軍事顧問団派遣した1971年段階では、チリ軍部内の反アジェンデ派はごく少数だった。 こうした外国からの妨害ありながらも、政権交代後しばらくは経済好調であった。そのため、1971年4月統一地方選挙ではアジェンデ与党人民連合得票率50%超え大統領当選時より大幅に(14.2%増)支持伸ばした。しかし議席数ではキリスト教民主党国民党右翼連合勝てず、アジェンデ提出した議案ことごとく国会で否決、それに対してアジェンデ拒否権乱発と、チリ政治混迷ていったアジェンデ政権成立時には中道左派キリスト教民主党右派国民党対立していたが、1971年バルパライソ補欠選挙の時から、キリスト教民主党国民党共同歩調を取ることになる。キリスト教民主党中には右翼国民党連立を組むことを嫌い、人民連合側に鞍替えするものも現れた。結果としてキリスト教民主党国民党結束強まりその後補欠選挙では接戦になった。この時も人民連合上院下院とも過半数を得ることができず、政治混乱継続したCIA右翼勢力対す公然非公然支援強めようになったり、政情不安定化した。 とりわけ効力発揮したのが、CIA資金援助もあったデモ物資不足、行列作らないスーパー買物できないガソリン1回20リットルまでの厳し配給制牛肉販売金曜土曜のみとする制限強化による、婦人中心とした「鍋たたき運動」)(1971年12月「からなべデモ」)と、CIAトラック所有者組合報酬支援が行われたのは公然の秘密だが、報酬の支払いに関して議論分かれている)を支払って敢行させた長期ストライキ1972年10月1973年7月)だった。前者は、物不足を不満とする中間層婦人連が自発的に行ったチリの「すべての婦人アジェンデ反対しているような印象与えることを狙ったのだったチリ運輸当局トラック事業国有化することに対して全国約4零細トラック事業者生活圏侵害として、ストライキ決行しチリ経済大きな打撃与えた。 それに先立つ1971年7月チリ国会銅山国有化憲法修正案を全会一致採択した。この憲法修正は「公正な補償」を原則としており、接収対象会社当時チリ銅山支配していた米国のケネコット社およびアナコンダ社)に対す補償額(資産価値)から過去超過利潤額を差し引くことを可能としていた。そのため、結果的に補償額よりも控除額の方が大きくなり、ケネコット社およびアナコンダ社に対す補償額はゼロではなく、7億5千万ドル請求行った無償接収どころか、更に7億5千万ドル請求行いアメリカ態度硬化させた。チリ会計検査院もこの措置支持し補償不要との決定下した。 しかし米国ニクソン大統領チリにおける接収前例ラテンアメリカ他の国々波及することを恐れ以前にも増してチリ金融封鎖強化した。このニクソン政権による対チリ金融封鎖政策米国内でも議論の的となり、とりわけ金融封鎖批判的だったエドワード・ケネディ上院議員次のように主張した。「社会正義と政治的自由を積極的に追求している国には、我が国からどんどん二国間援助を提供すべきです」と。 ニクソン政権による対チリ報復措置金融封鎖だけにとどまらず国営化されたチリ産業妨害するまでになった。まずは米国内チリ政府口座凍結させた。これによりチリ米国販売することができなくなった。さらに米国政府はケネコット社と共謀しヨーロッパ輸出されるはずのチリ差し押さえるようヨーロッパ諸国司法当局要請したそれだけでなく米国政府は、生産用いられる機械類部品チリ供給しないよう圧力をかけることによって生産そのもの妨害する作戦出たさらには米国内保有していた備蓄放出することによって国際価値低下させるという工作行った。こうして、輸出収入80%を依存していたチリ大きな打撃被った。ただ、日本ヨーロッパとの貿易問題なく行われていた。 こうした事態直面したアジェンデは、接収問題国際仲裁によって解決することを提案した。ところがニクソン政権は、1914年二国間条約持ち出すことによってアジェンデ提案拒否した。その条約には「一方もしくは両方の国の自主名誉あるいは重要な利益害するおそれのある問題中略)は、どのような仲裁受けない」と記されいるから、というのがその理由だった。 政権交代後アジェンデ進めた性急な国有化政策社会保障拡大などの社会主義的経済改革は、自由経済であるもののその規模大きわけではない当時チリ経済の現状そぐわないものであり、それが結果的にインフレと物不足を引き起こした、とする説は過去には聞かれた。とはいえアジェンデ政権成立した当時チリでは人口30%が栄養不良の状態に放置され医療受けられない状態ではあった。また、銅山国有化チリ国会で否決された。しかし政権側、アジェンデとりわけ急進左派連合調整手間取り無償接収の上に7億5千万ドル要求行ったアジェンデ与党穏健な共産党急進社会党急進人民統一行動党と複雑であったこと。また、これらの政党上院下院とも少数与党であった一方野党キリスト教民主党国民党は、過半数占めていたものの、3分の2議席をもっておらず、大統領の弾劾決議はできなかった。アジェンデは、自らの与党調整手間取り本人大統領政治基盤高めるための、国民投票を行うことを、与党内で提案しているが、急進左派である、人民統一行動党の反対によって行うことができず、アジェンデ政権運営不安定なものになった。さらに、国営化範囲社会保障内容1970年選挙人民連合綱領明確に謳われており、チリ国民の信を得ていた。アジェンデ政権時代政権与党上下両院とも過半数は得ることは全くなかった。常に少数与党政権運営が不安定であったフレイ政権時代農林大臣急進的すぎる、と、フレイ罷免したチョンチョルを農林大臣任命し極端な国営農場化を行い小麦生産を3分の一まで減らしたまた、トラック所有者組合は、自主的な運営である4超える零細業者集合体有ったが、それを画一的輸送公団にしようとしてトラック所有者組合強烈な反発受けた米国による金融封鎖および産業対す妨害起因する外貨不足にあったとする説が現在では圧倒的に優勢である。この時、アジェンデは、金融封鎖対抗し西ヨーロッパ諸国日本などへ、自動車組み立て工場の誘致などを行っている。更にソ連訪問し資金援助乞うたが、ソ連資金援助微々たるものであった。からなべデモトラック所有者スト含め米国リチャード・ニクソン政権資金供給行ったが、中間層反発主たる原因である。こうして、与党内調整に手間取りアジェンデ政権末期には600%の、チリ歴史史上最大インフレ経験することになった。 しかしそれにもかかわらずアジェンデ政権対す国民の支持過半数得られないものの低下していなかった。1973年3月総選挙では、人民連合43%の得票でさきの統一地方選よりは減ったが、依然として大統領選上回る得票(7%増)で議席増加させた(10議席増)。政権の座について2年以上を経過してから現職勢力獲得した票の伸び率としては「前代未聞」(ただし、当選時の支持率はあくまで36%と歴史的に見て低い数字である)と言われた。ただし、あくまで上下両院では、与党連合過半数得ておらず、少数与党のままであった少数与党、特に社会党人民統一行動党はプロレタリアート独裁目指し東欧から多く武器調達し政権末期には、カラビネーロ(国家警察)が武器摘発躍起になっていた。この選挙きっかけに、CIA職員1973年4月次のように論じた。「我々の理解しているところでは、今後6か月から1年の間に軍事クーデター引き起こすことを狙った政策では、政治的緊張高めることと、経済的な苦難をより深刻なものにすることに努めるべきです。特に、国民絶望という感覚が軍を動かすためにも、下層階級の間での経済的苦難が必要です。政治的野党、特にキリスト教民主党計画している大衆運動対す資金援助は、この絶望という感覚打ち消してしまい、経済を救う結果につながる可能性あります」。 とはいえ、対チリ秘密工作統括していた国家安全保障問題担当大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャー野党対す資金援助続けたとりわけチリ最大野党であったキリスト教民主党右派フレイ派)には莫大な資金投入していた(党の指導部資金渡したではなく右派個々メンバー直接渡した)。その結果1970年の大統領選当時左派支配権掌握していた同党は右派支配するようになり(数の上では左派の方が多数派だった)、アジェンデとの協力拒否して軍事クーデター支持するようになった。同党右派は、クーデター後に軍は自分たちに権力を譲るものと信じていたからだ。そしてキリスト教民主党1973年8月22日アジェンデ政権違憲とする決議案下院可決させた。これによりチリ軍部はクーデター正当性を得ることになった1973年6月29日には軍の一部首都サンティアゴ大統領官邸襲撃する失敗した戦車クーデタースペイン語版英語版))。これは、軍人釈放問題であり、直接軍事クーデターではない。1973年8月8日海軍内で水兵階層浸透した左派過激派による武装蜂起未遂事件発生100人以上の逮捕者出た海軍社会党書記長アルタミラーノの議員資格停止要求をし、最高裁判所申し立て、その判決9月11出されることになった。この海軍内の左派武装蜂起関連して同日バルパライソ左派武装派と海軍衝突をする。社会党所属であるアジェンデに対して、彼が既に党内調整力すら失ったことから、海軍と、アジェンデ政権対立深刻化した。2度めのトラック所有者スト解決のため、アジェンデ8月9日内閣改造行い空軍司令官セザール・ルイス運輸大臣任命した空軍司令官運輸大臣となったセザールルイスはスト調停図ったが、トラック所有者組合と国(少数与党人民連合との主張)の双方隔たり大きすぎる運輸大臣職責のみを辞任した。その辞任に対してアジェンデ辞任意思もないセザール・ルイスの空軍司令官として地位解任した。これによって、空軍政権の間には決定的な亀裂発生したアジェンデは、「軍は政治的中立を守るべし」という信念持ち主であったが、トラック所有者組合スト人民連合有利に調停したカルロス・プラッツ(英語版スペイン語版陸軍総司令官その後国防相兼任していた)が軍内部の反アジェンデ派に抗し切れなくなり辞任追い込まれた。プラッツ後任陸軍総司令官アウグスト・ピノチェトであった8月24日就任)。ピノチェトプラッツ推薦により陸軍総司令官選任された。この段階では、アジェンデプラッツピノチェト信頼していた。 この時期いたっても、チリ国民の間におけるアジェンデ人気半数以下ではあるが衰えていなかった。9月4日人民連合3周年記念集会には約100万人のチリ労働者階級労働者向け物資配給価格調整委員会JAP、から配給受けられる階層中心だったと言われている)国民集結しアジェンデ支持デモ行進行った。それは、チリ史上最多参加者集めたデモだった。翌9月5日には、アジェンデ辞任要求デモに約15万人参加した(JAP配給受けられなかった人たちが中心であったと言われている)。クーデター起こせば抵抗活動起きると考え徹底した弾圧が必要との認識再確認した。 クーデター足音が迫る中、アジェンデ最後の手段に訴えようとした。国民投票実施して自身政権信任を問うことを考えたと言われているが、後述様に結果として拒否している)。 9月7日国民投票による事態打開求め海軍第一管区司令長官ホセ・トリビオ・メリノ大将によるアジェンデ対す6時間の説得にも関わらず社会党強硬派反対もあり、国民投票申し入れ物別れ終わった少なくとも9月7日時点での、6時間に渡る国民投票申し出アジェンデ拒否している。 彼は9月9日の昼、「近く国民投票実施発表する」とピノチェト告げた(この時点でもアジェンデピノチェト信頼していた)。それを聞いたピノチェト同日中に他のクーデター首謀者らと会談しクーデター決行予定日当初14日から11日早めた。 そして10日アジェンデ共産党との間で国民投票合意取り付けキリスト教民主党とも国民投票話し合いテーブルに付くことに合意した。ただし、社会党とは、国民投票に関して何もできなかった。出身与党社会党合意が無い空手形であるが11日国民投票実施発表する決定した。ところが11日早朝クーデター勃発した

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